第4話

 最寄り駅からは徒歩40分。駅からの道は住宅か畑、たまにお店。夜も少し深くなればお店は閉まってしまう。そんな所に家があれば、家人はぼくを駅から家まで歩かせようとはしないし、ぼくだって駅から歩くのは好きではなかった。

 そもそも、駅までの道を覚えたのは、電車に乗ることを覚えて何年も経ってからだ。それまでは1時間に1本しかないバスを必死でつかまえていた。バスも、1時間に1本しかないくせに平気で遅れる。遅れる要素はどこにあるんだと思うが、不思議とあるのだ。車中心社会では、バスの利用者は多くない。道には車が溢れている。大人になれば一人一台車を持つような中でバスを使っているのは少数派で、通勤通学時間帯に集中して走る車たちの中では、バスは遅れに遅れる。したがって、電車にも乗り遅れる。日常茶飯事すぎて、駅を目前にして少し動いては止まる苛立ちすらも、毎朝のコーヒーのようなものだ。

 そんな場所から出たがらない人間も、一定数存在する。それが悪いとは言わないが、ぼくは何につけても遅く、何につけても無知蒙昧さを感じる思考停止加減は好きではなかった。十年経っても変わらない図書館の蔵書、更新されるのは雑誌だけの本屋、数年前のモデルが薄らと埃をかぶったまま並んでいる家電量販店、増えていく老人向けの施設。そんな場所に何十年と居続けるのは息苦しい。

 その場所を出ていく手段を持たなかった頃のぼくは、それが普通だと思っていた。信じて疑わなかった。それが、少し足を伸ばしてみれば遅れているのだと知る。まだ子どもと呼ばれてもおかしくない年齢の集団ですら、ぼくは遅れていた。もっと先に進んだものを持っていた。知らないことを知っていた。たくさんの本があった。家に帰れば、大人たちは遅れたものを当然のように享受していた。ふいに背筋が寒くなる。大人たちは、恐ろしくないのだろうか。取り残されていることを知っているのか、知らないのか。知らない、分からない、そう言って拒否して遠ざけるものたちは、外では平気で使われているものだ。ぼくはそんな大人になることを恐れた。

 ぼくもいつかは、知らない、分からないと言って受け入れられるものに限界が来るのかも知れない。ぼくはそうして自分の中の時が止まってしまうのが恐ろしい。あの狭く穏やかな場所のように、凪いだ空気だけが自分の中に滞留する時が、いつか来るのかもしれない。人はそれを老いと呼ぶのかもしれない。ぼくは死よりも老いを恐れる。それは肉体的なもの、表面的なものではない。肉体的には若くても老いる。ぼくに老いが訪れるとするなら、きっとそれは、今のこのぼくが死ぬ時だ。

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