第5話 炎の巨人

 巨人が突き出した右手から大人の胴体程の大きさの炎の塊が放たれる。

 伊蔵いぞうはそれを苦も無く躱し、巨人の懐へ飛び込んだ。

 その背後で爆炎が上がる。


「グッ、早え!?」


 炎も巨人の狼狽も無視して伊蔵は手にした刀を振るった。

 その一閃は一太刀で巨人の腹を真一文字に斬り裂く。


「グフッ……」


 吹き出した青黒い体液を後ろに飛んで躱す。


「口ほどにも無い」

「ググッ……舐めやがって……いいだろう見せてやるよぉ、ホントの悪魔の力をよぉ!! ウルァアアアア!!!」


 雄叫びと同時に腹の傷は塞がり、巨人の体が更に大きく膨れ上がった。

 四肢だけだった甲殻が体中を覆い、その周囲に炎の揺らめきを纏う。


「もしかしてアレって東の町を焼いた……」

「貴族の怒りに触れて町一つ無くなったって奴か!?」

「それってヤバく無いか……?」

「まさかこの町も……」


 住民達の話し声は次第に大きさを増し、やがて蜘蛛の子を散らす様にそれぞれの家に向かっていった。

 恐らく持てる財産を担いで町から逃げ出すつもりだろう。

 先程、巨人アガンに捕まっていた男もその家族と共に必死で離れようとしている。


「グハハッ、テメェはもう終わりだ!! 燃やしながら手足を潰して殺してやる!!」

「……はぁ、品性の欠片も無いのう。お主ような者が民の上に立っているとは……民が哀れじゃ」

「いつまでその余裕が持つか見ものだぜ!!」


 人気の無くなった通りで異形の巨人から火柱が立ち昇った。

 アガンは炎を纏った巨体を揺らし、その歩みで石畳を砕きながら伊蔵に拳を振るう。

 ブウンッという音と共に、肌を焼く熱の塊が躱した伊蔵の側を通り抜けた。


 伊蔵はアガンから間合いを取りながら戦い方を模索する。


 炎の勢いは凄まじく近寄ればそれだけで身が焼かれそうだ。

 とはいえ普通のクナイでは致命傷は与えられそうにない。

 しかし爆裂は虎の子だ。出来れば使わず済ませたい。


 伊蔵は素早く周囲を確認した。


「さて、上手くゆくかの……」

「よそ見してんじゃねぇよ!!」


 伊蔵に向かってアガンの拳が放たれる。

 寸でで躱したが鍛冶場の様な熱気を頬に感じた。

 更に、伊蔵がいた場所、アガンの拳が打ち下ろされた地面は石畳がめくれ上がり黒く焼け焦げ煙を上げている。


「威勢がいいのは最初だけかよ?」

「速さはそれ程でも無いな……ふむ」


 伊蔵は腰の袋から小ぶりの黒い球を取り出すと地面に向かって投げつけた。

 石畳に打ち付けられた球はその瞬間、弾け周囲に真っ白な煙を発生させる。


「目くらましか!? 小賢しい!!」


 アガンは両手を握りしめ、空に向かって雄叫びを上げた。

 体から爆発的に炎が噴き出し周囲の温度が一気に跳ね上がる。

 その炎が生んだ上昇気流で煙は一瞬で吹き飛ばされた。


「あ? あの野郎、何処に……?」


 伊蔵の姿を探し視線を巡らせていたアガンの頭上から水が降り注ぐ。


「ブエッ……何だこの水は!?」


 水はほんの一時、炎の巨人の火勢を緩めた。

 その直後、首と頭部に衝撃を感じ、急に視界が低くなった事にアガンは混乱した。


「何だコレは!? どうなってやがる!?」


 下を向こうにも首は動かせず、視界には石畳の通りが映るのみ。


「グッ……グアアアアアア!?」


 一瞬、間を置いてアガンの首と頭に激痛が走った。


「ふむ、やはりこうなっても口は利けるようじゃな」


 その声は真後ろから聞こえてきた。


「ググッ……てめぇ……何……しやがった……?」

「ほれ、そこの桶の水を浴びせてな、お主の首を頂戴したのじゃ」


 ぐるりと視界が回り、その先に井戸と大きな桶が幾つか見えた。


 伊蔵は煙に紛れて背後に回り、井戸の側に放置されていた大きな桶の水をアガンに浴びせ掛けた。

 その水によって火の勢いが弱まった一瞬で首を落とし、落ちた首を通りに止めてあった荷馬車から失敬したピッチフォーク※で貫いたのだ。


 その説明の最中、首を取られた巨体がバランスを崩し音を立てて石畳に崩れ落ちる。

 伊蔵が予想していた通り、バーダと同じく首を失うと体は動く事が出来ないようだ。


「首……それに桶だと……テメェ、騎士の俺に洗濯桶の水をぶっかけやがったのか!?」


 アガンは魔力で痛みを緩和しつつ伊蔵に吠える。


「あれは洗濯桶じゃったのか……しかし、首を落とされた事では無く、水を掛けられた事を気にするとは……おかしな奴じゃ」


 そう話した伊蔵は首を大きく突き出したまま、井戸に歩み寄った。


「何をするつもりだ!?」

「どうせお主も首だけで炎を操れるのじゃろう? いささか危ないのでな、この桶に沈めようかと」


 洗濯の途中だったのか、桶の水はかなり濁っていた。


「ふざけんな!! 俺は騎士だぞ!! んな汚ねぇ水に入れんじゃねぇ!!!」


 アガンが吠えると同時に、伊蔵がピッチフォークで貫いていた首が勢いよく炎を噴き上げた。


「やはりか」


 伊蔵はピッチフォークごと首を桶に突っ込んだ。


「ブバッ!?」


 アガンの首はボコボコと音を立て、桶の水を熱湯に変えた。


「ふむ、これは便利じゃ……ハッ! この首を持ち帰れば労せず風呂に入れるのでは……」

「はぁはぁ……伊蔵さん!!」

「おお、フィア殿、見て下され。こやつの首を使えば毎日熱い風呂に入れますぞ!」


 薬の入った箱を背負い荒い息を吐いていたフィアはツカツカと伊蔵に歩み寄ると、しゃがみ込み嬉しそうに桶を覗いている伊蔵の頭に拳骨を落とした。


「おバカぁ!!!」

「グッ!? フィ、フィア殿!?」


「ようやく追いついたら……何を暢気な事言ってるんです!! その人はこの辺を支配してる領主に仕える魔女ですよ!? 揉め事起こしたら森にいられなくなっちゃうでしょ!! それにこんなに派手な事しちゃ、暫くこの町に来れないじゃないですか!!」


 フィアは左手を腰に当て、右手の人差し指を振りながら伊蔵に説教を始めた。


「さっ、さようか……しっ、しかし、魔女じゃと言うたが、どっ、どう見ても男じゃがのう?」


 伊蔵は幼い少女に説教されるというきまりの悪さに耐え切れず、思わず話題を逸らした。


「あのですねぇ……魔女というのは最初の女王が女だったからそう呼ばれているだけで、悪魔、もしくは天使の力を得た者は男女関係無く魔女なんです……ってそんな事言ってる場合じゃありません!! ほらサッサと逃げますよ!!」


 フィアは伊蔵を促しながら背負っていた箱を下ろし、取り出した紙に何か書いて箱の下に挟み込んだ。


「じゃあ帰りましょう!」

「首はどうする?」

「……置いていっても面倒な事しか起こる気がしません。持ち帰りましょう」

「所でフィア殿、食料は……なっ、何でもないのじゃ」


 伊蔵を見たフィアの顔が何やら暗い瘴気を放っていたので、彼は自らの言葉を慌てて打ち消した。

 持ち帰る為、伊蔵が首を桶から取り出すとアガンは盛大にむせた。

 顔を覆っていた甲殻は剥がれ、今は大きいだけの人の首といった風情だ。


「グハッ、ゴホゴホッ……貴様、よくもこの俺を……ブバッ……ゴボッ」

「お主の所為で儂はまた芋とキノコの日々じゃ!」


 文句を言ったアガンの首を伊蔵は八つ当たり気味に桶に沈めた。


「ブハッ……きっ、貴様、ゴボボボボッ……ゴホゴホッ……おのれぇ、ブッ…ブクブクッ……ブハッ、はぁはぁ……」


 沈めては上げを繰り返し、伊蔵はアガンが大人しくなるまでそれを続けた。


「はぁはぁ……なんの……つもりだ」

「言う事を聞かねば、一昼夜コレを続けてもよいぞ」

「グッ……何が望みだ?」

「お主は今日から風呂係になるのじゃ」

「風呂係……だと……?」


 ニヤリと悪意に満ちた表情で笑った伊蔵に、アガンはなにか得体の知れない恐怖を感じていた。



 ■◇■◇■◇■



 伊蔵達が町を去った後、住民達はおっかなびっくり通りを確認し、首の無いアガンの体の側で薬の入った箱を見つけた。

 その箱の下には騒ぎに対しての謝罪と、詫びの品として薬を使って欲しい事が書き添えられていた。



 ※ピッチフォーク:長い柄と、長くて広がった歯を持った農具。元々フォークとはこの農具を指す言葉。

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