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「まあ。とても綺麗なところなんですね。」
保護猫施設の周りには色とりどりの花が植えられていた。
建物自体も掃除が行き届いているようで、外から見ても清潔感がある。
「はい。ルードヴィッヒ様もこの施設には多額の寄付と人手を貸しております。」
ライラは誇らしげに言うと保護猫施設の呼び鈴を押す。
すぐに中から初老の女性が姿を現した。
「こんにちは。今日はナーガさんがいらしてたんですね。」
「あら、コンフィチュール家のライラちゃんね。いつもボランティアに来てくれていると聞いているわ。ありがとう。」
「いいえ。ナーガさんにお会いするのは一年ぶりですね。おかわりないですか?」
「ありがとう。私は変わらないわよ。……ライラちゃんと一緒にいる方はコンフィチュール辺境伯夫人かしら?本日はお越し下さりありがとうございます。」
ライラと和やかに話しているナーガと名乗った女性、どこかで見たことがあるような気がする。どこだったか思い出せないけれど。王都にいたときに会ったことがあるような気が済むのだ。
「ユフィリア・コンフィチュールと申します。よろしくお願いいたしますわ。」
「ユフィリア様ですね。私はナーガと申します。さあ、よかったらお入りください。可愛い猫ちゃんたちがお待ちかねですよ。」
ナーガさんはとても気品があり洗練された笑みを見せた。
慈愛の溢れる笑みに私までにっこりと微笑んでしまう。
ナーガさんに案内されるまま、保護猫施設に入る。
玄関も廊下も隅々まで掃除が行き届いている。獣を扱っているところだから、汚い印象があったが全然違うようだ。
「とてもきれいね。」
思わず感想を漏らしてしまう。
「ええ。猫ちゃんたちはとても綺麗好きですから。汚いと猫ちゃんたちも病気になってしまうのですよ。猫ちゃんたちは、とてもデリケートなんです。それに、ここで、働いていてくれる人たちは猫ちゃんたちのことを大事にしてくださる方が多いから。」
私の小さな呟きをナーガさんは拾い上げて掃除が行き届いている理由を答えてくれた。
「まあ。たくさんいるのね。」
施設の中にはいろんな柄の猫が思い思いの場所でくつろいでいる。
真っ白な猫。
真っ黒な猫。
トラ模様をした猫。
白と黒がまじってる猫が。
茶色や焦げ茶がまじってる猫など、様々な柄の猫がそこにはいた。
「ええ。いろんな子がいるのよ。猫と言ってもね。人間と同じで性格も一匹一匹違うのよ。どの子もとても可愛いわ。」
慈愛に満ちた表情でナーガさんは猫ちゃんたちの紹介をしてくれる。
驚いたことに猫ちゃんたちにはそれぞれ名前がつけられていた。模様の似てる子もいるのに、ナーガさんはスラスラと名前を告げていく。
ナーガさんの猫ちゃんに対する愛が伝わってきた。
「ここにいる猫ちゃんたちは幸せですね。」
「そう?でも、この子たちを家族として迎え入れてくれる人がいるほうが、この子たちも幸せだと私は思うわ。」
「……私、猫ちゃんたちが可愛くて家にお迎えできたらって思ってたんです。でも、ナーガさんの猫ちゃんたちに対する深い思いを聞いてしまったら気軽に猫ちゃんをお迎えするのは違うような気がしてしまいました。」
ここに来るまではどんな子をお迎えしようかとばかり考えていたけれども、ナーガさんの猫ちゃんたちに対する進撃な思いを聞いてしまったら軽はずみに猫を飼いたいとは言えなくなってしまった。
「そうね。そう思ってくださるならユフィリアさんは大丈夫よ。あなたは猫ちゃんに幸せを与えられる人だわ。」
ナーガさんはそう言って微笑んだ。
「お家に猫ちゃんをお迎えしたいのよね?どの子が良いかしら?」
ナーガさんは嬉しそうに微笑みながら、それぞれの猫ちゃんたちの性格を簡単に教えてくれる。
「あの……今日すぐに決めなければなりませんか?しばらく通わせていただいてじっくり決めたいんです。」
「大丈夫よ。ゆっくり決めてちょうだい。猫ちゃんとの相性もあるから。」
ナーガさんはそう言って二つ返事で頷いた。
本当だったら今日すぐに決めて連れて帰ろうと思っていた。でも、どの子も可愛らしくて決めることができない。容姿が整っている子も素敵だけど、少し不格好でも愛嬌のある子も多い。
どうせなら生涯幸せにしてあげられる子をお迎えしたい。
私はこの日は保護猫施設を見学するだけにとどめた。
ナーガさんは猫のトライアルも出来ると教えてくれたが、それは猫にとって負担になるのではないかと考えた。私だって慣れない地に嫁いできて精神的に疲れたもの。猫ちゃんたちだって慣れないお家だと疲れてしまうかもしれない。
そうして大変な思いを猫ちゃんにさせるのに、やっぱこの子は違いました。と言って返すのもおかしなものだ。
どの子にも負担にならないようにしたい。
「よかったんですか?あんなに楽しみにしていたのに。」
「ええ。いいのよ。ゆっくり決めるわ。時間はいっぱいあるしね。それにボランティアは大歓迎だってナーガさんおっしゃってたもの。毎日通って猫ちゃんたちのお世話をして相性が良い子を迎えようと思うの。」
「そうですね。それは良い考えですね。」
帰りの馬車の中、ライラとそんな会話をした。
「ああ、今帰ったのかい。お帰り。待っていたよ。保護猫施設はどうだった?お気に入りの子はみつかったかい?」
家につくと、珍しいことに……というより初めてルードヴィッヒ様が私を出迎えてくれた。
「ただいま戻りましたわ。とても素敵なところでした。」
「おや。猫ちゃんはお迎えしなかったのかい?」
ルードヴィッヒ様は私が猫をつれていないことに不思議そうに首を傾げた。
「ええ。いろんな子がいて、私が幸せにできそうな子をみつけるためにしばらくボランティアで保護猫施設に通おうと思っているのです。ゆっくり決めても良いかと思いまして。」
私がそう告げると、ルードヴィッヒ様は破顔した。
「そうか。君はとても猫ちゃんたちのことを気にかけてくれているんだね。私はとても嬉しいよ。そうだ。これから時間はあるかい?疲れているだろうけど、少しミーアのことを話そうと思ってね。」
「……申し訳ありません。少し、疲れてしまいましたわ。」
今の私の頭の中は猫ちゃんたちのことでいっぱいだ。
猫を飼うということを簡単に思っていたが、猫を飼うことは家族が増えること。守るべき家族が増えるということだ。途中で投げ出すわけにはいかない。
それに、昨日までミーア様というルードヴィッヒ様の愛人のことを説明するのが嫌で忙しいと逃げていたルードヴィッヒ様が今日になってミーア様のことを話したいと言っても身構えてしまう。
しかも、ルードヴィッヒ様は上機嫌なのだ。
愛人のことを私に説明するのに上機嫌というのはいったいどういった神経をしているのだろうか。
結婚してから一週間。ルードヴィッヒ様とはほとんどしゃべることがなかった。それを思えば、ルードヴィッヒ様が私に歩み寄ってきているような気がして嬉しくは思う。嬉しくは思うけれど、その話題がルードヴィッヒ様の愛人だということに甚だ疑問が残る。
だから私はルードヴィッヒ様の誘いを断った。
散々私からの話を断り続けたルードヴィッヒ様への意趣返しも兼ねている。
「そ、そうか……。そうだよな。また、明日、時間をとって話そう。」
「ええ。そうしてください。あの……今日の夕食はやはり離れでとりますの?」
「ん……あ、ああ。そうだな。ミーアが待っているからな。」
「……わかりましたわ。」
結局、ルードヴィッヒ様は愛人であるミーア様が大事なのだ。きっと、私に話があるというのも、私にミーア様とルードヴィッヒ様との仲を認めて欲しいというものではないのだろうか。
貴族たちから良く思われていないことも多い猫という獣を私が好きだと言ったから、愛人も許してもらえるとでも思ったのだろうか。
せめて、結婚する前に教えてくれればまた話は違ったというのに。
「……明日、また来るよ。」
そう言って、ルードヴィッヒ様は私に右手を差し出してきた。
私はキョトンとした顔をしてルードヴィッヒ様の差し出してきた右手を見る。
ルードヴィッヒ様の右手にはひっかき傷がいくつもあった。しかも出来たばかりと思われるようなひっかき傷だ。
「えっと、私と握手をするのは嫌かい?夫婦ならハグをするのだろう?でも、君とはまだ少し距離があるようだから少しずつ距離を縮めたいと思って。握手なら、と……。」
ルードヴィッヒ様は伏し目がちに手を差し出した意味を伝えてきた。
「あ、いえ……その……。傷が……痛くはありませんか?」
「あっ。そうだった。大丈夫だよ。これは今朝君の手を握っただろう?君の匂いが手に移ってしまったようでね。手を洗わずにミーアに触ったものだから、怒ったミーアにひっかかれたんだよ。でも、痛くはないし、ちゃんとに消毒もしたから大丈夫だよ。気遣ってくれてありがとう。」
「……わたし、そんなに匂いますか?」
ルードヴィッヒ様の手の傷はミーア様にひっかかれた傷だったようだ。でも、手を握ったくらいで私の体臭がルードヴィッヒ様に移るだなんて。私はそんなにも体臭がキツいのだろうか。
不安になってクンクンと自分の手の匂いを嗅ぐ。
「君は香水をつけていないんだね。自然な匂いでとても好感が持てるよ。それに、私自体は君の匂いはわからない。ミーアがちょっと敏感なだけだから安心していいよ。」
ルードヴィッヒ様はそう言ってにっこりと笑った。
ルードヴィッヒ様が気づかない匂いに敏感に反応するだなんて、ミーア様はとってもヤキモチ焼きのようだ。よく、私とルードヴィッヒ様が結婚をすると言ったときに、反対をしなかったなと不思議に思った。
それに、ルードヴィッヒ様もルードヴィッヒ様だ。いくらなんでも、愛人であるミーア様とのやりとりを妻である私ににこやかに言うだなんてどうかしている。
普通だったら三行半を叩きつけているところだ。
だけれども、私はルードヴィッヒ様に追い出されたら行く当てがない。マーマレード伯爵家には居場所がない。私が出戻ることを厳格な父が許さないだろう。あの人はプライドというものが非常に高い。家格を守るためなら私がどうなろうと知ったことではないだろう。
その点、ルードヴィッヒ様は愛人はいるようだが、私に対して厳しくせっすることも、私の行動を制限することもない。愛人がいてもルードヴィッヒ様の元にいる方がまだ安全というものだ。悲しいことだけど。
「……私、香水のキツい匂いが苦手なんですの。ずっと匂いを嗅いでいると気持ち悪くなってしまうので、ほとんどつけません。貴族らしくないとおっしゃいますか?」
「いいや。そんなことはないさ。自然体でいることが一番だと思う。先ほども言ったように、私は君が香水をつけていないことに好感を持ったよ。」
ルードヴィッヒ様は私を肯定してくれた。
父などは私が香水をつけたがらないことに「貴族なのになぜ香水をつけないのだっ!身だしなみはしっかりと整えろ!」と怒鳴りつけてきたのに。
もちろん、香水はつけないけれど、清潔感には気をつかっているし、着るドレスの素材にも貴族らしくあるように高級な品を選んでいる。
「私の父は、私が香水をつけないことに対して怒っておりました。貴族らしくない、と。」
「そうか。君のお父様は厳格なのだな。そういえば、結婚式のときに来ていなかったようだが……。」
今頃それを言うのか。と、私はルードヴィッヒ様の顔を見た。
そう私のお父様は結婚式に参列しなかった。お母様も妹もだ。
お母様と妹は結婚式に参列したかったようだが、お父様が許さなかった。
「辺境伯などと結婚するとは……。」と、始終怒っていたのだ。ただ、怒ってはいたが結婚を取りやめることは無かった。王様から指示されたことだから、だろうが。
「……無作法な父で申し訳ありません。」
「いや、いい。嫌なことを思い出させたかな。」
「……いいえ。そんなことはありませんわ。」
私は取り繕ったような笑みを浮かべてルードヴィッヒ様を見る。
そんな私を見てか、ルードヴィッヒ様は少し困ったように微笑んだ。
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