第6話 人としての心を

 森の奥、その森の木々が避ける様に開けた小さな空き地。

 その空き地に建てられた家の庭で、大きな木桶からもうもうと湯気が上がっていた。

 その木桶に黒髪の男が満足そうな顔で浸かっている。


「ふぃー、極楽極楽。フィア殿、いい湯じゃぞ、お主も後で入るがよい!!」

「わっ、私は結構です!! そんな丸見えの場所で裸になるなんて出来ません!!」


 フィアは家の窓から目を覆い叫び返した。


「さようか……気持ちよいのじゃがのう」


 残念そうに呟き湯で顔を洗う伊蔵いぞうをフィアは指の隙間から覗いていた。


「ふぇぇ……男の人の全裸なんてお父さん以外で初めて見ました……」


 フィアは伊蔵の回復が早かった為、治療はしても下の世話まではしていなかったのだ。

 伊蔵はその視線を気にするでも無く、桶の縁に腕を乗せて気持ちよさそうに空を見上げた。


「ふぅ、やはり風呂は最高じゃ……」

「おいテメェ!」


 風呂の脇、地面に突き立てられたピッチフォークの先に紐でくくり付けられたアガンの首が声を上げる。


「何じゃ、風呂係?」

「今は勝った気でいる様だが、俺とバーダが戻らなけりゃ上が動く。テメェらの命運もそれまでだぜ」

「上のう……何人じゃ?」

「グハハッ、聞いて驚け!! 総勢五千!! その中の二十人は、悪魔と結んだ強者よ!!」

「ふむ、お主の様な魔女が二十か……それは少々骨が折れるのう」

「ハッ、今更後悔しても遅いぜ!」


 ニヤついた笑みを浮かべたアガンを見て、伊蔵はザバッと音を立てて桶から立ち上がった。


「フィア殿、この国の地図はあるか!?」

「えっ、地図ですか!? ちょっと待って下さいね……!? 早く服を着て下さい!!」


 夕食を作っていたフィアは、窓から顔を出した拍子に伊蔵の股間を思いっきり見てしまい慌てて顔を引っ込めた。


「ぬっ……さようか……見られて困る物でも無いのじゃが……フィア殿は初心じゃのう」


 伊蔵の周囲にいた女性は百戦錬磨のくノ一達だ。

 彼女達は男の裸を見た所で眉一つ動かさない。

 伊蔵もまた隠密として男女の駆け引きには慣れていた。


 情報を得る為なら何でもやる彼らに、ルマーダにおける一般的な倫理観を求めても詮無き事だった。


 伊蔵は苦笑しながら体を拭き衣服を身に着ける。

 その後、アガンの普通の人間と比べ1.5倍ほど大きさの顔に自らの顔を近づけた。


「なっ、何だよ!?」

「魔女は何処じゃ?」

「きっ、聞いてどうする?」


 伊蔵の顔に先ほどのアガンとは比べ物にならない残忍な笑みが浮かぶ。


「知れた事、やられる前にやるのじゃよ」

「伊蔵さん、地図です」

「ふむ、すまぬな」


 伊蔵はフィアから受け取った地図をアガンの眼前にかざし言う。


「早う答えよ。魔女は何処じゃ? 城の規模は? 兵は何処にどの程度おる?」

「いう訳ねぇだろ!」

「言わぬか……フィア殿、お主は家の中に入っておれ」

「伊蔵さん……一体何をするつもりですか?」

「たいした事ではない。この男が情報を喋りたくするだけじゃ」


 そう言った伊蔵の手にはいつの間にか苦無が握られていた。


「さあ、早く言うのじゃ……言わぬならまず耳を削ぐかの?」

「あぁ!? テメェ何言ってやがる!!」


 声を荒げたアガンの左耳を伊蔵は無言で切り落とした。


「グオッ!?」

「伊蔵さん!? 止めて下さい!!」

「何故じゃ? こやつはお主の母親を殺めた者の仲間じゃぞ?」


 伊蔵は不思議そうにフィアに尋ねた。

 彼女が止めている理由が伊蔵には本当に理解出来ないようだ。


「でも……」

「何もお主にやれとは言わぬ。汚れ仕事は儂が全て引き受けようぞ……」


 伊蔵はアガンの顔に桶のお湯をかけ炎を封じると、右の耳たぶの下に苦無を当てた。


「両耳を落とした後は鼻じゃ、その後は少しずつ皮を削いでいこうかの。安心せい、目と口は使える様、残してやろう」

「やっ、止めろ!!」


 如何に魔女の生命力が高くても痛みはある。

 首だけの身動きの取れない状態で回復しながら拷問されれば、早晩気が触れるだろう。


『止まりなさい!!』


 力ある言葉は伊蔵の体を硬直させた。


「クッ……フィア殿、何故?」

「拷問なんて人間のする事じゃありません! ……伊蔵さん……私は魔女ですけど、心は人だと思っています……私は……私はあなたにも人であって欲しいと思います」


「……ふむ、人を辞めた覚えはないが……フィア殿がそう言うなら責めで口を割らすのは止めるとしよう」

「ありがとうございます……」


「ところで……そろそろ、この金縛りを解いて欲しいのじゃが……」

「あっ!? すいません!! 『動いていいですよ』」

「ふぅ……自分の意に反して体が操られるのは、何度経験しても慣れぬのう……」


 そう言って肩を回す伊蔵にフィアは微笑みを向けた。


「はぁ……本当に何なんだよ、このあぶねぇ野郎はよぉ……」


 アガンは自分の事は棚に上げて盛大なため息を吐いた。

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