ルビィ

第11話 夜配信とルビー

「はい! 今日から渋谷道玄坂にあります日本初の生クリーム専門店creama!!《クリーマ》さんのイメージガール決定戦に参加しています!」


アイリス:明日行ってこようかな


「あの、お店はすっごくいいところにあって、おしゃれで……そこにわたくしみゆんのポスターを――あ、アイリスさん、『明日行ってこようかな』? うそ! じゃあ、どこにみゆのポスター貼ったらいいか、チェックしてきてね!」


 いいなぁと思った。初日から二度目の配信を【ルビィ】こと瀧村晴香は車の中で見守っていた。夫は九時過ぎには駅に到着するとのことだったが、まだやってくる気配はない。そもそもこの辺りは車移動が大前提だからか、バスや電車の本数が極端に少ないのだ。

 そんな中、場所や時間を気にせずに推しを応援したり、そのまま好きなところまで「遠征」することができるファンを見てしまうとついつい羨ましくなってしまう。


 先ほどの配信でもそうだったが、〝みゆん〟があんまり丁寧に反応レスポンスをくれて、きちんとこちらを認知してくれるので、参加できる時間が限られてしまうことまで見透かされてしまうような気がする。

 だから晴香は参加できない分を投げるかのように星や他のギフティングアイテムのボタンを連打している。


マキノ@みゆん激推し垢:そういえば風船は?


マキノ@みゆん激推し垢:ラブくま×10


「……あ、マキノさん。ありがとう。また忘れるところだった。えー、さっきね、ふみちゃんに……ってうそ! くまちゃん10個もきたんだけど! ありがとう、マキノさん? みゆハート100……いや、1000個送ってあげるね。ぴぴぴぴーって……」



 かわいい。こんなふうな事態になってもなお、アイドルとしての覚悟や大人顔負けの対応力を見せてくれる彼女も、そうやって照れ笑いしているときだけは年相応の子どもに見える。こんな子たちをどうして放っておけるというのだろう。


 もう一度、駅舎に目をやる。ちらほらと人が降りてきている。当たり前のことだが、その誰もが一様にマスクをつけており、人と人との距離は目で見るよりもずっと遠く離ればなれになっている。



 晴香は時間がかかってしまう二周目の星の回収を後回しにして、自分もハートのクッションを抱きしめる可愛らしいくまのギフティングスタンプを10個投げた。初めてのイベントがどう展開するのか、さっぱりわからなかった晴香は同じファン仲間の【カリア@リッピン箱推し/4月19日までガチイベ!!】がチャージしたという金額より少しだけ多くGPを用意していたのだが、これでもうあと数百円分しか残っていない。

 古参のファンの方たちを差し置いて〝みゆん〟のレスをもらったり、流れを読まずに投げてしまっているのは申し訳ないという思いはあるものの、彼女が少しでも喜んだり、安心できるのならと思うとなかなか自分では止めることができるものではなかった。


 総配信時間が違うので単純比較はできないが、リアルタイムで見る順位表では〝みゆん〟と平澤れいらの差は初回配信後の11万ポイントから8万ポイントまで縮まっていた。

 彼女があと一回配信ができることや、そもそもまだトータルで一時間も配信していないことを思えばその差はほとんどないにも等しい。

 もちろん、晴香が自由に扱えるお金には限度があるし、それを全て注ぎ込んでは次にやってきたLipp'inガールズのライブにも行けなくなってしまうが、〝みゆん〟があんまり嬉しそうに〝ふみたん〟が買ってきてくれたという星のメタリックバルーンを膨らませているのを見ると、魔法にかかったかのように親指がギフティングアイテムをタップしているのだった。



「あー! うそぉ、ルビィさんも? 嬉しい。ほんと早く会ってみたいなぁ、どんな人なんだろう」


ルビィ:ふつうの人です。笑 わたしも早く会いたいな


「じゃあね、ルビィさんはルビーだから赤の風船ね! 『ふつうの人です』……面白い。ふつうに応援してね、これからも」


ルビィ:もちろん!



 油性マジックで〝みゆん〟が名前グロウネームを書いてくれた風船が彼女の背後に貼られていく。晴香は思わずそれを何度もスクリーンショットする。【ルビィ】というのは晴香の誕生石で、彼女の薬指で光っている結婚指輪にも埋め込まれている特別な石だ。



「……どうしたの、指輪見つめちゃって」


 と、そこへいつの間にか到着していた夫が助手席の側から中を覗き込んで笑った。


「わ、びっくりした……。なんかね、やっぱりわたしは、ダイヤも嬉しかったけど、ルビー、好きだなぁと思って」


 そう答えながらも片手でグロウライブのアプリを閉じる。レスをくれたばかりで、まだ《ありがとう》のスタンプも送っていないのは気がかりだったけれど、どうにか星三周分以上は投げることができた。



 ちなみに、夫にはまだグロウライブのことや、Lipp'inガールズのことは言えてはいない。もともと晴香が好きだということに批判的なわけでは全くないが、かといってアイドル文化に深く理解があるわけでもないのでどう説明していいか悩んでいるところだ。



「おつかれさま」


「いや、こちらこそ。疲れてるところ、お迎えありがとう」


 もちろん、普段からとても優しい人なので晴香がどんなふうに言おうと、ちゃんと打ち明ければ応援してくれるだろう。だが、それだけではなく、ちゃんと理解してもらいたかった。Lipp'inガールズ――本気で戦うアイドルたちのことを。


 夜配信は未成年の配信可能規定時刻の午後十時までの一時間。駅から自宅までは車で十数分もあれば着く。


「ね、ねぇ。着いてからでいいんだけど、一本だけ友人に電話を入れてもいい? 夕食は済ませたって言ってたよね」


 街明かりの多い国道沿いまで車を走らせたとき、晴香はほとんど反射的に言っていた。夫がゆっくりと頷く。何があったのかを聞かないのが、この人なりの優しさなのだと晴香は思っている。

 やがて車が人気のない薄暗い路地に折れたあとでも、頭の中ではあのあとの〝みゆん〟の配信が気になっていた。

 アイドルといえば煌びやかで賑やかなところで頑張っているというイメージがあったが、彼女たちローカルアイドルはきっとこの街灯の少ない住宅街と同じようなところの一角からライブ配信をしているのだろう。

 ふとそう思うと、小さな家の小さな窓の明かりさえ愛おしく思えた。


「最近……さ」


 ふいに夫が言う。


「うん?」


「いや、最近……なんかいいなぁって。昔のハルに戻ったみたいな、そんな気がするよ」


「そうかな」


 角を曲がればやがて家が見えてくる。

 あと少し、頑張ってみよう。

 晴香はそう思ってハンドルを切った。

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