13


「奥様。あまり旦那様のお手を煩わせるのはいかがなものかと思います。その子猫も奥様が面倒を見る必要はありませんよね?どうか私にお任せくださいませ。」


 部屋に戻るなりユーフェにそう言われた私は、思わずユーフェを凝視してしまった。

 仔猫をユーフェに渡せとまだ言うの?

 この子は私が育てると決めたのに。

 確かに私が仔猫の育て方を知らないばかりに、ルードヴィッヒ様にご迷惑をかけてしまっている状態だ。それは反省している。でも、だから私は仔猫の育て方を覚えて、これ以上ルードヴィッヒ様のご迷惑にならないようにと思っている。


「ユーフェ。私はこの子を家族に迎えると決めたのです。家族に迎えた子を育てられないからと人に任せるような無責任な親にはなれません。」


「……家族といっても偽りでしょう?猫と人間なんですよ。奥様は旦那様に迷惑をかけないように暮らしていればいいんです。」


「……ユーフェは猫が好きではないの?血は繋がってはいないけれど、この子は立派な私の家族です。半端な気持ちで迎え入れたわけではありません。」


「猫と人間は家族にはなりえません。会話すらままならないでしょう。」


 ユーフェは猫が好きではなかったの?

 猫が好きだから可愛い可愛いこの子をユーフェが育てたいから渡すようにって言われているかと思ったのに。そうではないと言うの?


「いいえ。心を通じ合わせれば家族になります。血が繋がった家族でも心が通じ合わなければ形だけの家族だわ。」


「……失礼ながら奥様。私は幼少期の頃より旦那様の傍におりました。旦那様が奥様のことをどう思っているのかも手に取るようにわかります。」


 ユーフェは私を強く睨みつけながら告げた。


「……そう。ユーフェはルードヴィッヒ様と幼なじみなのね。では、わかるわよね。ルードヴィッヒ様が猫を大切になさっていることを。」


「……ミーア様が特別なだけです。」


「違うわ。ルードヴィッヒ様とお話してみてわかったの。ルードヴィッヒ様はどの猫も大好きよ。この子のこともとても良く思ってくださっているわ。」


「違いますっ!旦那様は!旦那様は私のことだけを大切になさってくださっているのです!ミーア様は私と旦那様を繋ぐ存在なんです。だから旦那様はミーア様をとても大事になさっているのですっ!」


 ユーフェの声量が大きくなっていく。

 ユーフェは何を言っているのかしら。


「ユーフェはルードヴィッヒ様と恋人同士なの……?」


 ルードヴィッヒ様はそのような様子はまったく見せなかったけれど。

 使用人と主人という関係だからミーア様を隠れ蓑にして秘密になさっていたの?

 でも、ルードヴィッヒ様とここ数日猫のことについて話していると、ルードヴィッヒ様が猫のことをとても大切にされていることがひしひしと伝わってきた。

 ユーフェのことをルードヴィッヒ様に告げた時は眉を寄せていた。

 とてもではないけれど、ルードヴィッヒ様がユーフェのことを特別に思っているような素振りはなかったのだけれども。


「ええ。そうです。でも、私と旦那様は身分が違います。旦那様はいつかは奥様をお迎えになられるだろうと覚悟はしておりました。それでも、私は旦那様の元にいたかったのです。手が触れあうことも、見つめ合うことも許されない関係だとしても、私は旦那様と……。」


 ユーフェはそう言って涙を耐えるように唇を引き結んだ。

 

「……そう。でも、あなたは使用人で私はルードヴィッヒ様の妻。あなたには残酷だけれどもこれは現実よ。あなたの主人はルードヴィッヒ様と私なの。それは理解してくれるわよね?」


「……はい。」


「そう。よかった。私はあなたとルードヴィッヒ様が互いに思い合っているのなら何も言わないわ。だって、私にはこの子がいるのですもの。でもね、人前ではあなたは使用人なんです。そう振る舞ってもらわなければ困ります。あなたが私を気にくわないと思うのは仕方がありませんが。嫌がらせをされたら私は容赦なくあなたを解雇いたします。その権限が私にはあるのです。あなたはルードヴィッヒ様のお側にいたいのでしょう?解雇されたら困るでしょう?だから、私の力になれとは言いません。けれど、私の邪魔はしないでください。」


「……。」


 ルードヴィッヒ様はとても優しい人だ。

 愛人の一人や二人いるかもしれない。

 いいや。たぶん、ルードヴィッヒ様に愛人はいない。

 ルードヴィッヒ様はとてもお優しいが、同時にとても誠実な人だ。

 愛人が本当にいるのなら、私との結婚は取りやめになっていただろう。

 きっとユーフェが一人で勘違いをしているだけだと思う。


「……ユフィリア?そこは、私のことを信じてくれるべきところだろう?」


「ルードヴィッヒ様、聞いてらしたんですか?」


「いや、今来たところだ。」


「ユーフェはルードヴィッヒ様の恋人なんですか?」


「違うよ。それはない。恋人がいるのに君と結婚するなんて私にはできいない。」


 タイミングを計ったかのようにルードヴィッヒ様がやってきた。

 私はルードヴィッヒ様にユーフェとの関係を尋ねる。

 ルードヴィッヒ様はユーフェとの関係を否定するように首を横に振った。

 やはり、ユーフェの勘違いだったようだ。


「そ、そんなっ!旦那様は私に先代の奥様がお亡くなりになった後、私にこの屋敷のことを任せてくださったではありませんかっ!それは私が奥様の代わりだということですよね!本当は私を妻に迎えたかったのですよねっ!」



「……ユーフェ。君がなぜ勘違いしたのかわからないけれど、コンフィチュール家のことを全て任せてはいないよ。ユーフェに任せたのは使用人たちの取り纏める権限だ。家具やレイアウトの変更の権限はもちろん君には与えていないはずだよ。」


 ルードヴィッヒ様は諭すようにユーフェに説明する。

 ルードヴィッヒ様の手は私を守るかのように、私の腰に手を当てて自分の方に引き寄せた。


「そ、そんなっ……。でも旦那様は私のことを信頼してくださっていると……。」


 なおも追いすがるユーフェ。

 涙ながらにルードヴィッヒ様に手を伸ばすが、その手をルードヴィッヒ様が取ることはない。


「そうだね。ユーフェは幼い頃からコンフィチュール家に仕えてくれたから、信頼しているよ。ユーフェだけじゃない。長くこの家で働いてくれている使用人はみんな信頼している。」


「……旦那様、それじゃあ……ほんとうに……?」


「ああ。申し訳ないが君の気持ちには答えることはできない。」


「……だんなさま。」


 ルードヴィッヒ様の明確な拒絶にユーフェはその場にガクリッと座り込んで項垂れた。

 私はルードヴィッヒ様の手から離れると、ユーフェの傍による。そして、ユーフェの肩に手をあてる。


「ずっと勘違いしていたのね。ルードヴィッヒ様はとてもお優しいから。私も勘違いしてしまいそうになるわ。ちゃんとに突き放せなかったルードヴィッヒ様も悪いわよね。」


「ちょっ!!ユフィリア。なにを言い出すんだ。人には優しくするものだろう?それが家族でも使用人でも、優しくするのはあたりまえのことだ。」


 私の言葉にルードヴィッヒ様は驚いたように慌てた。


「そうですわね。みんなに優しいからこうして勘違いするのです。私だって、勘違いしてしまいそうですわ。」


 そう。ルードヴィッヒ様はとても優しいから勘違いしそうになる。

 私のことを好きなんじゃないかって。

 とくに保護猫施設に通い出してから殊更ルードヴィッヒ様は私に対して優しくなった。気遣ってくれることも多くなった。

 スキンシップも増えたような気がするし、最近では猫のことだけではなく他のことも相談に乗ってくれようとしてくださる。

 それは私がルードヴィッヒ様の妻という位置にいるからだということはわかる。

 でも、政略結婚だとしても愛し愛されたいと思ってしまったのだ。


「ユフィリアが勘違い?君は勘違いなんてしていないと思うけど?」


 ルードヴィッヒ様はわけがわからないというように首を傾げた。


「ルードヴィッヒ様がミーア様たちを愛しているのと同じように私もルードヴィッヒ様に愛されているのではないかと勘違いしてしまいそうなんです。ルードヴィッヒ様はとてもお優しいから。」


 まだルードヴィッヒ様とはお会いしたばかりだ。

 私はルードヴィッヒ様に情けない姿しか見せたことがない。

 ルードヴィッヒ様に私が愛されているだなんて、それはあり得ないはずだ。


「ユフィリアのことはとても好ましく思っているよ。君が困っていたら大好きな猫ちゃんたちのことを放っておいても助けに行くよ。」


 うん?なんか微妙な言い回しだけど、ルードヴィッヒ様が猫ちゃんを置いて私を助けに来てくれるなんて、そうとう好かれているんじゃないかなと思った。

 だって、猫ちゃん大好きなルードヴィッヒ様だ。

 その猫ちゃんを放っておいても私が助けを求めている時は助けにきてくれるだなんて、とてもすごいことなんじゃないかと思ってしまう。


「それは、私が妻だから……?」


「違うよ。君以外の人が妻だったらミーアたちのことを優先するだろう。ユフィリアだからだよ。」


 にっこり笑いながら言うルードヴィッヒ様に思わず私は頬を染め上げた。

 まさか、ルードヴィッヒ様がそんなことを言うとは思わなかったからだ。


「……旦那様も奥様も私のことを忘れてます?」


 ユーフェが私の耳元で小さく呟いた。

 そうだった、私は今旦那様にきっぱりと振られたユーフェに寄り添っていたんだった。すっかり忘れてしまっていた。

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