10


「みぃーーー。みぃーーー。」


「シャーーーーッ!フーーーーッ!!」


 猫の赤ちゃんは私の腕の中でお腹が空いたと鳴き出す。

 ミーア様は、私の腕の中の猫の赤ちゃんと私に向かって威嚇をする。

 よほど怒らせてしまったようだ。

 このまま私がここに居てもミーア様が猫の赤ちゃんにお乳を分け与えてくれないかもしれない。ここは、ミーア様が一番信頼しているルードヴィッヒ様に任せて私はドアの外で待っていた方が良さそうだ。


「ルードヴィッヒ様、この子をよろしくお願いいたします。私がいては、ミーア様が落ち着かないみたいですし。きっと猫の赤ちゃんだけだったらそれほど威嚇しないと思うんです。だから、ルードヴィッヒ様にこの子を託します。」


「ああ。わかった。やはりミーアも乳児を抱えているから、警戒心が強いようだね。すまない。」


「いいえ。ミーア様は子供を守ろうとする母親ですもの。」


 私は部屋の外に出て、ミーア様の視界から姿を隠す。でも、猫の赤ちゃんが心配なのでドアの傍で聞き耳をたてて中の様子を伺う。


「ミーア。ほら、猫の赤ちゃんだよ。この子はお母さんとはぐれてしまったみたいなんだ。母親が恋しいと泣いているんだ。ミーア。この子にもお乳を分け与えてくれないかい?」


「シャーーーーッ。ヴーーーーーッ。」


 ルードヴィッヒ様が優しい声でミーア様に話しかけている。ミーア様はまだ警戒しているようでうなり声を上げていた。でも、先ほどよりも落ち着いて来ているような気がする。

 私は、音を立てないようにそぉーっとドアを開ける。僅かに開いた隙間から中の様子を伺う。

 ミーア様は猫の赤ちゃんのことを威嚇しながらも気になるようで、自らの鼻を猫の赤ちゃんの顔に近づける。何度かクンクンと匂いを嗅いだ後、ミーア様はうなり声を上げなくなった。

 まだ少し警戒はしているようだが、ルードヴィッヒ様の手の上の猫の赤ちゃんにミーア様は顔を近づけて、大きく口を開く。

 そして、


 パクッ


 と、猫の赤ちゃんの首根っこを噛んだ。


「!!!!!?」


 まさか、相手は赤ちゃんなのに噛みつくなんて!と、私は思わず悲鳴を上げそうになる。でも、ルードヴィッヒ様は何も言わずにこにこしながら、ミーア様と赤ちゃんの様子を見つめていた。

 猫の赤ちゃんはピタリと鳴き止んだ。


 あ、あれ?もしかして、気に入らないから噛みついたんじゃないの……?


 ミーア様は口にくわえた赤ちゃんをトテトテと自分の寝床にしているカゴの中に連れて行く。そして、その場で口を放した。それから、猫の赤ちゃんの頭をミーア様がざらざらとした舌で舐める。

 猫の赤ちゃんは、ミーア様の赤ちゃんと一緒になって、ミーア様のお乳を探し出すと咥えて、前足でふみふみとミーア様のお腹を触り出す。

 そこまで見届けて、ルードヴィッヒ様がこちらにやってきた。


「なんとか、ミーアは赤ちゃんを受け入れてくれたようだよ。よかった。」


「ええ。本当によかったわ。」


「そうだね。でも、まだ安心はできないからね。二時間起きには様子を見なければ。」


「二時間おき?」


「そうだよ。猫の赤ちゃんは、一度にいっぱいお乳を飲めないんだ。だから、2~3時間置きにお乳を飲ませなければならないんだよ。その間、ミーアが毎回お乳を分け与えてくれるかはわからないから様子を見ないとね。それに、お乳を飲んだあとは、赤ちゃんの排泄を手伝ってあげないといけないんだ。猫の赤ちゃんはお乳を飲んでいるうちは自分で排泄できないからね。お尻を優しくさすって排泄を促す必要があるんだよ。」


 私の問いにルードヴィッヒ様は事細かく教えてくれる。

 ルードヴィッヒ様の言葉を聞くと寝る暇がないように聞こえるんだけれども。というか、実際に寝る暇もないのだろう。


「まさか、ルードヴィッヒ様がミーア様につきっきりで離れで寝泊まりしていたのは……。」


「ああ。気になってしまってね。自分の子だから大丈夫だとは思うんだけどね、ちゃんとにお乳あげてるかなぁとか、ちゃんとに排泄できているかなぁって気になってしまって。ずっとミーアとその子供たちに付き添っていたんだよ。」


 どうやらルードヴィッヒ様は心配性なようだった。


「あの……。私もご一緒させてください。……ミーア様が許してくれたら、ですが。」


「そうだね。ミーアが許してくれるといいんだけど……。」


 そうして、ミーア様が猫の赤ちゃんにお乳をあげ終わった頃合いでもう一度部屋の中に入った私は無事にミーア様に部屋の外へと追い返されるのだった。

 うぅ。私もミーア様と赤ちゃんたちのお世話をしたいのに……。

 前途は多難である。




☆☆☆☆☆




「ルードヴィッヒ様。あの子の様子はいかがでしょうか?」


 ミーア様に預けた仔猫の様子が気になり、私は毎日のように離れに通っては状況を確認する。

 私はまだミーア様に気を許してもらえず、部屋の中に入ることをミーア様から許可されてはいなかった。

 

「やあ、ユフィリア。いらっしゃい。今のところは、ミーアがちゃんとにあの子のことを面倒見ているよ。」


「そうですか。よかったわ。」


「そうだね。やはり仔猫ちゃんの免疫を高めるためにもミーアのお乳は必要だからね。私たちは仔猫ちゃんのお世話を出来ても、仔猫ちゃんの免疫を高めることはどうしても難しいからね。」


 ルードヴィッヒ様はそう言いながらどこか疲れたように微笑んだ。

 そう言えば、ルードヴィッヒ様の目元に薄っすらと……どころかはっきりと隈がある。それに、顔色も青白いような気がする。足元も、どこかふらついているようにも見える。

 

「……ルードヴィッヒ様?寝てらっしゃいますか?」


 心配になって問いかければ、

 

「寝てはいられないよ。だって、あの仔猫ちゃんはミーアの子供ではないからね。いつミーアがお世話を放棄するかわらかないから、寝てなんていられないよ。」


 そう言ってルードヴィッヒ様は苦笑した。


 私ったら、離れに入れないことをいいことにすっかり仔猫の世話をミーア様とルードヴィッヒ様に押し付けてしまっていたわ。

 

「ルードヴィッヒ様。寝てください。あの子は一日中ミーア様にお世話をしてもらわなくても大丈夫だと思います。一日に数回だけミーア様にお乳を別けてもらえれば免疫はつくと思います。違いますか?」


 断じて可愛い仔猫をルードヴィッヒ様に独り占めされている状況が気にくわないわけではない。私だけ仔猫の世話から外されているような気がして寂しいという気持ちはあるけれど。

 

「それは、そうだね。でも、そうしたらその分誰かが仔猫ちゃんにミルクを与えて、排泄物の処理をしなければならないよ?」


「私がやります。だから、ルードヴィッヒ様は寝てください。ミーア様だって自分の子供たちだけならお世話を放棄なさることはないでしょう?」


「それはそうだけど……。2時間ごとにミルクを与えて、排泄物の処理をするんだよ?」


「ええ。私にもできるのではないかと思います。」


 仔猫へのミルクの与え方も、排泄物の処理の仕方もナーガさんに一通り教えてもらっている。

 

「だが、想像と実践では全然違う。仔猫ちゃんは玩具ではないんだよ?たった一つの命なんだ。」


 ルードヴィッヒ様はとても真剣な目をして私を見つめながら諭してくる。

 ルードヴィッヒ様からは私には仔猫のお世話なんて無理だろうという思いがひしひしと伝わってきた。

 私のことを何も知らないルードヴィッヒ様にそう思われるのはとても嫌だった。

 確かに、尊い命を一つ私が預かることになる。その責任は重大だ。

 

「わかっております。私よりも、猫ちゃんに詳しいルードヴィッヒ様がミーア様と一緒に仔猫の面倒を見るのが一番いいのはわかっております。ですが、このままではルードヴィッヒ様が倒れてしまいますわ。それに、私だってこの子が大事なのです。責任をもってお世話をいたしますわ。」


 私だって、ちゃんとに仔猫のお世話を出来るということをルードヴィッヒ様に知らしめてあげるわ。

 私のことをただの貴族の令嬢だと侮らないでほしい。

 

「……わかった。でも、仔猫ちゃんのお世話は本当に大変なんだ。ミルクをあげて排泄物の処理をして、それに保温もしないといけない。まだまだこの子は赤ちゃんだからね。自分で体温を保てないんだ。」


「この子から目を離せないということはわかっております。覚悟しておりますわ。」


「……自分の時間なんて取れないと思ってくれ。」


「ええ。もとより保護猫施設に猫ちゃんたちのお世話に行くくらいしかしておりませんもの。大丈夫ですわ。」


「わかった。だが、ダメだと思ったらすぐに言うんだよ。プライドよりも助けを求めることが優先だ。」


「……わかっております。」


 ルードヴィッヒ様の言い方だと私が意地を張ってこの子に何かあっても自分でなんとかしようとして悪化させると思っているらしい。心外だ。

 この子のためなら私はプライドだって投げ捨てて見せるのだから。

 

「そう。じゃあ、仔猫ちゃんのことを君に任せるよ。試すようなことを聞いてすまないね。」


「いいえ。大切な命を預かるのですもの。ルードヴィッヒ様が心配なされるのも無理はありませんわ。」


 私はこうして昼間の間だけ仔猫の世話をすることになったのだった。



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