第3話 後篇 最年少と研修生と初参戦

「ねえ、いつも思うけど扱い違くない?」


 Lipp'inガールズ公式チャンネルにはアイドルらしい楽曲のライブ映像やMVだけでなく、おしゃべりを前面に押し出したライブMC集のような動画がいくつもアップロードされている。

 最近では夕食の支度をしながらタブレット端末でそんな動画を観るのが晴香の習慣になっていた。


 昨晩のグロウライブで〝きりえ〟が言っていた膨れっ面の〝みゆん〟の動画。先のライブでの一幕だ。



 口を尖らせた〝みゆん〟に「え、どういう意味?」と答えたのはこれもまた〝きりえ〟だ。おしゃべり好きが高じて地元ラジオ局でパーソナリティも勤めているため、MCコーナーでは進行役をすることが多い。


「いやね、あれ、あたしが研修生のときって、みんなこんなに『イェーイ!』ってしてくれた?! とかって思うわけですよ」


「うーん……」


 ノリのいい〝みゆん〟推しのファンが首をひねると、会場内にどっと笑いが起きる。


「ちょっと! ほら、やっぱりそうじゃん!」


 〝みゆん〟がますます膨れっ面になる。かわいい。会場にいる百人強のファンの頭にはきっと、その四文字しか浮かんでいないだろう。


「え、まず待って、みゆ。一旦、整理しよ。初めて……あの、今回初めてね、ライブ来たよって方もいるからさ。

 つまりあれでしょ。一年前ね――前まで、この子みゆんちゃんもね、研修生だったわけですよ。でね、そのときの担当カラーがなんだった? かなかな?」


「透明! まだ何ものでもないよって、ね? みゆん」


 〝かなかな〟はいつも元気いっぱいだ。


「そう。そうなんですよ。あれですよ、みなさん。リボンとかも、まだ透明だからって何もつけないで衣装着てたんですよ、わたし。それなのに風音かのんはもう担当カラー持ってるんです。ずるくないですか?」


「みゆん、待って。まず、『風音』だから。年齢はみゆんのが下でしょ」


 ふいにそうからかったのは〝ふみたん〟だ。クールな彼女にはどんな面白いことも、あるいは理不尽なことも平然と真顔で言えるという特技があった。


「えー、あたしの扱いやっぱなんか雑……!」


「さぁ、ではつづいての曲ですが――」


「きりえちゃん!」


 確かに、五期生として新加入の〝かのん〟は扱いこそまだ研修生であるものの、年齢は〝みゆん〟の一つ上で、ほぼ入れ替わりで卒業したメンバーの担当カラーをそのまま受け継ぐ形ですでに紫のリボンをしている。


「まぁ、でも本当の話、今年の夏頃かな? 折を見まして、かのんもちゃんとメンバー承認投票はありますから。みゆんも頑張ってますけど、入れ替えってパターンも……ってうそうそ。みゆんはね、当時からもうすっごい可愛くて。ほんと、ついついいじっちゃうんですよね」


「かわいいーみゆん!」

「みかん〜!」

「みゆー!」


「ありがとうございます〜。みんなあとで物販もお願いね! みゆのグッズだけ売れ残ったら泣くからね!」


「大丈夫ですよ、自分で買い取らせますから。皆さんは皆さんの推しのグッズを買ってくださいね」


「ちょっとぉ……!」



 さすがおしゃべりアイドルのMCにはまるで台本が用意されているかのような安心感がある。端っこで申し訳なさそうにしている研修生〝かのん〟も可愛らしく花を添えているし、〝きりえ〟も〝みゆん〟も立場を弁えている。

 これは晴香が【ルビィ】としてSNSのやりとりで他のファンの方から聞いた話だが、90分のライブ中、MCが60分という伝説を作ったこともあるらしい。



 と、ふいにリビングダイニングに義母がやってきて、晴香は慌てて映像を一時停止した。

 画面はちょうど次回の定期公演の告知になっており、字幕で「3月29日」と大きく表示されている。


「おかえりなさい」


「もう参っちゃった」


 これは義母の口癖だ。参っちゃった、長ねぎ1束80円だったの! 参っちゃった、西村さんのところの奥さん怪我されたそうよ。いいことも悪いことも「参っちゃった」。きっと義母は義母で私という他人が家にいることを気遣ってくれているのだろう。晴香はそう理解している。


「どうしたの?」


 だけど、今日の晴香は直前まで見ていた〝みゆん〟たちのやりとりがあんまり面白かったからか、顔がにやついていたらしい。そう訊ねたのは義母の方だった。


「えっ」


 慌てて頬に手をやるが、確かにそこに結婚当初の緊張感はないかもしれない。それもLipp'inガールズのおかげといってもいいだろう。


「いいことあったんでしょう?」


「……えっと、いや、そういうわけじゃないんですけど……あの、お母さん。今度……3月29日なんですけど、もしかしたら、お出かけしてもいいですか?」


「お友だちと?」


「まだ、決まってないんですけど……もしかしたら」


「いいんじゃない、たまには。日曜日よね? お義母さん、カレーでも作っておくから」


「……ありがとうございます」


 義母は気さくで飾ることもない主婦だったが、問題が発覚してからは晴香の方が遠慮したり、後ろめたく思ったりしてしまい、そこまですんなりとやりとりをすることも、珍しくなっていた。


 そんなふうに自分の生活を支えてくれる子たちに会いに、チケットを取ってみよう。晴香こと【ルビィ】はそう決めて、決めたらまた、


「やっぱりいいことあったんだ」


 と義母にばれてしまった。

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