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「奥様……その子はどうなされたのですか?」


 ルードヴィッヒ様から仔猫を受け取って部屋に戻ると、ユーフェがすぐにやってきた。きっと私が仔猫を抱いているということを他の使用人から聞いたのだろう。普段はライラに全部まかせて侍女長であるユーフェはほとんど来ないのに。

 

「今日から昼間だけこの子のお世話をすることになったの。」


「……そうでしたか。では、私が奥様に代わってお世話をさせていただきます。」


 ユーフェはそう言って私の手から仔猫を取り上げようとする。

 

「みゃーー。」


 仔猫は嫌そうに鳴いた。


「ルードヴィッヒ様からご許可がおりたのですね。ふふ、とても愛らしいです。お名前はもう決まったのですか?」


 ライラはユーフェと私の間に割り込むように身体をねじ込ませると、私の腕の中にいる仔猫の姿を見て顔を誇ろばせる。


「いいえ。まだ決めていないわ。この子にぴったりな名前がまだ思いつかなくて。」


「そうですか。仔猫ちゃん。素敵な名前を奥様につけてもらってくださいね。」


 ライラは私の腕の中にいる仔猫の頭を愛しそうに優しくなでた。


「ライラ。そのくらいになさい。奥様が困っておいでです。」


 侍女長であるユーフェに言われてライラは一歩下がる。


「私は困ってなどいないわ。ライラは私の侍女としてとても優秀よ。」


 私はライラを専属侍女にしたいと思うほど信頼を置いていた。

 私にミーア様が猫であるということをユーフェから伝えられていなかったことに対して不信感を持っている。だから、余計にユーフェの言うことは信じることができない。


「……そうですか。ライラはまだまだ未熟でございます。奥様のお手を煩わせることも……。」


「そうね、確かにまだまだライラは未熟でしょう。でも、それは皆で一緒になって大切に育てていけば良いことです。誰もが最初は未熟であって完璧な人間なんておりません。」


「……奥様。」


 ライラは目を潤ませて私を見てくる。私はその視線に目線だけで頷いて侍女長であるユーフェを見る。

 

「……出過ぎた真似をいたしました。それでは、その仔猫はこちらで預からせていただきます。」


 ユーフェは私に手を差し出してきた。仔猫を渡すように、と。

 

「いいえ。この子は私が育てますわ。」


 私は差し出されたユーフェの手を拒否する。

 ユーフェのことはまだ信用しきれていない。ユーフェはこの屋敷に勤めて長いようなので、猫については私よりも知識がるかもしれない。だけれども、信用できない人にこの子を預けることはできない。

 

「奥様が煩わしい思いをすることはないのです。私にお任せください。立派に育てます。」


「煩わしいだなんて……。私はそんなことは思っていないわ。……そうね、でもそんなに言うのでしたら、私がお願いしたときにお世話を手伝ってもらおうかしら?それでいいかしら?」


「……かしこまりました。」


 ユーフェは憮然とした表情を一瞬浮かべた後、すぐに従順そうなにこやかな笑みを浮かべて一礼して後ろに下がった。

 それにしても、ユーフェは私から仔猫を取り上げてどうする気だったのかしら。

 ユーフェも猫が好きだからお仕事中に仔猫の世話ができることが嬉しいのかしら?でも、それだったらこのお屋敷で働かなくても保護猫施設に通えばいいと思うのよね。私はボランティアとして保護猫施設に通っていたけど、正式な職員の人たちもいたもの。

 ユーフェの提案はなにか裏がありそうで、素直に仔猫の世話を預けることはできなかった。

 それになによりも私のこの手でこの子のことはお世話をしたかったし。


「みぃーーーーっ。」


 腕の中で仔猫が声を上げて鳴いた。

 お腹が空いたのか、それとも私たちの話し声が煩わしかったのか。


「あらあら。どうしたのかしら。」


 私は仔猫の顔を覗き込みながら、優しく仔猫の頭を撫でる。

 

「ミルクを与えてみましょうか。」


 ルードヴィッヒ様から山羊のミルクは料理長に言えば貰えるだろうとのことだった。私は、仔猫を温めるように抱きしめながら料理長のいる厨房に向かう。

 そんな私の後ろ姿をユーフェが睨みつけていたことに私は気が付かなかった。


 腕の中で鳴いている仔猫のためにと調理場に向かう。

 

「奥様がこのような場所になんの御用でしょうか。」


 調理場にいた見習い調理人に声をかけると、すぐに奥に引っ込み大柄で厳つい男性が姿を現した。

 ひときわ高いコック帽をつけているので、この人が料理長かもしれない。

 

「いつも美味しい料理をありがとうございます。仔猫ちゃんのミルクを頂きにまいりました。山羊のミルクをわけてもらえませんか?」


「ふぅん。可愛い仔猫だな。まだお乳を飲むくらいに小さいのか。」


「はい。」


「山羊のミルクを温めてくるから少し待っているといい。」


「ありがとうございます。」


 厳つい料理長は仔猫の姿を見ると目元を綻ばせた。そして、そそくさと厨房に戻っていく。

 きっと山羊のミルクを温めてくれているのだろう。

 

「待たせたな。人肌程度に温めてある。これを飲ませてあげるといい。」


 そう言って、深めのお皿にミルクを持ってきてくれた。ほんのり湯気が出ている。


「ありがとうございます。」


 私はそう言って、厨房の隅に座り込んだ。

 部屋まで戻ったらミルクが冷めてしまうといけないからだ。


「お、奥様っ!!立ってください。そのようなところに座られてはっ……。」


 料理長が慌てて声をかけてくる。

 

「でも、立っていてはこの子にミルクを与えるのが難しいわ。それに部屋に戻ったらせっかく温めていただいたミルクが冷めてしまうし、こんなに良い匂いがするミルクの匂いを嗅いで、この子が部屋まで我慢できないわ。」


「それは、そうですが。せめて椅子に座ってください。」


 そう言って料理長は簡素な椅子を持ってきた。

 

「あいにく厨房にはこのような椅子しかなく……。」


「構いませんわ。お心遣い感謝いたします。」


 料理長が用意してくれた椅子はとても簡素なつくりの椅子だった。

 木で出来た椅子は布も貼られておらず、長時間座っているにはお尻が痛くなることだろう。

 私は椅子に腰かけると部屋から持ってきた清潔なハンカチにミルクを浸す。

 それを仔猫の口元に持って行こうとするが、なぜかナーガさんがやっていたようにはできなかった。ハンカチがミルクを吸い込まないのだ。


「奥様……。差し出がましいようですが、絹はミルクを含ませるのには向いておりません。木綿を使ってはいかがでしょうか。これは、厨房で使用している布巾ですが、毎回煮沸消毒をしているので清潔です。こちらをご使用ください。」


 見かねた料理長が木綿の荒い布を持ってきて手渡ししてくれた。

 

「ありがとうございます。」


 肌ざわりがゴワゴワとしている布。これでいいのかしら?とも思いながら布にミルクを浸してみると、今度はミルクを含んでくれた。

 それを小さく絞り仔猫の口元に持って行く。

 仔猫は小さな口を大きく開けて、美味しそうにミルクを飲み始めた。

 何度も何度も布をミルクに浸し、仔猫の口元に運ぶ。

 以外と根気がいる作業だった。

 それでも仔猫がお腹いっぱいになってくれるのが嬉しくて私はにこにこと微笑みながらミルクを仔猫の口に運ぶ。

 

「……旦那様はお似合いの良い奥様を見つけたんだな。」

 

「え?」


 料理長が何か呟いたような気がしたが仔猫にミルクを上げるのに夢中になっていた私には聞き取ることができなかった。

 仔猫はお腹いっぱいミルクを飲んだようで、満足そうにしている。

 確か、ミルクを飲ませた後は排せつを促さなければならなかったわよね、とナーガさんが行っていたことを思い出す。

 清潔な布でお尻を軽くポンポンと叩いていた。

 私はもう一枚清潔な布を取り出し、仔猫のお尻を軽くポンポンと触ってみる。けれど、仔猫が排せつする気配はなかった。

 

「……どうしましょう。やり方が悪いのかしら。料理長、なにかご存知でしょうか?」


 ミルクを飲ませるのを手伝ってくれた料理長なら何か知っているかもしれないと思って尋ねてみるが、料理長は困ったように首を横に振った。

 

「奥様。申し訳ございませんが、私には赤子のことは、わかりません。旦那様でしたら詳しいと思いますので尋ねてみてはいかがでしょうか?」


「そうね。それは良い考えだわ。そうするわね。ありがとう。」


 料理長のアドバイスは正しいと感じた。

 きっとルードヴィッヒ様ならこの件を解決してくれるだろう。

 それに、ルードヴィッヒ様もいつでも困った時は頼るようにと言ってくれたし。

 ここは素直にルードヴィッヒ様を頼ることにする。仔猫のためにも。


「食事のことでなにかあればいつでもいらしてください。奥様なら大歓迎です。」


「ありがとう。そう言えば、あなたの名前をきいていなかったわね。私は、ユフィリアよ。よろしくね。」


 そう言えば料理長の名前を知らなかったと思い尋ねる。


「奥様、存じております。私はデッカイナーと申します。」


「デッカイナー料理長ね。覚えておくわ。今日はありがとう。また、この子のミルクを貰いにくるから、よろしくね。」


 私は料理長にお礼を言うと、仔猫を抱いてルードヴィッヒ様がいらっしゃる離れに急ぐのだった。

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