14
「ご、ごほんっ。つまり、ユーフェ。申し訳ないが私は、そのユーフェのことをそのようには思ってはいない。理解してくれるか?」
ルードヴィッヒ様は咳払いをしてユーフェに告げる。
ルードヴィッヒ様の顔は真っ赤に染まっていた。
私の頬もルードヴィッヒ様と同じく赤く染まる。
「ええ。ええ。理解いたしました。旦那様は奥様が特別なのでございましょうね。私、今まで旦那様のそんなに嬉しそうにしている姿を見たことはございませんでした。いつも一線を引いているようで……。私の勘違いだということが身にしみてわかりました。」
ユーフェは疲れたように笑う。
理解、してくれたようだ。
「ありがとう。これからは誠心誠意ユフィリアに仕えてくれるかい?」
ルードヴィッヒ様はユーフェに確認する。
ルードヴィッヒ様はとてもお優しい。ユーフェを許すようだ。
もとよりユーフェには酷い意地悪はされていない。ミーア様のことを隠すような素振りをしたり、私から仔猫ちゃんを取り上げようとしただけ。それも、無理矢理取り上げようとしたのではなく、あくまで私に許可を求めた。私が拒否をすれば良いだけのことだった。
いじめらしいいじめは受けていない。
ただ、使用人としては少し行き過ぎていたけれど。
「……旦那様。旦那様はとても酷いお人ですね。仮にもユフィリア様は恋敵なのに。そのユフィリア様に誠心誠意仕えるようにとは。」
ユーフェは困ったように微笑んだ。ユーフェは今にも泣き崩れそうだ。
確かに自分が好きな人の奥さんに誠心誠意仕えよというのは酷だろう。
「そうだね。確かにユーフェにとっては酷かもしれない。でも、ユーフェのことは信頼しているんだ。きっとユーフェだったらユフィリアのことをこのコンフィチュール辺境伯の奥方として相応しい装いにしてくれると思っている。まあ、今でもユフィリアは辺境伯婦人に相応しいけれども。これからはユフィリアには辺境伯婦人としての貫禄も出していってもらわないといけないからね。」
「……旦那様はユフィリア様のために私に奥様に仕えろと申すのですね。どこまでも残酷な旦那様です。」
「そうだね。ユフィリアの為だったら私はなんでもするよ。」
「……私がまた、奥様に害をなすとは思わないのでしょうか?」
「私がそれを許さないから問題ない。」
「……わかりました。」
ユーフェは渋々と頷いた。ルードヴィッヒ様は首を縦に数度振る。
「うん。よろしくね。ユーフェ。今度、ユフィリアの為にならないことをしようとしたら、減給だからね。ああ、今回のことで侍女長からは降格とするよ。侍女長には……ライラを任命しようと思う。」
「えええっ!?わ、私ですかっ!!」
「ライラ、ですか……?」
「えっ。ライラを侍女長にだなんて、ルードヴィッヒ様、正気なんですの?」
突然のルードヴィッヒ様のライラを侍女長にするという発言に、ライラはもちろんユーフェと私も驚きの声を上げた。
ライラは確かに私によく仕えてくれている。まだ、一緒にいる期間は短いけれど、一生懸命私のために仕えてくれているのは感じている。
けれど、ライラはまだ若い。侍女長として振る舞うにはまだお屋敷のこともほとんど知らないのではないかと思う。
「そうだ。ユーフェはライラを一人前の侍女長に育て上げる必要があるんだ。大変だぞ。ユーフェはユフィリアとライラの二人と、コンフィチュール家のために最善を尽くすんだ。」
ルードヴィッヒ様はそう言って頷く。
確かにコンフィチュール家のことを熟知しているユーフェがライラに教えを説けば大抵のことはなんとでもなるだろう。ライラの忠誠心は本物だと思うし。
けれど、ユーフェがまた嘘を言い出したら?必要なことを隠していたら?
「もちろん。コンフィチュール家のためにならないことをユーフェがすれば減給とする。場合によってはもっと重い処分も考えるからね。」
「……承知いたしました。」
ユーフェはまだ何か言いたそうだったが、そこをグッと耐えて頷いた。
今まで下に見ていた侍女のライラを今度は侍女長として支えていかなければならないのはユーフェにとっても屈辱だろう。だからと言って、必要なことをライラに教えなければ、ユーフェは罰を受ける。
本当に旦那様は容赦が無い。
「……みゃーあ。」
ユーフェのことがまとまったところで、タイミング良く手の中の仔猫が鳴いた。
時計を見ればあれから2時間は経っていた。随分と長話をしていたようだ。
そろそろお腹が空いたのだろう。
「ご飯の時間かしら。料理長からミルクをもらってこないとね。」
私は仔猫を抱きしめて立ち上がる。
「待って。ユーフェにお願いしてみようか?」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
ルードヴィッヒ様の発言に私たちは驚きを隠せなかった。
「だって、ユーフェはユフィリアに言ったんでしょ?仔猫ちゃんの面倒を見るって。一度ミルクをあげて、下のお世話をしてみるといいよ。出来ないのに仔猫ちゃんの世話をするだなんて言ってないよね?」
ルードヴィッヒ様はそう言ってにっこりと微笑んだ。その笑みが真っ黒に見えたのは私だけだろうか。
「できるよね?ユーフェ?ユフィリアよりも上手に仔猫ちゃんのお世話ができるから言ったんだよね?」
にっこり笑いながらルードヴィッヒ様がユーフェに詰め寄る。
「る、ルードヴィッヒ様……。あの、もうよろしいのではないでしょうか。ユーフェも反省していると思いますし……。」
ユーフェは顔色を青くしているのを見て、思わず助け船を出す。
ルードヴィッヒ様、顔は笑顔なのに目が全然笑っていないのだ。とても、怖い。
「ユフィリアは下がっておいで。猫はね、生きているんだよ?人間の玩具じゃないんだ。わかっているね。ユーフェ。」
「は……はぃ。」
ユーフェの声震えている。
ルードヴィッヒ様は仔猫ちゃんが道具のようにユーフェに扱われそうになったことに腹を立てているようだった。
「そうだね。理解してくれてよかったよ。じゃあ、仔猫ちゃんのお世話をしてみてくれるかな?ミルクをあげるんだ。与え方はわかるかな?」
「え……えっと……。ミルクを人肌に温めて……えっと、哺乳瓶に入れて……飲ませます。」
ユーフェの言葉に私は驚いた。
仔猫用の哺乳瓶があるの?人間の赤ちゃん用にはとても高価な哺乳瓶があるのは知っていた。だけれども、仔猫用の哺乳瓶があることは知らなかった。
ナーガ様も哺乳瓶は使わず布でミルクを与えていたからてっきりないのかと思った。
「……その哺乳瓶はどこにあるんだい?」
穏やかに問いかけているように見えるルードヴィッヒ様だが、先ほどよりもまわりの空気がひんやりとしているような気がする。
「えっ……お、お屋敷のどこかに……。」
ユーフェはしどろもどろに告げる。
「ないよ。」
ルードヴィッヒ様は短く答える。
「えっ……?じゃあ、奥様はどうやってミルクを……?」
「仔猫用の哺乳瓶はまだ開発段階なんだ。王都で安価で出来ないか研究しているらしい。人間の赤ちゃん用の哺乳瓶もまだまだ高価だからね。仔猫用のものは特注でもなければ作ってもらえないだろう。私も欲しくて方々に声をかけているがまだ手に入れられていないんだ。王宮でも一つあればいいんじゃないかな?」
「……。」
ルードヴィッヒ様の説明にユーフェはなにも言えなくなってしまった。
そこにルードヴィッヒ様が更なる質問をする。
「ちなみに、ミルクはどこにあるんだい?」
「……厨房に。」
「そうだね。厨房にあるよ。じゃあ、君の言っているミルクというのは何のお乳だい?」
「……牛……でしょう……か。」
ユーフェはミルクと言ったら牛のお乳しか思いつかないのだろう。なぜ、そんなことを聞くのか?というような表情をしている。
かく言う私もナーガ様に聞くまでは仔猫に牛のお乳を与えてはいけないことを知らなかった。
「残念。山羊のお乳だよ。牛のお乳は猫にとっては毒になるんだ。牛のお乳の特定の成分が猫には好ましくなくてね。個体差はあるんだけれど、牛のお乳で猫は下痢をすることがあるんだよ。特に仔猫の下痢は死に直結する恐れがあるからね。与えてはならない。まあ、山羊のお乳より牛のお乳の方が手に入りやすいから、王都では牛のお乳から特定の成分だけを分解して取り除けないかという研究を王妃殿下主導のもとおこなっているらしいよ。」
ルードヴィッヒ様は丁寧にユーフェに説明をする。
ユーフェの顔色は真っ青を通して白くなっている。このままだと倒れてしまいそうだ。
「ルードヴィッヒ様。ユーフェにはこれからたくさん猫のことを覚えてもらいましょう。それよりも、この子がお腹を空かせております。お説教はそのくらいにして、この子にミルクを与えたいのですが。」
これ以上、仔猫を待たせておくわけにはいかない。
ルードヴィッヒ様は猫を雑に扱われたことでご立腹でまだまだ言い足りないようだが、このくらいにしておいてもらわないと仔猫が可哀想だ。
「……そうだね。わかったよ。みんなで厨房に行こうか。ユーフェはユフィリアがミルクを与えているところを見ていてね。ミルクを与えるのも大変なんだよ。」
「……はい。」
ユーフェは項垂れながらも頷いた。
☆☆☆☆☆
「ああ、ユフィリア、君は仔猫ちゃんにミルクをあげるのもとても上手だね。仔猫ちゃんもとても美味しそうにミルクを飲んでいるよ。ふふ。可愛いね。」
温めたミルクを布に浸しながら仔猫にミルクを与えていると、ルードヴィッヒ様は頬を緩ませてその様子を私の隣でじぃっと見つめていた。
「……あ。あの……近いんですが……。」
「そうかい?ユフィリアからはとても良い匂いがするね。」
ルードヴィッヒ様に少し離れるようにと言ってみるが、ルードヴィッヒ様は全然関係ないことを言って傍から離れる様子はない。
「えっと……。ユーフェにミルクを与えるところを見せるのですよね?ルードヴィッヒ様がこんなに近くで見ていてはユーフェが見ることができません。」
そう。ユーフェにミルクの与え方を見せて教えているのだ。
それなのに、何故だか私の隣にはルードヴィッヒ様がひっついており離れてはくれない。
「ん……。まあ、見えるだろう。」
「いえ、見えませんって。」
「そうか?でも、ほら。仔猫ちゃんも私たちが傍に居る方が安心しているようだ。」
「……そうでしょうか?」
「そうだよ。それに、ユフィリアの傍はとても心地が良い。」
そう言ってルードヴィッヒ様はさらにぴとっと私にくっついてくる。
正直、仔猫にミルクを与えるのにルードヴィッヒ様が邪魔だ。
「……そんなに私にくっついていると、ミーア様が拗ねますよ。」
「ふふっ。拗ねたミーアも可愛いんだよ?あとで一緒にミーアのところに行こう。」
「……私が行けばミーア様のストレスの元になるのでは?」
「大丈夫だよ。私がミーアを説き伏せてみせる。」
「……。」
もう何を言ってもルードヴィッヒ様は私の傍から離れないようだ。
仔猫にミルクを与えながら、ちらりと視線だけユーフェに向ける。
ユーフェは唇をぎゅっと噛みしめていた。
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