第2話 こんにちは、赤ちゃん。
やぁ。こんにちは、赤ちゃん。君はどうしたら泣き止むんだい?
僕が泣き叫んでいる赤ちゃんを、パチパチと瞬きをしながら見つめていると、どこから出したのかガラガラをもった悪魔が近づいてくる。
「バエル様~~! ほぉら、ガラガラですよぉ。ガラガラ。ね? お好きでしょう? ガラガラ。楽しいですねぇ~~~っ」
悪魔がこれでもかと言うほどに玩具を揺らし、赤ちゃんが泣き止んだのを見計らって、口におしゃぶりをつける。そして、怒り顔でこちらに振り向いた。
「何をしているのです、貴方は!」
「ふっ……ふぇっ……」
「~~~~っ!」
ガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラ。
「きゃっきゃ……んぐっ」
悪魔は慣れた手つきで、外れたおしゃぶりをもう一度、赤ちゃんの口に戻す。そして、悪魔が赤ちゃんに向かって、子守歌――二言三言呪文のような言葉――を歌うと、スヤァと瞼を閉じた。
その超絶テクを是非とも全国のお母さん達に教えてあげてほしいと僕が感心していると、悪魔に首根っこを掴まれ、階段下へと運ばれていく。
「あの、」
「しっ! また起きてしまうでしょう!? 小さな声で、小さな声で話してください!」
「は、はぁ……。あの、あの赤ちゃんはいったい……」
「あの方こそが、私の主人で、偉大なる大魔王。バエル・マオ、777世様です!」
「ええええぇっっ!?」
悪魔は慌てて僕の口を押え、後ろを振り返る。どうやら、バエル様はまだおやすみ中。よかった、本当によかった。
「貴方! 殺されたいんですか!?」
「ヒッ……、それだけはご勘弁をっ!」
しかし、僕の叫び声でもう一方の人物は、目が覚めてしまったようで――
「ん……、ん? ここは、どこだ……? うぉっ」
悪魔は僕と将冴君を抱えて、大きな翼を左右に広げ、一瞬でその場を後にした。
◆◇◆◇
僕ら兄弟と悪魔はとある部屋の一室にいた。
「そ、そ、その羽、た、ターボエンジンとか、付いてるんですよね?? いやぁ、そんな細部まで拘っているなんて、そ、尊敬しちゃうなぁ!!!」
この悪魔、僕達を両脇に抱えて、とてもつもないスピードで飛んでいた。どう考えても人が飛べるわけがないし、何かエンジンを搭載しているとしか考えられない。うん。そうに違いない。
「ターボ? はて、何を言っているのかよくわかりませんが、私どもの翼はそこらの獣より、ずっと早いですよ」
「へ、へぇ~~? でも、その翼って本物じゃないですよね!?」
――本物じゃないって言って! コスプレって言って!
僕が肯定を求めて悪魔を見つめていると、悪魔は酷く不愉快そうな顔を浮かべて、僕を睨んだ。
「私の翼が本物じゃない……? ……なんて失礼な。やはり、貴方。殺されたいんですか?」
「いえいえいえ! ごめんなさい! ごめんなさい! 謝ります! 謝りますから!」
やべぇ奴だとは思っていたけど、これは本物のやべぇ奴だ!
僕が必死にペコペコと頭をヘッドバンキング並みに振り下ろしていると、片割れが閉じていた口を開く。
「誰? アンタ。それに、ここどこ? なんで、和音が謝ってんの? すげー苛つくんだけど」
「しょ、将冴君!!」
将冴君は恐れ知らずにも、喧嘩腰で悪魔と対峙しようとしている。勇ましさは好ましいけど、今はやめてほしい。でも誰にでも向かっていく姿勢、尊敬します。
「ああ、そう言えば名乗っていませんでしたね。私はマルファス・バトラー、66世と申します。そして、ここは魔王城。この失礼な方は和音さんと言うのですね」
「はぁ? 魔王城? 意味わかんないんだけど」
――いいぞ! 言ったれ! 将冴君!
「それはもちろん、私が貴方方をこの魔王城に連れてきました。転移魔法で『邪悪な魂』を持つ人間を召喚したはずなのですが、どうやら手違いで二人、召喚されてしまったようですね」
僕は二人の間に割るように手を上げる。悪魔に許可をもらい、僕は口を開いた。
「あ、その『邪悪な魂』って、何回か言ってらっしゃると思うんですけど、それって……」
「えぇ、もちろん。貴方の事ですよ」
悪魔は僕と目を合わせて、ハッキリと言った。
「ひ、ひどい! 将冴君の魂を『邪悪な魂』だなんて! なんて失礼な事を言うんですか!」
「いや、そいつ、和音のことを見て、言ってたぞ?」
「やだなぁ。そんなわけ……、ないですよね?」
「貴方の事ですよ」
以前、悪魔の目は僕から逸らされていない。
「いやあああああ! んなぁぁバカなぁぁっっ! 違うでしょ!? 絶対、僕じゃないでしょ!? 僕、全然悪いことしてた覚えないし、数えきれない悪事を成し遂げてきたのは、僕じゃなくて将冴君だよ!!」
「和音……?」
将冴君が僕を見る。その瞳には何も写さず、虚空を見つめているようだ。あれ? 僕、将冴くんにあの淀んだ瞳からだけじゃなく、リアル消されちゃう?
「うあわああああ! 今のは嘘! 嘘じゃないけど、嘘! 僕も悪くないし、将冴君もいい子だよ! なんで、召喚されたのかなぁ? 手違いじゃないかなぁ? もう一回やり直した方がいいんじゃないかなぁ?」
「いえ、この召喚術には大がかりな仕掛けが必要で。もう一度やるとなると、一年は待たないといけません」
「じゃあ、一年後に『邪悪な魂』を再召喚してもらうってことで! おつかれ様でしたーっ!」
「ちなみに異世界召喚したので、この世界はあなた方が住んでいた世界とは違いますよ。それにここは魔界。何の装備もなく、そのまま城を出れば、貴方の骨の一つも残らないでしょう」
「どうして゛~~~~! どうして゛、そ゛んなこと言うのぉ゛~~~!?」
「あなたが逃げ出そうとするからです」
どうあがいても、僕達はこの悪魔の言うことを聞かねばならないようだ。
涙と鼻水を流した僕に、将冴君はハンカチを手渡してくれる。なんて、いい子なんだ。将冴くん。ハンカチなんて持ち歩いてたんだね。知らなかったよ。
受け取ったハンカチで鼻をかんで、使用済みを将冴君に返そうとするけど受け取ってくれない。なんて、悪い子なんだ。自分のものだろ? 責任持ちなよ。
「さて、貴方……。貴方方をこの世界に呼んだのは、バエル様の悲願である『世界征服』を成し遂げる、お手伝いをして頂くためです」
「しぇ、しぇかいせいふくぅ……?」
流石、悪魔と言うべきか。物騒な単語が飛び出し、僕の知能が著しく下がっていく。
「よくわかんねぇが、俺らにそんな手伝いなんか出来るわけねぇだろ。するメリットもねぇ!」
「ですから、天使も悪魔も恐れる『邪悪な魂』を持つ人間を召喚したのです。正直、貴方方がその魂を持つのかは……。いささか不安ですが」
「じゃあくな、たましぃ……?」
「どちらにしても、貴方方にはバエル様の教育及び育児を担当して頂きます。断ると言うならば――」
悪魔は僕達の前に手を掲げる。そして、手首を振ると手全体がまるで刃のように鋭くなった。効果音で表現すると、シャキーン。こう言う音を鳴らしそうな危なさだ。
――ヒエッ。あんな切れ味のよさそうな、ジャックナイフに当たったら、一溜まりもない! ここは身を挺しての――
「喜んで、引き受けさせていただきます!」
完璧なる低姿勢。媚を売るための究極技土下座を披露している僕を、将冴君が「止めろ」と言って邪魔をしてくる。僕は将冴君の首に腕を回し、悪魔に聞こえない様に手を口に当ててコッソリと話す。
「よくお聞き、将冴くん。ここで引き受けないと僕ら死んじゃう。僕死にたくない!」
そうだ、死ぬには若すぎる! それに――!
「まだ、来週発売のギャルゲー『お兄ちゃんのエッチ!』シリーズの新作を僕はやってない! 優香ちゃんを攻略するまで、僕は死ぬわけにはいかない……いかないんだ!」
この気持ちが、君にわかるかい? 制作が遅れ、発売日がどんどんと後ろ倒しになり、気が付くと当初の発売予定日から一年が過ぎていた。 そして、ついに、その待ちに待った作品が来週発売されるところだったって言うのに、目の前で奪われた気持ちが! 何が何でもやりたいというこの気持ちが!! 期待と欲望が大きく膨れ上がった僕の気持ちが!!
僕の鬼気迫る姿に怯むことなく、将冴君は口を開く。
「和音……。それ、たしかR-18じゃなかったか?」
「っく……。流石、兄弟というべきか。君の慧眼には頭が下がるよ。この際だから白状するけど、お父さんのマジカルカードを拝借して、二作目まで履修済みさ 」
「マジカルカードってもしかして、クレカのことか?」
「おっと、これ以上はいけない」
たしかに、これは重要なことだったが、話が逸れてしまった。気合を入れ直して、話を元に戻す。
「あの悪魔の言うことを聞かないとあの手が、手がぁぁあ……。きっと、首スパンでコロンだよ!? だから、絶対手を出しちゃだめだよ!!」
「たしかにアレはヤバそうだが、コッチも武器さえあれば」
彼は手をポケットに手を入れて、僕にだけ見えるようにポケットナイフを見せてくる。
「えぇ!? 何!? 将冴君、そんなもの持ち歩いてんの!? こっわ!」
「これは別に……。まぁ、護身用だ」
「でもやばいって。羽をバサバサしてたんだよ? もう悪魔確定だし、人間の僕達じゃすぐに殺されちゃうよ!」
「それは、試してみればわかる!」
「ちょ、」
将冴君は僕の腕を払い、右手にナイフを握る。持ち前の瞬発力で、その刃を悪魔の首に向けて一突き――
カラン。カラン。
将冴君のナイフは、刃と柄が奇麗に別れた状態で地面に落ちる。悪魔の手が将冴君のナイフを一刀両断したのだ。
「こりゃあ……。無理だな……」
「しょ、しょ、将冴君!?」
「歯向かったんだ、俺らを殺すか?」
悪魔は数秒、僕達を見つめた後、ため息をつく。
「殺しませんよ。やっと、見つけたのですから」
◆◇◆◇
マルファスさんに完全降伏の白旗を上げた僕達は、大人しく彼の話を聞いた。彼の話によれば、ここ数十年に渡り、魔王であるバエル様は勇者の手によって何度も倒され、死んでは復活するのを繰り返しているらしい。だから777世なんてカウントされているんだな。うん。復活の度にバエル様が赤ちゃんスタートするので、どうやらマルファスは育児鬱に陥っているようだ。
「酷いんです! 僕が手塩にかけて育てたバエル様を、あの男はいとも簡単に!! うぅ……っ!」
僕はマルファスさんの背中を摩り、相槌を打つ。
「うんうん、わかるわかる。ほんと、マルファスさんはよくやってるよ」
「うぅ……。そんな言葉をかけてくださるのは和音さんだけです……。あまりにもバエル様が倒されるので、臣下達もこの城を去ってしまい……。もう、僕一人でどうしていいか……」
彼は手を顔に当て、首を左右に振る。相当参っている様子だ。
「うんうん、一人で辛かったね。大丈夫、もう僕達がいるからね。頼っていいんだからね
」
「和音さん……っ!!」
マルファスさんに強く抱きしめられる。すごい、痛い。絞め殺されるのではないかと思った時、やっと解放されて生きた心地を実感する。
「しかし、その勇者は最低クソ野郎ですね。だって、そんなに倒されているってことは、幼いバエル様の姿でも倒してるってことですよね? まさか、赤ん坊の姿でも……!?」
僕の言葉にマルファスさんは頷く。
「なっ! まだ、善悪を知らない赤子の姿にまで手にかけるなんて……!」
「恐ろしい勇者でしょう? ちなみに、バエル様の成長は速いです。一年ほどで人間でいう十二歳ほど成長します。貴方方にはとりあえず、一年間、バエル様の面倒を見て頂きたいのです」
「一カ月に一歳分成長するってこと!?」
「そうなりますね。なので、このガラガラも二カ月後にはオサラバです」
ガラガラガラガラガラガラ。
「まぁ、どうせまた必要になるんですけどね」
「……」
マルファスさんは半笑いで玩具を鳴らし続ける。怖いし、うるさいので彼からガラガラを奪い取る。
「育児はまだ分かるとして、僕達が何を教育できると言うんでしょう……?」
「そうですね……。これまで私が施した教育では勇者に倒されてしまったので、是非とも今までとは違う方法を取りたいです……。そのためにも……、うぅっ」
マルファスさんは頭に片手を当て、少しふらつく。
「申し訳ありません。どうやら私、しばらく寝ていなかったので、体調が……。この部屋は好きに使っていただいて構いません。必要なものはその机の上に……。うっ……」
「わかりました。マルファスさんはお休みください。僕達が何とかしましょう」
「ありがとうございます……」
彼はフラフラとしながら部屋のドアに向かっていく。ドアノブを引いて、振り返り、目が合った。しかし、先ほどの表情とは違い、その顔は凄みを利かせていて――
「もし、逃げたら、地の果てまで追いかけて、殺して差し上げますから……」
そう言って、部屋のドアをバタンと音を立てて閉めた。
――こっわあああああ! 育児疲れの悪魔の睨み、発言、その姿。何をとってもこえええええ!
僕が一人身体を揺らしながら震えていると、片割れが裏切り発言をかまし始めた。
「じゃあ、俺はもう寝るから」
「将冴君!? 何言ってんの?? 僕達、二人で引き受けたんだよ!? 二人で!」
「俺はそういうの向いてねーし。やるとは言ってない」
そういうとこぉっ! 将冴君のそういうとこぉっ! 元の世界でも彼は興味のないことには一切手を付けず、僕に押し付けてきた。こういう時、彼はてこでも動かない。仕方がないが、僕一人でやるしかない。
僕は机に置かれている育児用セットを手に、再び王座の間へと向かった。
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