第6話 孫にしようかのう
「おぉ、目を覚ましたかの?」
いきなり至近距離に皺皺の爺さんの顔があって、僕は思わず情けない叫び声をあげてしまう。爺さんは「人の顔を見て叫ぶなんて、失礼なやつじゃ!」と、自分の顎に生えた髭を触りながら、プリプリと怒っている。
「ば……。赤ん坊は!?」
「あぁ。お主と一緒にいた赤髪の子かね?」
――髪の色がバレている……。
マルファスさんから、赤色の髪はこの世界では珍しいと聞かされていた。それに、ダゴルベではこの色を見られただけで、バエル様が魔王様だとバレていた。もしかしたら、この爺さんも気付いているのかもしれない。
爺さんはニタァと顔に笑みを刻み、その顔は僕を不安にさせた。
「赤ん坊はどこだ!?」
僕の慌てた姿が愉快なのか、「ふぉっふぉっふぉっ」と笑ってこちらを見ている。そして、ゆっくりと息を吐き、口を開いた。
「お主、そう慌てるでない」
「うるさい。早くあの子を出せ!」
「ふぅむ。心配なのはよくわかるが、わしにも気になることがあってのう」
爺さんはグイッと顔を近づけてくる。視線が交錯し、その目の迫力に気圧されてしまう。
「あの髪と目は珍しくてのう、噂に名高い魔王と同じ容姿をしていると思うんじゃ」
「……」
ただならぬ異様な雰囲気の中、全身に痛みを感じながらも拳を握る。この爺さんには悪いが、殴ってでもバエル様を連れて逃げなければ。
僕が隙を伺っていると、爺さんは「うーんうーん」と困ったような声を上げ始めた。
「だが、お主はどう見ても人間。魔王が人間を近くに置くはずがないしのう。よく似た子かのう?」
「そ、そうなんですよ! 僕は人畜無害な人間です! それに、その子が魔王だなんて、そんなわけないですよ! あははは……」
僕は爺さんにおどけて見せる。この爺さん、バエル様を魔王様だと確信しているわけではないようだ。ならば今逃げるしかないと思い、赤子がどこにいるか再度尋ねた。
「ここにおるよ? かわいいのぉ♪ ほぉら、よしよし」
爺さんは傍にあったゆりかごの中から、白い布を取り出す。それを腕の中に収め、バアル様はユラユラと揺らされ、キャッキャッと騒いで楽しそうだ。
「こっちに……、うっ……」
「おうおう。動くでない。そんな貧弱な体で、ボロボロになりおって。わしが来るのがもう少し遅かったら、死んどったぞい?」
起き上がるだけで、気絶したくなるほどの痛みが僕を襲い、額に脂汗が浮かんでいるのが自分でもわかる。だが、今は痛みなど気にしていられない。
「その子を、早くこっちに……!」
「えぇ~? もっと抱っこしていたいのう。じじいと赤子の戯れじゃ。そんなにせっつかんでいいじゃろうて。それとも――」
爺さんはまたあの鋭い視線を向けた。
「わしに抱かれていると何か困るのか?」
「……」
「わし、息子もおらんし……。折角じゃから、この子を孫にしようかのう♪」
――何をふざけた事を……。
僕は身体に鞭を打って、バエル様に手を伸ばす。しかし、爺さんはバエル様を渡す気がないようで、ヒョイッと身体の向きを変える。
「わしから孫を奪い取るつもりか?」
「その子はあなたの孫じゃない! 早く渡してください!」
「何故じゃ? こやつが魔王だからか?」
「……っ」
――やはり、バレている。分かっていて、僕を揺さぶりにきているのだ。
「こんな見た目で気付かないわけないじゃろう」と言って、爺さんはバエル様の頭を撫でる。
「それにしても、お主は懲りずにまた転生してきたのか。これで何度目じゃ?」
「その子を離せ!」
「そうせっつくでない。別に殺しはしまいよ」
その言葉の通り、爺さんのバエル様に触れる手は優しいものだ。しかし、何故だ? なぜ、その赤子が魔王だと分かっても、優しく接しているのか理解できない。人間界では、魔王様は恐れられていないのか?
「アンタは何者だ」
「わしか? わしの名はダリル・シャンパン。アインホルンの名のもとに結成されたアンパイアの元メンバーじゃ」
――アインホルン……? どこかで、聞いたような。
ダリルに同じように名前を尋ねられ、反射的に答えてしまう。しまったと思い、慌てて口を塞ぐが、それは後の祭りだ。
「和音よ、なぜ魔王と共にいる?」
なぜかって? そんなの知らぬ間に魔界に連れてこられて、無理矢理バエル様の世話係にされたからだ。望んでこうなったわけではない。しかし、それを口に出すのは躊躇われた。
「そんなことはどうでもいいじゃないか。アンタは強いの? 弱いの? アンタを倒せば、その子を返してもらえる?」
「ふははは。わしに喧嘩を売るとは、余程の世間知らずじゃのう。……わしはめっちゃ強いぞ。それに、わしと同じパーティメンバーだったアインホルンは伝説になったしな」
――伝説……?
その言葉でピンとくる。マルファスさんが恨みがましく呟いていた名前――アレクサンダーアインホルン。その名は魔王様を何十回、何百回と殺した伝説の勇者の名前だ。
そして、目の前のダリルはその勇者とパーティを組んでいたと公言した。
――これはどう考えても、ヤバい。
心臓が早まり、汗がブワッと吹き出す。
「ば、バエル様をどうする気だ!?」
「さっき言ったじゃろうて。孫にしようと」
――知ってもなお、そんなことを言うのか!?
悠長に返せ渡せと言っている場合ではない。どんな手でもどんな理由でもいい。早く、早くバエル様を取り返さなければ!
「おい、じじい! まだ幼いバエル様を懐柔するつもりか!」
「懐柔じゃと!? わしはただ――」
「バエル様はまだ幼き赤子! まだ善悪もわからぬうちに、じじいの姑息でいやらしい知恵を使って、懐柔させる気だろう!」
「なっ――」
爺さんの返事を待たずに、僕は続ける。
「自分には息子がいないと言っていたな……。バエル様に自分の介護をさせようとしているんだろう! なんて奴だ!」
「なんて失礼なガキじゃ。わしはまだまだ若いわ!」
「そんなシワシワで何を言っている!? アンタの言うことなど信じられない!」
「むきー! 言わせておけば……! じゃあ、お主はなんじゃ! この赤子の一体なんじゃと言うんじゃ! お主は見たところ、普通の人間じゃろう! おじいちゃんであるわしから、この子を奪う権利がお主にあるのか!?」
この爺さん。しれっと自分をバエル様のおじいちゃん設定にしてやがる。とても油断ならない奴だ。流石、あの伝説の勇者――アインホルンとパーティを組んだ男!
今の自分には、目の前の老人を倒す力も、ここから逃げる力も残っていない。この爺さんからバエル様を取り返すには、彼の納得する答えを出さねばならない。
必死で頭を回す。答えを誤れば、バエル様をこの爺さんの孫として認めるということ! 取り戻すのは不可能になるかもしれない!
――僕はバエル様の……、なんだ……!?
お世話がかり? 教育係? いや、こんなものでこの爺さんが納得するはずがない。おじいちゃんから奪うには、これしかない――!
「僕は彼の兄です!」
「何じゃと!? 兄弟と言うのか?! お主が!?」
「えぇ、そうです。僕達は強い絆で繋がれた兄弟です!」
髪色も違う。肌の色も違う。しかし、それはおじいちゃんと名乗ったこの爺さんも同じこと! アンタが見た目に対して何か言うことはできないはず!
「くぅっ! 何ということじゃ……。わしには兄弟仲を割くことは出来ん! なんたる不覚!」
「ふははははは。どうだ! おじいちゃんより強い繋がり! それは兄弟! アンタにこの壁は越えられるわけがない!」
「ぐぬぬ」
僕がダリルに勝利宣言をしていると、自分を蔑ろにするなとバエル様が喚き出す。そういえば、今日一日バエル様に魔力補給をしていなかった。おそらく早く食事をさせろと泣いているのだろう。
「ふふっ。貴方に彼を泣き止ませることはできないでしょう? 早く、その子をこちらへ」
「ぐぬぬ! くやしい! でも泣き止んでほしいから、渡しちゃう!」
僕はバエル様を抱き抱える。暴れるバエル様に体は悲鳴をあげるが、口元に指を突っ込めば、この通り。大人しいものだ。
ダリルが興奮したように、「な、なんと! 泣き止んだぞい!」と言って、僕達を見比べている。
「ふふふ。これぞ兄弟愛……あぁっ♡ ちょ、ちょっと、今日は激しいっ♡」
いつもより魔力を与えるのが、遅くなったからだろうか。バエル様から怒涛のおしゃぶり攻撃を受ける。
「指を咥えさせるなんて、わしでもできる。ほれ。わしの指を咥えてみろ」
バエル様は少しためらった後、シワシワのダリルの指を咥えた。
「な、なんじゃ、これぇ……っ♡」
バタン。
爺さんが悶えながら倒れたのぅ? あ、口癖移っちゃった。危ない、あぶない。
「ふぇっ……、ふぇっ……」
――あ、ヤバい。
おしゃぶりが外れたバエル様に、急いで指を咥えさせる。
さすが、バエル様。流石、僕の弟。きっと、この爺さんを敵だと認識し、イチコロで倒したんだ。魔王の本能が勇者の仲間を倒したのだろうか。いや待てよ。ということは、僕がバエル様に守られたのか? 違う違う守るのは兄の役目だって!
ダリルは気絶し動かない。今なら逃げれるはずだが、残念なことに僕の身体は痛みで自由に動かなかった。
――どうしよう……。
僕の人差し指はバエル様に咥えられたまま、ダリルは地に伏したまま、何もできないまま、一日が過ぎ去った。
◇◆◇◆
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