カリア@リッピン箱推し/4月25日ワンマン決定!

第8話 アイドルとモデル

 祐介の朝は早い。

 いいや、正確には早かったと言うべきだ。

 四月に入っても減っていくどころかますます増えていく感染者数を目の当たりにして、世の中は緊急事態宣言ということばを現実のものとして捉えはじめていた。


 そんな中で、Lipp'inガールズのメンバーたちが通うそれぞれの学校の臨時休校が発表され、祐介の仕事も着実にその数を減らしていた。


 恐ろしいと思ったのは週の半分を自宅で過ごさざるを得なくなった自分のあり得たかもしれない現在についてだった。

 もしもLipp'inガールズに出会っていなかったら、自分は今頃どこで何をしていただろう。少なくとも家にはいられなかったと思う。パチスロに有り金を溶かし、行くあてもなく街を彷徨えばどこでどんなふうになるのかなんてわからない時代だ。病床に附している可能性も大いにあった。



「画像ありがとうございました、すっごくわかりやすかったです!」


 しかし、現在の祐介――いいや、【カリア@リッピン箱推し/4月25日ワンマン決定!】はファン仲間とやりとりをしたり、Lipp'inガールズ公式チャンネルでMC集を見たりしながらガチイベに備えるという充実した日々を送れている。


 ちなみに、祐介の名前グロウネームにある4月25日のワンマンはまだ公式のアナウンスがないものの、おそらくまた配信公演になるのではないかと噂されていた。定期公演とは違うワンマンライブはかなり久しぶりのことで、本来では今頃から宣伝活動に忙しくしているはずだった。



「ガチイベはおれもそんなに経験ないし、なかなか有料ギフティングはできませんが、頑張りましょう! みゆんなら絶対大丈夫ですよね」


 そんなふうに女性ファンとやりとりするのも、彼にとってはとても新鮮なことどった。


 女気のない生活は前述の通り。だが、だからこそこれまでの自分がそんなにも冷静に異性と共通の話題で盛り上がることなどあり得なかった。

 今までの祐介ならば少なからず相手を不快にさせるような下心が見え隠れしていただろう。



 何につけても暇が極まっていた彼はガチイベについての情報をファン歴の浅い人たちと共有したり、その逆に古参と呼ばれる年上のファンから攻略法を学んだりしていた。


「おそらく、本気で争うのは上位数名だけだと思う。半分くらいはライブランクも全然低いし、記念とかファンイベント的な意味合いが多い。だけど、みゆんがガチなら他の配信者もガチでくる人も必ず現れる。例えば今回怖いのは『平澤れいら』って子かな」


 そんな中で見えてきたのは、今回の戦いのライバルになりうる存在だ。そう、これはファンにとっては聖なる戦いだが、現実世界はきらきらとしたアイドルが生まれながらにきらきらとしているわけではない。もちろん、中にはそういう人間もいるが、それは選ばれしごくわずかな者だけで、これはあくまでも一人の人と人との本気の勝負なのだ。


 平澤れいら。彼女はモデル事務所に所属しており、母が音楽教師ということもあって、配信では歌を歌うことが多いという。彼女のフォロワーはLipp'inガールズのグループとしてのSNSフォロワーよりも少し多く、また、そのフォロワーのほとんどが現在進行形でSNSに返信リプライを送ったり、配信を観にくるアクティブなフォロワーだ。それは目に見える数字ではないが、体感としてご当地アイドルとしてそれなりに歴史のあるLipp'inガールズよりもかなり多い数のように見受けられた。

 歴史があるということはどうしたってそれだけフォローは続けているものの、今はあまり能動的に応援していないファンなども多くなってしまうのだ。


「たまさん、『おつかれいらー』おつかれいらー。mILkLeaFみるくりーふ? さんでいいのかな? 『おつかれいらー』おつかれいらでーす。あっ、山岡デンキさん、『初見です』ありがとう〜。もしよろしければ……明日からガチイベ参戦します! なのでライブフォロー、SNSフォロー、いいねお願いします(はぁと)……って可愛くないよね、ごめんなさい」


山岡デンキ@しふしふ:《かわいい》×2

山岡デンキ@しふしふ:フォローしました!


「……あっ、《かわいい》ありがとうございます〜。じゃあ、フォローも……って、してくれたんだ! ありがとう。じゃあ、ファンマークもつけていいよ? って調子乗っちゃだめだよね。でも待って。今日ね、明日から使う用に書いてきたの。えっと……あっ、これこれ。じゃあ、改めて自己紹介するね。705人のみなさま、こんばんおつかれいらー! 歌って踊れるモデルの平澤れいらです」


 平澤れいらがおもむろに取り出した手書きの自己紹介ボードはグロウライブではお馴染みのものだ。初見さんや通りすがりの視聴者のために各種プロフィールやSNSのIDなどが記載されている。


「――で、『#がんばれいら』をつけて投稿してください、全部見ます!」


 ぐっとこぶしを握りしめて片方の頬を膨らませた彼女は勝気な笑みを浮かべる。さすがはモデルらしく、端正な顔立ちをしており、すっと通った鼻筋にワンレングスの髪、大きな瞳にやや尖った眉。美人だが、〝みゆん〟とは全く異なるタイプで、同じ勝気な表情でもどこかにアイドルとしての甘さ、柔らかさのある〝きりえ〟とも違う。


 気がつくと祐介は偵察と星集めのために覗いた配信をまじまじと何分も見てしまっていた。


「えー、ちょっと待って。先ほどの山岡デンキさん、早速名前変えてくださってる! これは本当におつかれいらっていうか、ありがとれいらだね。何にも掛かってないけど」


山岡デンキ@がんばれいら〜:いえいえ。ガチイベ、来れるときは来ます



「強敵だ……」


 祐介は思わずこぼした。


 ガチイベはいよいよ明日へと迫っていた。

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