白@teamリッピン♡きりえ推し

第4話 前篇 模索の日々、彼女の笑顔

白@teamリッピン♡きりえ推し:中止?



 Lipp'inガールズの2月の定期公演「定期公演'20 〜だべって歌えばみなHappy Vol.3〜」から二週間と少しが経った三月の初旬。ちょうど前回のライブMCの動画がアップロードされたその次の日のこと。

 次回の公演である「定期公演'20 〜だべって歌えばみなHappy Vol.4〜『出会いと別れの季節だよ! みゆん高校進学前夜祭』」のチケット予約が開始され、永本武雄は即座に予約をした。メジャーデビュー済みでもない限り、ご当地アイドルの定期ライブのチケットが即日なくなるということはないが、以前、グロウライブの配信で、初日に予約が少ないととても不安になるのだと〝きりえ〟が言っていたのを武雄が忘れたことはない。


 ちなみに、予約の際にはオフショットチェキや握手券などその月によって違うおまけの特典が付くため、登録フォームの一番下に自分の推しを選ぶ項目があり、武雄はこちらも迷わず〝きりえ〟を選択した。



はくさん、そうなのよ。このままだと最悪は中止とかって判断もしなきゃいけないかもしれない」


 名前グロウネームを呼ばれた武雄は先ほどからテレビを消音にしたまま点けて情報収集をしながらも、片手では電話をかけ、片手でコメントをしている。



▷ 白@teamリッピン♡きりえ推し:大丈夫だとは思うけどね


「……うん。だといいんだけどな」



 テレビでは今年の初めから大陸で広がっているという感染症について医師が解説している。このまま大きなイベントなどの自粛をしなければ、感染爆発にもなりかねない。

 現実味のなかった遠い世界の出来事が着実に身近に迫っていることはどのメディアでも報じられており、いくら武雄や他のファンが励ましのことばをかけても〝きりえ〟の笑顔は晴れない。


「まぁ来月はね……大丈夫と思うんだけど」


 いいや、正確には魅力的な笑顔ではある。

 日本人らしい柔らかな表情と、ドイツ人らしいちょっと生意気な目元や鼻筋。

 しかし、いずれにしてもその奥の奥にある彼女の心根が笑っていないのが、少なくとももう三年も前から彼女たちの配信を観ている【白@teamリッピン♡きりえ推し】こと武雄にはわかった。


 ふぅ、と息をつき、彼女はさらに言う。


「怖いのがさ、海外渡航だよね……。今、水際対策? とかやっててさ。別に毎月行ってたわけじゃないんだけど、やっぱり自由にドイツのおばあちゃんたち、家族に会えないって思うと辛いよね」



 そのとき、ちょうどコール音だけが何度も鳴っていた電話から聴き慣れた友人の声がした。


「もしもし……? ああ、悪いな。こんなとき。……そうなのか、そうだよな。いや、ああ……」




 武雄がLipp'inガールズを知ったのは地元の城址公園で行われたイベントでのことだ。都内から高速で一時間以内のその辺りには大手メーカーの工場が多く立ち並んでおり、武雄はその中の一つ、飲料メーカーのビール工場で製造ラインの責任担当を束ねる管理者の立場にあり、併設された直売店の副店長も兼任しているため、最初に同級のイベント会社に勤める旧友から出店の話があったときは面倒だが会社に話を通すしかないなとため息混じりに思っていた。


 そのイベントは工場の多い武雄たちの地元と姉妹都市であるドイツのとある街との交流を祝したフェスト(ドイツ語ではお祭りのことをそう言うらしい。イベンターの友人ではなく、〝きりえ〟に聞いた)で、ビールは欠かせないらしく、ドイツと北関東と言えば〝きりえ〟というハーフのアイドルがいるらしいとのことで、Lipp'inガールズのステージ出演が決まった。


「ドイツの伝統的な音楽より、若くて可愛いアイドルだよな」


 幼い頃から安定ばかりを求めていた武雄は今の会社に入ってすぐ、大学の同期生だった恋人と結婚をして、その時にはすでに小学三年生の娘もいたので、当時も今も独身で休みの日はゴルフ三昧の真っ黒に日焼けした旧友の意見には同意しかねた。



 価値観が変わったのはそのイベント――フェストの最中のことだった。これもまた旧友の会社が集めた綺麗なんだかただ若いだけなんだか、よくわからないがとにかく痩せた女が武雄の会社の作るビールのロゴが入ったTシャツとミニスカート姿で露店で生ビールを売っている様子を視察していた武雄にある歌が届いた。


♪ Kiss からはじまる物語

      私、この気持ち 嘘じゃないの


 たっぷりとLipp'inガールズの魅力を知った今では考えられないが、その当時はステージに登壇するのが北関東のご当地アイドルだと聞いて、地元の名産品を安い曲にのせて紹介したり、往年のアイドル楽曲をカラオケして踊ったりする程度のものだと思っていた。


 その程度の感覚で耳にしたそれはとんでもなく澄んだ奇跡の歌声だった。素人の耳にも、それが歌い込まれたものであるとすぐにわかった。日々の相当な努力の上に成り立つ歌声なのだ、と。

 それまで、工場内でも外でも若い子に期待を寄せるようなことはほとんどなく、結果は自分自身によってのみ引きつけるものだという古い考えが彼にはあった。

 しかし、その日は帰ったらほとんど使ったことのないSNSで彼女たちを検索してみようと、そんなことまで考えていた。それは決して開発したばかりの「琥」という名前のビールに酔っていたからではない。それほど圧巻のパフォーマンスだったのだ。武雄は「琥珀ビール」のチラシの裏に、横断幕に書かれていたグループ名を書き残した。【白@teamリッピン♡きりえ推し】が誕生した瞬間だった(琥珀の「珀」が〝かなかな〟には読めなかったので、すぐに「白」に変えた)。



「わかった。悪いな、また連絡する」


 その出会いから早三年。武雄はファンの中では古参と呼ばれる立場になりつつあり、小学三年生で習字を始めた娘は六年生になって関東でも数人しか選ばれない賞に入選するほどの実力になった。


 そんな習字の展覧会も今年はあるいは中止になってしまうかもしれない。娘と妻がそう話をしてひどく落ち込んでいたように、数人のファンが励ましのギフトスタンプを贈ったが、〝きりえ〟の瞳の奥はあの日のステージ上とは違って、やはり輝きを放ってはいない。



▷ 白@teamリッピン♡きりえ推し:今、イベンターの友人に聞いたけど、会場の人数によるみたい。変な話、数万人規模のコンサートは軒並み中止らしいです。


▷ 白@teamリッピン♡きりえ推し:《がんばれ》×10


「あっ、白さん〜。ありがとう、わざわざ聞いてくれたの? 確かにうちのライブはね、一人ひとり顔と名前が一致して、おしゃべりするのが目的なとこあるからね。それなら大丈夫かもね……って、え! 《がんばれ》10個もありがとう。もうみんな、泣かせにかかってるでしょ」


 そう言っている間にも、まるでいつぞやの〝みゆん〟の配信のようにギフトスタンプが山ほど飛び交って、〝きりえ〟の表情に反して、それでなくとも無料で投げることができる「星」のギフティングスタンプできらきらしている画面はさらに派手になっていく。



200GP ▶︎ ルビィ:泣いてもかわいいけど、笑ってほしいんじゃないかな



 そんななか、スーパーチャット(GPを払うことで一定時間コメントが配信画面の目につきやすい位置に固定される)で犬のキャラクターのアイコンを設定している【ルビィ】が言った。全くその通りだと武雄も思う。


 〝きりえ〟の笑顔に叶うものなんてない。



200GP ▶︎ 白@teamリッピン♡きりえ推し:またできるといいね、フェスト



 七色ある星のギフトと有料ギフト、そしてスーパーチャットも使って武雄もそうコメントすると、


「そうだよね。笑顔が一番! ごめんなさい、なんか話し合いして煮詰まっちゃってて……。フェストも必ずやるからね! 少なくともみゆがビール飲めるようになるまで絶対やるからね」


 あのときのことを思い出したのか、彼女は束の間、笑ってくれた。

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