第5話

 ぼくは早く死にたい。

 痛いのが嫌いなので、結局今になるまでぼくは生きているけれど、ぼくにとっての死は、生を逃れるための唯一の手段だ。死さえ迎えてしまえば、痛みがどれほどのものだろうと同じだ。大切なのは、確実に死ねるかどうか、それだけだ。

 ただ、ぼくが死ぬ理由は、究極的には他人に迷惑をこれ以上かけないためだし、ぼくのために誰かが苦しむことがないようにすることだ。それなら、ぼくが死んだ後の遺体で、誰かが苦しんではならない。たとえば、ぼくの死臭で誰かが不快な思いをしてはいけないし、ぼくが死んだ場所を忌むことで不便さが発生してはいけないし、ぼくの死を誰かが悲しんではいけない。ぼくの葬儀を出すための金を捻出するのに苦労するなんてあってはならないし、ぼくの墓を見て誰かが不吉だと思うこともあってはならない。ぼくは望まれて死にたい。ぼくはぼくが死ぬことを望んでいる。

 ぼくは別に望んで生まれてきたわけじゃない。ぼくの生の始まりに、ぼくの意志は介在しない。そこにはただ、生物学的な受精と、着床と、正常な発育のみが存在する。無数の化学反応が、ぼくという意志を構成していく。

 ぼくの死は、ぼくが望み、そして望むらくは誰かが望んで成立してほしい。ぼくの死は、ぼくの尊厳と意志のもとで行われる。ぼくの心臓を止めるものや、肉体を二酸化炭素と水と幾ばくかの無機物に分解するのは化学反応であったとしても、総体的な死という現象は、唯一ぼくがぼくの意志で望んだものだ。


 死者とは、誰かにとっては宗教的感情で、誰かにとってはただの骨で、誰かにとってはすでにこの世に存在しないものだ。ぼくはただの物質に戻り、死を望んだ意志をも消し去りたい。この世界に質量保存の法則がある限り、ぼくを構成した元素、ぼくが触れたものは元素レベルで消滅はしないけれど、それらはぼくの意志がなくなれば、ただの物質だ。ぼくの記憶はやがて忘れられ、ぼくは過去という言葉の中にある真空の間隙になる。それは、幼いころのぼくにとってはひどく恐ろしいものに思えたけれど、今は悪くないと思える。ぼくの意志が遺されることで誰かが苦しむより、ぼくという存在が目に見えず触れられもしない、ただのなにもないものになればいい。それは、ぼくの存在したどの瞬間よりも、きっと透明でまっさらだと思うから。

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