6
「ライラ。保護猫施設に行くわ。用意してもらえるかしら?」
朝起きて一人で寂しく朝食を取ると侍女のライラに声をかけた。
まだ専属の侍女を決めていないのだが、私はライラを指名することが多かった。ライラは侍女としてはまだどこか抜けているところがあるが、なぜだかそこが可愛らしくて気に入ってしまったのだ。
ライラを見ていると不器用な小動物を見ているようだ。
「奥様。本日は旦那様とお話をなさるのでは……?」
「いいのよ。ルードヴィッヒ様は忙しいと言ってばかりで私のことを一週間もないがしろにしていたのだから。」
これはルードヴィッヒ様への意趣返し。
愛人であるミーア様のことは気になるが、気になるから教えて欲しいとこちらから言ってしまったら私の負けなような気がしてきた。せめて一週間はルードヴィッヒ様との接触は最低限にとどめようと決めた。
「それは……ですが、あの時はミーア様が……。」
「そうね。ミーア様が出産なされたばかりで忙しかったのよね。わかっているわ。だから、よ。」
「確かに旦那様はミーア様のことを大変大切になされておりますが、それは……。」
「いいのよ。わかっているから。それ以上は言わなくていいわ。」
ライラの言葉を遮って私は言葉を紡ぐ。
わかっているのよ。
ルードヴィッヒ様が私に優しくなったと言っても、ルードヴィッヒ様の一番大切な人はミーア様だって。私はミーア様には敵わないんだって。ミーア様とルードヴィッヒ様の間にどんな強い絆があるのかはわからないけれど、それはきっと私が割り込むことなんて出来ない絆なんだと思う。
私はこの一週間でルードヴィッヒ様と普通の夫婦になることはもう諦めたのだ。
「そうですか……?ちゃんとに旦那様とミーア様のことをわかっていると知って安心いたしました。そうですよね。一週間も放っておかれたんですものね。奥様も旦那様と同じことをなさりたい気持ちはとても良くわかります。でも、一週間経ったら必ず旦那様と話し合ってくださいね。」
「ええ。わかっているわ。」
ライラはルードヴィッヒ様とミーア様の邪魔をしないようにと私に言っているのだろう。そして、話し合えと。ミーア様とルードヴィッヒ様の仲を認めろということよね。
「……わかっていらっしゃるのなら良いのですが……。」
ライラはどこか不安そうに呟いた。
私は本当にわかっているというのに。ライラが心配することではないのに。
☆☆☆☆☆
「今日もルードヴィッヒ様に待ち伏せされてしまったわ……。」
保護猫施設から戻ってくるとルードヴィッヒ様が屋敷の玄関の前に立っていた。ミーア様のところにいなくても良いのだろうか。
ルードヴィッヒ様は私が保護猫施設でルードヴィッヒ様と愛人であるミーア様のことを話題に出したのではないかと心配しているのか、私が保護猫施設に行った日は必ず玄関で迎えてくれるようになった。
まあ、保護猫施設に行くくらいしか私が外出する用事はないのだけれども。
ルードヴィッヒ様は毎回私に保護猫施設で何をしたのか、とか。気に入った猫ちゃんはいたのか、とか。猫ちゃんを迎え入れるための準備についてほぼ一方的に話しかけてきた。
私はそのどれもを聞き流す。
だって、ルードヴィッヒ様は私のことを一週間も無視してくださったのですもの。私も一週間はルードヴィッヒ様の言うことはすべて聞き流すことにした。
ただ、猫ちゃんの飼い方については聞き流すふりをしてしっかりと忘れないように頭の中にメモをしたけれど。
「旦那様は奥様とお話をなされたくて必死なんですよ。」
ライラはそう言って湯浴みを終えた私の髪をタオルドライする。
「なぁぜ?」
ライラの力加減はとても絶妙だ。いつもはどこかおっちょこちょいなところがあり、落ち着きがないのだけれども私の髪を乾かす時だけはとても手際がいい。
「旦那様は奥様のことをとても気に入っておいでですから。もっともっと奥様と仲良くなりたいと思っているのです。」
「……そうかしら?だって、ルードヴィッヒ様にはミーア様がいるのよ?」
私がそう返すとライラの手が一瞬止まった。
私はライラのいる方に視線を向ける。
「……やっぱり、奥様はなにかミーア様のことを誤解しておりませんか?」
「誤解なんてしていないわ。」
「そうですか?旦那様はミーア様のことをとても愛しておられると思いますが、奥様に向ける好意とミーア様に向ける好意とは異なるものです。だから、奥様が心配なさる必要は……。」
「そうね。確かにミーア様への愛はとてもとても深いのでしょうね。」
「奥様……。」
わかってはいたけど、他人の口から……ライラからあえて言われると少し堪える。
端から見ても私はお飾りの妻だということがわかるというのだから。
「明日は奥様が保護猫施設にいかれてから一週間が経ちます。明日こそ、旦那様からお逃げにならないでください。」
ライラは少し強めの口調で言う。
私はただ首を縦に振った。
わかってはいることなのに、明日が憂うつで仕方ない。
「ライラ、保護猫施設に……。」
「奥様。今日こそは旦那様とお話をするのではなかったのですか?」
最近ライラがしっかりとしてきたような気がする。最初はどこか頼りなかったのに。
ルードヴィッヒ様から逃げるためにここのところ毎日保護猫施設に通っていた。
「でも……。」
「旦那様には今日は奥様は保護猫施設に行かずに旦那様とお話されるとお伝えいたしました。もうすぐいらっしゃるのではないでしょうか?」
「えっ!?ライラ仕事が早いわ。」
本当にライラがこの一週間でずいぶんと仕事が出来るようになった気がする。
「むふー。私は仕事が出来る侍女なんです。」
「……一気に仕事が出来ない侍女になったわね。」
ライラのことを褒めたら胸を張って認めた。とても誇らしげな表情だ。でも、その表情を私に見せるのはいかがなものだろうか。
「むぅ。奥様はとても評価が厳しいです。」
「だからね。私の前でそれを言うのは……。」
ライラが私に気を許してくれているのか、それとも私のことを軽んじているのか微妙なところだ。
「少しは緊張がほぐれましたか?」
「え?」
「奥様は旦那様に会われる前はとても緊張なさっておいでです。」
「あ……そうね。」
どうやらライラは私のことを気遣って軽口を叩いていたらしい。
「ユフィリア……今、いいかな?」
ライラと話していると、ルードヴィッヒ様がやってきた。今日は保護猫施設に行かないことになっているので、断る口実がなくなってしまった。キョロキョロと辺りを見回し、なにか逃げる手立てはないかと探すもライラに首を横に振られる。
「……ええ。」
さっそく私には頷くしか選択肢がなかった。
「よかった。君は、とても猫が好きなんだね。毎日保護猫施設に通っていたと聞いたよ。どうだい?気に入った子はいたかい?」
今日はとてもお天気が良い。春のポカポカ日よりなので、庭にある東屋に案内された。
教育の行き届いた使用人は私たちが東屋に行くとわかると、紅茶を用意してくれた。今は、ルードヴィッヒ様と二人、侍女の淹れてくれた紅茶を飲みながら東屋で向かい合って座っている。
話を切り出したのはルードヴィッヒ様からだ。
ミーア様の話題にはまずは触れないらしい。
安心したけど、どこかちょっと言い表せないけれどなんだか複雑な気分だ。
「ええ。マーマレード伯爵邸に居た頃はお父様が獣を飼うことに大反対でしたので、今はとても充実した毎日を過ごしておりますわ。」
「そうか。それはよかった。迎え入れたい子はいたかい?」
ルードヴィッヒ様は穏やかに問いかけてくる。
その表情は今日のお天気のようにポカポカと暖かかった。
「……どの子もとても愛らしくて可愛らしいんです。一匹に決めるのなんて無理です。」
お世話をしていて実感した。どの子もとても可愛らしいのだ。
ナーガさんが言っていたように一匹一匹それぞれ性格が違うのだ。その性格の違いすら、どの子も愛おしいと感じてしまう。
「一匹でなくても大丈夫だよ。辺境の地ではあるがこの地域は自然豊かで飢饉の心配もそれほどない。領地の収入もそれなりにあるからね。何匹でも好きなだけ迎え入れることができるよ。」
「でも、それではなにかが違うのですわ。あそこにいる子たちみんなが大好きなのです。みんなを迎え入れてしまえばそれはもう今のままと変わりません。」
「そうだね。国で管理している保護猫施設と一緒になってしまうね。」
「そうでしょう?それならば毎日ボランティアとして保護猫施設に通った方が良いのではないかと思ってしまったのです。」
「確かにそうだね。」
ルードヴィッヒ様は私の答えに納得したように頷いた。
「君はとても優しい女性なんだね。だから、猫ちゃんたちのことをとても良く考えていてくれる。」
「そんなことは……。ただ、ナーガ様がいろいろと教えてくださったのです。」
全てはナーガ様の受け売りだ。
ナーガ様と話すことで今までどれだけ自分が傲慢な考えを持っていたのか知ることができた。猫ちゃんに対してどこか物のように感じていたことがナーガ様との会話でわかった。
猫ちゃんは物じゃない。家にお迎えしたら大切な家族なんだってことを教えてもらった。
「そうか。今は王太后陛下が視察に来る時期だったね。」
「えっ……。王太后……陛下……?」
私はルードヴィッヒ様の言葉に数秒固まってしまった。
今、ルードヴィッヒ様はナーガ様のことを王太后陛下と呼んだような気がする。
そういえば、どこかで見たことのあるお方だと思っていたが、王太后陛下だったの……?
ライラとかとっても気軽に王太后陛下に話しかけていたけれど、無礼ではなかったかしら。
「……あれ?もしかして王太后陛下は君に身分を明かしていなかったのかい?ああ、これはまずいことをした。私は王太后陛下に怒られてしまうなぁ。まあ、この話はきかなかったことにしておくれ。次に王太后陛下にお会いしたときもいつも通りに振る舞うようにね。」
この男は何を言っているのだろうか。
思わずまじまじとルードヴィッヒ様を見つめてしまった。
王太后陛下だと知って今まで通り「ナーガ様」と気安く呼ぶことができるだろうか。
「あー……。すまないね。私の失言だったよ。あのお方はお忍びで視察に来ているんだ。どうか王太后陛下ではなく、猫が大好きなただのナーガ様だと思って接して欲しい。」
「……善処いたしますわ。」
できるかどうかは保証しませんが。
それにしても、いつまで経っても離れの話もミーア様の話もルードヴィッヒ様の口から出てこない。
それなりに覚悟しているというのに。
やはり愛人の話は妻である私にしづらいのかしら。
「王太后陛下は、ミーアのことをなにか言っていたかい?」
と、思った矢先に急にミーア様の話題が振られたので私は思わず口に含んだ紅茶を吹き出しそうになってしまった。
ちょっと待って。え?
なんで、王太后陛下がルードヴィッヒ様の愛人のミーア様のことを聞いてくるの!?
もしかして、ミーア様って王族だったりするの?
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