第3話 にゃ、にゃにこれぇ……っ♡


 拝啓、僕のマミー。


 心地よい風が吹き抜ける立夏の候、いかがお過ごしでしょうか。


 僕は今、一歳にも満たない赤ちゃんに頭を叩かれています。ひょんなことから、幼子の世話をすることになったのですが、母の偉大さを大変身にしみて感じております。


 彼らは泣くことが仕事かとは思いますが、こんなにも仕事熱心だと将来が有望ですね。僕達はどうだったでしょうか? きっと、同じように泣き叫んでいたことでしょう。二人の幼子をここまで立派に育て頂き、感謝の言葉もございません。


 末筆ではございますが、母上のご健康とご多幸を心より、申し上げます。


 p.s もちろん僕の子ではありません。そこのところは勘違いなきよう。


 敬具。




◆◇◆◇




「おぎゃああああああああああああ!!!」

「うわあああああああああああああ!!!」


 部屋の中央で一人の青年と赤ん坊が叫んでいる。そうです、僕です。


「和音……。うるさいんだけど……」

「おぎゃああ「ああああああああああああ」」

「ちょ……、何この地獄絵図……」


 将冴君は耳を塞いでこちらを見ている。赤ん坊が一人増え、うるささ二倍に耐えられなかったのだろう。何とか大きな赤ん坊の方をあやそうと、彼は僕の制服の端を引っ張り、声をかける。


「ちょっと落ち着けって……」

「じょうごくぅん゛……っ! 僕一人じゃ、無理だよぉ゛。ズズッ」

「大丈夫だ、和音なら出来る」

「できない゛ぃっ! できない゛ですぅ゛っっ!」


 マルファスさんの気持ちがよくわかる。こんなのを何十年も繰り返したと言っていたが、彼は仏か何かか?


 もう、三日はまともに寝ていない。マルファスさんはこのクソ広い城の中で、どこにいるのかもわからない。将冴君は一切手を貸してくれない。ここは地獄に違いない。


「和音があの悪魔と約束したんだ。責任を持って和音が世話をするべき。それに俺は……。俺が触れればその小さな生命はいとも簡単に……。いや、だめだ」

「え、すげえためて言うじゃん。すげえ厨二くさいこと言うじゃん。なんか意味ありげに言うじゃん」

「おぎゃああああああああ」

「うわああ、ヨシヨシヨシヨシ。大丈夫でちゅよぉお! ほらぁ、ガラガラガラガラ。好きなんでしょう!? なんで、泣き止まないのかなぁぁああっっ????」


 ガラガラに、だっこに、べろべろばぁ。どれも効かない。おしめも替えたし、もはやあと何が必要なのかわからない。


「こいつ、腹が減っているんじゃないか?」


――将冴君……っ!! 君は、天才かなぁ~~??


 僕はすぐさま机に置いてある育児セットの中を探るが、哺乳瓶らしきものは見つからない。うん、だから、僕もごはんのことはすっかり忘れていたんだった。


「お、お、おっぱい出るかな……? うん、今なら、頑張れば出る気がする……」

「おい、待て。出るわけないだろう。冷静になれ」

「あぁ、なるほど。バエル様は魔力が足りなくて泣いておられるみたいですよ」


 突然背後から声をかけられ、背中にゾゾゾと悪寒が走る。


「な!? マルファスさん!?」

「おはようございます。和音さんが育児を引き受けて下さったおかげで、久しぶりにぐっすりと睡眠を取ることができました。ありがとうございます」


 礼を述べた彼のお肌は、たしかに艶々しているように見える。


「そ、それはよかったです。その、さっき言ってた魔力と言うのは?」

「人間の赤子は母親のお乳から栄養を得ますが、私達悪魔は魔力が栄養となるのです。ちょっと失礼」


 マルファスさんは僕の人差し指を掴んで、バエル様の口に含ませる。泣き続けていたバエル様は目をパチクリ開けて驚いた様子を見せた後、僕の指をちゅうちゅうと吸い始める。


「あっ……!?♡ なんか、吸われて……っ。それに、なんか、これ……。き、きもち、いいっ……っ!?♡」


 僕が謎の快感に悶え息を荒げていると、将冴君が僕の手を引き離す。おしゃぶりを奪われたバエル様は再び泣き始めた。


「ふぇ……っ♡ にゃ、にゃにこれぇ……っ♡」

「私達悪魔は、人間から負の感情を摂取して魔力に変換するのですが、……。少しおかしいですね……。こちらも失礼」


 今度は将冴君の指がバエル様の口に収まる。数秒して、将冴君はバタンと地面に倒れた。


「しょ、将冴君!?」

「……」


 将冴君を揺らしても一向に目覚める気配がない。それに、バエル様は満足したのか、もう泣き止んでいた。


「ま、マルファスさん、これは一体!? 将冴君は大丈夫なんですか!?」

「……。ええ。一、二時間もすれば、時期に目を覚ますでしょう」


 将冴君……。俺に触れたら怪我するぜ的なことを言ってたのに、赤ん坊の一吸いで倒れてる……。他校の上級生をボコボコにしてた将冴君はどこに行ったの!?


 やっぱり、異世界だと僕らってちっぽけな存在なんだね。それを身を挺して教えてくれた、将冴君。ありがとう。君のことは忘れないよ……。


 僕は将冴君に感謝して、これで大丈夫だと安心していると、急に疲れがドッとやってくる。


「あ、あぁ…:…。僕、睡眠不足で死んじゃいそうです……」

「え? はやっ……。あ、そうですね。そう言えば、人間は私達より体力が少ないんでした。では、少しお休みください」

「じゃあ、お言葉に甘えて。少し休ませてもらいます」

「一時間ほどで起こしますね」

「早い! 早いよ! マルファスさん!」

「え? そうですか? じゃあ、三時間ほどで。これ以上は受け付けません」

「……はい」


 僕は床に倒れている将冴君を引きずりながら、ベッドに連れて行く。この部屋にはベッドが一つしかないし、僕らは双子。昔から一つのモノを二人で共有するのには慣れている。


 僕は襲い来る疲労感に飲み込まれ、意識を手放した。



 


◆◇◆◇




「…………、…………ル………の?」


――ん……、なんだ……?


 なんか可愛い声がする。この声はどこかで……、そう、僕の大好きな……声。


「優香ちゃん!?!?!?」

「え、うるさっ……」


 目の前には僕の大好きなギャルゲー『お兄ちゃんのエッチ!』シリーズのメインヒロイン優香ちゃんがいた!! しかもとってもエッチな格好で!! 


 いつも通りの金髪ツインテールで、いつもと違う黒のエチエチレオタード姿。背中には可愛らしい小さな羽と可愛い尻尾が出ているためか、後ろの布面積が……っ! あ、ありがとうございますっっっ!


「ゆ、優香ちゃんが、ど、ど、ど、どうして、ここに……っ!?」

「マルファス、コイツ何?」

「今、バエル様の面倒を見て頂いている、人間の和音さんです。向こうで寝ているのが彼の兄の将冴さんです」

「フゥン……」


 優香ちゃんは冷たい目で僕の身体を下から上を見て、一言。


「気持ち悪い」


――~~~っ!!


 ゲームと全く同じ顔で、しかも服がムフフの優香ちゃんに会えるなんて信じられない。それに加えて、決め台詞も頂けるなんて、感激で涙が出てくる。


 そんな情緒不安定な僕を見て、優香ちゃんは指を指してマルファスに文句を言う。


「何なのコイツ、本当にきもいんだけど」

「そう言われましても、僕には害がないので。それにしても、どうして魔王城にいらしたのですか? シトリー様」

「そろそろ、バエルに王座を譲って貰おうと思ってね。一体、何回あの勇者に殺されれば気が済むの? 馬鹿みたいに死にまくってるから、魔王城に残っているのは貴方だけじゃない。ねぇ? マルファス」

「私はバエル様に忠誠を誓っているので、一人だけでも何も問題はございません」


 マルファスさんの返事を聞いて、優香ちゃんはその美しい金色の二つの尻尾を左右に揺らし、腕を組み直す。その姿はさながら女王様の様だ。


「あぁら? そうなの? 一人で問題ないなら、なんでここに雑魚人間がいるのかしら? 一人じゃ手が回らなくなったからじゃないの?」

「いえ、それは……」

「ダメな王の元で高い地位にいてもねぇ? なんたって、今は魔王軍は二人しかいないんだから」

「……」


 マルファスさんは少し困ったようで、言葉に詰まっている。やはり、優香ちゃんはきついな! うん! そこがいいんだけど! 他の人には厳しいのかな? やはり、ここは何度も愛し合った僕の出番かなっっ?


「優香ちゃん。僕と、ぶはあっ」


 優香ちゃんは僕に向かって手を向ける。その手からゼリーみたいな液状のものが飛び出て、僕の身体を覆う。


――え? なにこれ? スライム? ちょ、何だこいつ口にまで。あっ、息が出来ない! スライムの海に溺れちゃうっっ。こ、こんなの……。は、はじめてぇ……っ♡


 僕が優香ちゃんの攻めプレイを全身で楽しんでいると、マルファスさんの手刀が僕の楽しみを奪い、スライムのような液体が離れてしまった。


「はぁはぁ……。しゅ、しゅごかったぁ……♡」

「シトリー様お止めください。彼は私の大切な身代わ……。いえ、彼はバエル様の教育兼、育児係なのですよ」

「ふん。コイツがいやらしい目で見てくるから、息の根を止めてやろうとしただけじゃない」


 いやらしい目だなんて、とんでもない! 僕の目は至極真っ当に、性的な目で彼女を見つめているだけです。しかし、ここはキチンと、僕という存在を認めてもらうために、自己紹介をしなければ。


「ぼ、僕は、か、和音と申します。優香ちゃんの玩具、サンドバッグ、か、か、かれしぶへっ」

「今、邪な考えを感じたわ。不愉快よ」

「困りましたね」


 ベチャッ、シュッ、ベチャッ、シュッ。


 僕がスライムに溺れる度に、マルファスさんが助けてくれる。マルファスさん、散々逃げたら殺すとか脅してきたけど、優香ちゃんには僕を殺させたくないようだ。


「ちょっと!邪魔しないでよ!」

「シトリー様こそ、お止めください!」


 彼らが僕を巡り、攻防を繰り広げていると、バエル様が目を覚ましたのか、喚き出す前に出す特有の嗚咽を漏らし始める。


「ふぇっ……、ふぇっ……」

「あ、バエル様っ! ブフェッ」


 体に巻きついたスライムのせいで身体が上手く動かず、顔面から地面にぶつかる。


――あぁっ! 僕のイケメンになる予定のご尊顔がっっ! 今は高くない鼻がっっ!


 泣きだしそうだったはずのバエル様が、なぜかこちらを見て笑っている。彼はいつの間に立てるようになっていたのか、荘厳なる佇まいで、何この人ウケるんですけど的な表情を浮かべてこちらを見ている。ベイビーに鼻で笑われてる感、半端ないんですけど。鼻だけに。


 鼻からタラリと温かいものが垂れていくのを感じながら、小生意気なベイビーを放心状態で見つめていると、バエル様の手がズルリと手すりから外れる。


――あ、危ない!!


 ズリュリュー、ドンッ。「ぐぇっ!?」


 僕は全身の纏わりついたスライムを使い、バエル様の落下地点へと滑り込む。思い切り滑り込んだので、頭が机とぶつかり負傷する。そのうえ、バエル様のトドメの頭突きを背中に喰らい、僕は痛みに悶絶した。


――くぅ~~~! どこもかしこも痛すぎる……!


「「バエル!!」様!!」


 喧嘩に夢中になっていた二人も、大きな物音を立てた僕達に視線を向け、こちらに駆け寄ってくる。だが、彼らが身を案じているのはバエル様だけのようだ。


 うーん、そっか〜。うんうん。よくわかるよぉ? でもここに、ボロボロヌメヌメの人がいるじゃない? 身を挺して赤子を助けた勇者、あ、ここじゃ禁句か。バエル様の命の恩人がいるじゃない? 目の前に! 少しくらい気遣ってほしいなぁ〜〜っっ???


「バエル様、ベッドから出てはいけません!」

「ったく、赤子になっても手がかかるんだからっ。心配させないでよね!」

「おや? バエル様の心配ですか? てっきりシトリー様はバエル様の命を奪いに来たのかと」

「そ、そんなわけないでしょ! こ、これ以上、やられてほしくないから、守ってあげようだなんて、思ってないわよ!」


――おや?


「赤子になったとはいえ、バエルは私の幼馴染なんだから、ちょ、ちょっとは手を貸してあげても……。何なら、け、結婚して、わ、私が、女王になれば、バエルもきっと……!」


――おやおやおや?


 これはおかしいぞ? おかしな展開だぞ? ゲームの後半でよく見た、優香ちゃんのデレデレタイムだぞ?


「もしや、シトリー様はバエル様のことを……?」


 マルファスさんが核心を突こうとしているのがわかり、僕はこれはヤバいと制止する。


「お待ちよ、マルファス君」

「おや? 和音さんどうして地面に伏しているのです?」

「まるでバエル様の時とは雲泥の差っっ! そんなことより、優香さんがバエル様を何だって?」

「さっきから、なんなの? アンタ。優香、優香って。私はシトリー・リュカよ。誰かと間違えてんじゃないわよ」

「……っ!?」


――な、なんだと……っ!? りゅ、リュカ……!?


 僕の知る優香ちゃんは、エッチなデレデレシーンでは、普段使っている『私』と言う一人称が、変わるんだ。そ、それが――


「りゅ、りゅか……ッッ! ぶふぉっ」

「きったない! 鼻血吹き出してんじゃないわよ!」

「和音さん……。一体どうしてしまわれたのですか……?」


 いかん、いかん。つい、興奮してしまった。というか、この流れは良くない。よくないぞぉ! この赤子にリュカたんを取られてたまるか!


「ゴホン、失礼しました。リュカさん。あなたがバエル様を助けたい、という気持ちはよく分かりました。ですが、彼と結婚することが今の状況で最善策と言えるでしょうか?」

「ど、どう言う意味よ」

「彼はまだ赤子です。それに現在、魔王軍はバエル様とマルファスさんの二人のみ。圧倒的に戦力が足りないことは明白。それに加え、マルファスさんは育児疲れで疲労している」

「だから、私が入ってあげるって――」

「リュカさん。貴方は美しい上に、強い戦力になるであろうことはよくわかります。しかし、貴方は一人、一人なのです。もし、本当にバエル様の事を気にかけていらっしゃるなら、貴方自身が周りの悪魔に働きかけて仲間を増やすのが得策でしょう。バエル様の名を出しては集まらない可能性があるので、あくまで貴方自身の名を使って人員を確保するのです。そして、多くの味方を得た貴方が魔王軍に下れば、バエル様の大きな助けとなるでしょう」

「……。ま、まともなこと、言うじゃない……!」

「か、和音さん……!」


 リュカは僕を拘束していたスライムを外し、マルファスは労るように僕を支えている。


 僕の決死のおじゃま虫作戦で、ソレっぽい事を言ったら、二人の悪魔に羨望の目で見られ始めた。すごく、すごく、いいっっ!! すごい優越感だ!


 リュカは「バエルのために、大軍勢を作ってくるから!」と言って元気よく魔王城を出て行く。そんな彼女のエチエチな後ろ姿を眺めながら、僕達は手を振った。


 だけど、この時の僕は知らなかった。僕のおじゃま虫作戦が、あんな悲劇をもたらすなんて……。この時の僕は、知る由もなかったんだ……。




『バエルが1歳になりました』

『スライム地獄を覚えました』

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