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「失礼するっ!ユフィリアはまだいるか!ユフィリアがまだ屋敷に帰ってきていないんだっ!」


 ナーガさんから猫の赤ちゃんのお世話の方法を教えてもらっていると、慌てながらルードヴィッヒ様がやってきた。

 私はハッとなって時計を見る。

 時計は夜7時を指していた。

 確かにいつもは5時までには帰宅していた。今日は、猫の赤ちゃんを保護してしまったため家に帰るのが遅くなった。遅くなるなら遅くなると家に伝達すればよかったのだが、そのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。


「あら、コンフィチュール辺境伯いらっしゃい。ちょうどよかったわ。」


「も、申し訳ございません。ルードヴィッヒ様。連絡を入れるのを忘れておりました。」


「ああっ!ユフィリアよかったっ!心配していたんだよ。」


 ルードヴィッヒ様はナーガ様への挨拶もそこそこに私の元へ大股でよってきた。


「きゃっ!」


 そして、私はルードヴィッヒ様に強く抱きしめられた。

 初めてルードヴィッヒ様の腕の中に捕らわれた私は目を白黒させた。

 いったい、なぜ。私はルードヴィッヒ様に抱きしめられているのだろうか。


「よかった。ユフィリア、よかった。」


 ルードヴィッヒ様は何度も「よかった」と呟きながら私の肩口に顔を寄せる。


「も、もうしわけございません。」


 私はとてもルードヴィッヒ様を心配させてしまったようだ。

 ミーア様を置いて私のことを探しに来てくれるだなんて……。と思うと思わず涙が浮かんできてしまう。

 ミーア様よりも私のことを初めて優先してくれたような気がして。


「なにがあったんだ?君が連絡もなく遅くなるだなんて……。君はとってもしっかりした誠実な女性だから、私はとても心配していたんだ。君が帰ってこなくて心配で心配で。ミーアにも怒られてしまったよ。」


「いえ……。帰宅途中に猫の赤ちゃんを見つけてしまって……。とても身体が冷たかったのでナーガ様に助けを求めておりました。」


「……そうか。君はなんともないんだな?」


 ルードヴィッヒ様は至近距離で私の目を見つめながら心配そうに問いかけてくる。

 私はルードヴィッヒ様を直視できなくて、そっと目を逸らす。


「私は、大丈夫です。」


「よかった。」


 ルードヴィッヒ様は私のことがよほど心配だったのか、私の身体を離そうとしない。


「はいはい。仲がとってもよろしいのね。安心したわ。」


 ナーガ様が手をパンパンッと二回叩いてルードヴィッヒ様の意識をナーガ様に向ける。ルードヴィッヒ様はナーガ様の存在に気がついて私からパッと離れた。

 ルードヴィッヒ様の体温が離れていくことがなぜかとても寂しかった。


「今、ユフィリアさんに猫の赤ちゃんのお世話の仕方を教えていたのよ。どうやらこの子、お母さんと離れてしまったみたいで。衰弱していたところをユフィリアさんが保護してくださったのよ。だからね、せっかくだからユフィリアさんにこの赤ちゃんを育ててもらったらどうかと思って、お世話の仕方をレクチャーしていたのよ。もちろん、コンフィチュール辺境伯も一緒にお世話をしてくださるでしょう?」


「君は、とても素晴らしいおこないをしていたんだね。さすがはユフィリアだ。もちろん、私もユフィリアと一緒に世話をするよ。」


 ルードヴィッヒ様は優しく微笑んで私を見つめてくる。


「よかったわ。二人でちゃんとにお世話をしてね。赤ちゃんのお世話はとっても大変なんだから。ユフィリアさんにだけ任せておいたらダメよ?」


「ええ。わかっています。この一週間ずっとミーアのことを見ていましたからね。」


「そうだったわね。ああ、ちょうどいいわ。」


 ナーガさんはそう言って名案が浮かんだとばかりに手を叩いた。


「……?」


 ちょうどいいってなにがだろう。私はわからずに首を傾げる。


「赤ちゃんはね、お母さんの母乳で育つのが一番いいのよ。お母さんの母乳にはいろいろな免疫が含まれていてね。母乳を飲むことで赤ちゃんはすくすく育つのよ。ここにあるミルクは猫のお母さんからとったミルクではないの。山羊のミルクなのよ。もちろん山羊のミルクでも猫の赤ちゃんは育つわ。でも、一番は猫のお母さんの母乳を飲むことなの。」


「は、はあ。知りませんでした。」


 私はナーガさんの説明に頷く。

 猫の母乳の方が良いということは、この保護猫施設にいる猫で母乳が出る猫を探すということだろうか。

 でも、この一週間保護猫施設に通ったが、子猫はいても猫の赤ちゃんの姿は見ていない。


「この施設には、今赤ちゃんに母乳を提供できる猫ちゃんがいません。でも……。」


「ミーアがいる!」


 ナーガさんの声を遮ってルードヴィッヒ様は声を上げた。


「ええ。そう。ちょうど最近赤ちゃんを産んだミーアちゃんがいるわ。ミーアちゃんが受け入れてくれるかはわからないけれど、もしミーアちゃんが受け入れてくれればこの子のためにもなるわ。」


 ナーガさんはルードヴィッヒ様に声を遮られたことが気にならないようでそのまま言葉を続けた。

 私は意味がわからなくて、視線を彷徨わせる。


 確かにミーア様は赤ちゃんを産んだばかりで母乳がでるだろう。でも、人間の母乳でもいいの……?


 なにかがおかしい。

 私はなにか勘違いをしている……?


「あの……ルードヴィッヒ様。ミーア様のお乳でもよろしいのですか?」


「ああ。まあ、問題はミーアがこの子を受け入れてくれるかが問題だけどね。その時は、仕方が無いが山羊のミルクで育てるしかないかな。」


 ルードヴィッヒ様は少しだけ不安そうな表情をした。

 でも、ミーア様のお乳でも問題ないらしい。

 そんなものなのかなぁ。


「そうだね。せっかくだし、セレスティアもミーアに会ってみるかい?……まだ警戒はすると思うんだけど。ミーアが警戒するようなら距離を取って欲しい。」


「え、ええ。わかったわ。」


 私は緊張する。

 ルードヴィッヒ様の愛人であるミーア様に会えるのだから。

 ミーア様となにを話したらいいのだろうか。

 それよりも、ミーア様は私を受け入れてくれるのだろうか。警戒して逃げてしまったりしないだろうか。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。慌てなければミーアは君を受け入れてくれるはずだから。それよりもまずは、この子をミーアが受け入れてお乳をあげてくれればいいんだけど……。」


 私の手の中にいる猫の赤ちゃんを見つめてルードヴィッヒ様は困ったように笑った。


「そうですね。ミーア様がこの子を受け入れてお乳を分け与えてくれれば良いのですが……。あの……それで、ミーア様というのは……。」


 何故だか、ミーア様が人間ではないような気がして私は失礼を承知でルードヴィッヒ様にミーア様はもしかして人間ではないのではないかと言うことを確認しようと声をあげた。

 思えば5つ子が産まれたと聞いた時点で疑うべきだったのだ。

 極まれに3つ子が誕生することもあるときいたことがあったから、そのまま鵜呑みにしてしまったけれど、普通に考えればおかしいことなのだ。


「ああ。屋敷に着いたよ。私の後をついてきてくれるかい?」


 私の声は家に着いたという声にかき消された。

 まあ、今聞かなくてもすぐにミーア様に会えるのだから構わないけれども。


「はい……。」


 私は両手で猫の赤ちゃんを抱きながらルードヴィッヒ様の後ろをついて歩く。

 そして、離れの玄関の前までたどり着く。

 ここにルードヴィッヒ様の愛人?のミーア様が住んでいるのかと思うと緊張が最高潮まで高まる。

 ルードヴィッヒ様が先に玄関に入り私を迎え入れてくれる。

 玄関を入るとまたすぐにドアがあった。二重ドアになっている珍しい作りの建物だ。

 玄関のドアを閉めたことを確認すると、内側のドアを開ける。

 私は、ドアをくぐり抜けた。

 部屋の中にはふわふわした毛並みの淡い色の絨毯がしかれていた。その上にテーブルやソファーなどが置かれている。

 ミーア様はどこにいるのだろうか。


「ミーア。留守にしてごめんね。すまないが、ユフィリアはここで待っていてくれるかい。ミーアが警戒するといけないから。」


 ルードヴィッヒ様は部屋の中に入ると、ミーア様の名前を呼びながら探し始める。

 部屋の中の僅かな隙間や、穴の開いた箱の中やカゴの中を確認していく。

 そして、ミーア様を見つけたのかルードヴィッヒ様の声が弾んだ。


「ミーア。ここにいたんだね。今日は私の妻と、猫の赤ちゃんを連れてきたんだよ。ミーア、君の子たちと同じくらいの赤ちゃんなんだ。ミーアのお乳をわけてくれないかな?」


 私のところからはミーア様の姿は見えない。だけれども、やはり人間ではなかったみたいだ。だって、人間の女性が隠れられるような場所はないのだから。


「みゃあ。」


 鈴の音がなるような澄んだ声が聞こえた。

 これが、ミーア様の声?

 ミーア様はルードヴィッヒ様を見つけるとゆっくりと立ち上がった。

 真っ白な毛並みとピンッと立った三角の耳がが見える。


「ミーア。」


 ルードヴィッヒ様は優しくミーア様の頭を撫でる。ミーア様は嬉しそうに目を細めてルードヴィッヒ様に身体を預けているようだ。


「みぃーーー。みぃーーー。」


 その時、私の腕の中にいた猫の赤ちゃんが鳴き出した。

 きっと、ミーア様の鳴き声を聞いたからだろう。


「シャーーーっ。」


 ミーア様は一声鳴くと、私たちの方に視線を移した。そして警戒するように真っ白な耳を後ろにペタッと倒した。

 そして、威嚇をしてくる。

 まさか、ミーア様が真っ白な猫ちゃんだったなんて。

 私は緊張が一気にほどけてその場にへたり込んでしまった。


「ユフィリアッ!?」


 私が崩れ落ちたことに気づいたルードヴィッヒ様が私の元に駆け寄ってくる。


「ふっ……ふふ。ミーア様って猫ちゃんだったんですね。」


「そうだが……?私は君にミーアが猫だってことを言っていなかったか?おかしいな?だが、ユーフェにミーアのことを説明するように結婚式が終わった後に言っておいたんだが……。」


「……きいておりませんわ。」


「そうか。ユーフェはしっかりしているから伝え忘れたというのは考えられないのだが……。ふむ。ユーフェを問いただす必要がありそうだな。ちなみに、君はミーアがなんだと思っていたんだい?」


 どうやらユーフェが私に伝え忘れていたらしい。というより、故意に伝えなかった?

 もしかして、ルードヴィッヒ様に愛人がいるように私に誤解を与えるようにしていたのかしら?


「……ルードヴィッヒ様の想い人かと。」


「……そうか。ユーフェにしてやられたな。」


 ルードヴィッヒ様は頭を抱えてしまった。

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