第2話 忍び、不本意ながらしもべとなる
黒髪の男は主の城が焼け落ちるのを茫然と見つめていた。
突然襲って来た隣国の軍勢は田畑を蹂躙し、町を焼き、彼の仕える主家の城を焼いたのだ。
男が戻った時には人々は連れ去られ、城は大火に包まれていた。
落ち合った仲間の話では主は腹を召されたらしい。
城と町を見下ろせる丘から燃え上がる城を見ながら男は拳を握りしめる。
「殿……クッ」
「待て、何処に行くつもりじゃ?」
「知れた事、
「落ち着け
「ではこのまま泣き寝入りせよと!?」
「……殿はきっとご子息達を逃がされた筈、儂はそちらを追う。伊蔵、お前は御家再興の為の力を見つけよ」
「……力?」
師匠である老人は黒髪の男、
「ここより東、海の向こうの大陸には世の理を超えた力を持つ者がいると聞く。その力を手に入れるのじゃ」
「……お師様」
老人の言葉は伊蔵の命を救う為の方便だったのかもしれない。
守るべき主家も民も失い、再興等、夢のまた夢。
しかし、命の使いどころを逸したその時の伊蔵には、それに縋る以外、この世にいる意味は見いだせなかった。
「承知……」
「うむ、お主は儂が仕込んだ者の中でも一等腕が立つ。きっと成し遂げる事が出来ようぞ」
「ハッ!」
「では行け!」
「お師様もお気をつけて」
「ガハハッ、誰に言うておる! ……伊蔵、達者でな!」
それから伊蔵は海を渡り、大陸を東へ東へと進んできた。
■◇■◇■◇■
まどろみから覚めると屋根に開いた穴から空が見えた。
穴から差し込んだ光が眩しく目を焼く。
「ここはあの世か……?」
確か気味の悪い怪物に胸を抉られ倒れた筈。
そう思い、体に掛けられていた布を退け、身を起こし自分の胸を見る。
鎧も服も脱がされて胸には包帯が巻かれていた。
包帯にはわずかに血が滲んでいたが、特に強い痛みは感じなかった。
「……儂は……生きている?」
怪物の触覚は確かに伊蔵の胸を貫いた。
上手い具合に心臓や肺を逸れたのだろうか……。
「起きたのですね? 体は何ともありませんか?」
「これはおぬしが?」
「はい……」
淡い桃色の髪の少女が伊蔵に頷きを返す。
その頭は空色のフードで隠され確認する事が出来ない。
この娘の頭にも確かに角が生えていた。
あの時は怪物に子供が襲われていたので思わず助けてしまったが、魔物同士の縄張り争いなら介入すべきでは無かったのかもしれない。
「手当をしてくれた事には感謝する。じゃが儂はこの国で探さねばならぬ物がある。娘、おぬしも厄介事を抱えておるなら早々にここを離れよ」
「……あの……その……」
「なんじゃ?」
少女は言い難そうに俯いてもじもじと両手を胸の前で動かした。
「えっと……」
「はよう言え」
「……その…ですね」
少女は意を決した様に顔を上げ、伊蔵を真っすぐに見つめた。
「あなたは私から離れる事は出来ません!! 使い魔の契約を結んだのであなたは私のしもべとなったのです!!」
一気に捲し立てた少女に伊蔵は困惑気味に返した。
「しもべ? 何を言うておる? 儂の主は足立家じゃ。いかにお主に恩があろうとそれは変わらぬ」
「でも、その……契約なので……」
「その様な契りを結んだ覚えはない!!」
伊蔵はベッドから降りると自分の装備を探す為、部屋の出口に向かおうと少女を押しのけ歩みを進めた。
「あっ、傷は治療しましたけどまだ動いちゃ駄目です!!」
「己の体の事は儂が一番知っておるわ!!」
「ひっ……」
怒気を含んだ伊蔵の声に少女は息を飲み身を竦めた。
しかし、彼の背中の包帯に新たな血が滲んでいるのを見ると、胸元で右手を握り息を吸い込む。
『ベッドに戻りなさい!!』
出口の扉に掛けた伊蔵の手が少女の声でピタリと止まった。
「なに?」
体が自らの意思に反して動き、伊蔵はスタスタとベッドに戻りその身を横たえた。
「なななっ、何じゃこれは!?」
「あの、だから使い魔の……」
「おのれ、面妖な!! やはりお主魔物じゃったか!?」
「ひうッ!」
伊蔵が声を荒げると少女はビクリと体を震わせた。
その目に見る間に涙が溜まる。
それを見た伊蔵はさすがにバツの悪さを感じた。
少女が主従関係を口にした為、いささか憤慨していたが、いかに魔物でも見た目は幼い少女だ。
大の男が怒鳴りつける等、あまりに大人げない。
伊蔵は自らの行いを鑑み少女に頭を下げた。
「……すまぬ。ゆるせ」
「ヒグッ……お話……聞いてくれますか?」
「……うむ、聞こう」
顔を上げた伊蔵に少女は多少怯えた様子を残しつつも話し始める。
「あなたの心臓はバーダ……襲ってきた魔女の名前です。彼女によって深い傷を負っていました。助けるにはあなたを使い魔にする他、方法が無かったのです」
「あの怪物が魔女……あの様な者から魔法を教わるのは骨が折れそうじゃの……して使い魔とはなんじゃ?」
伊蔵の問いに少女はフードを外し頭の角を見せた。
「……私もバーダと同じ、魔女の一人です。使い魔っていうのは魔女が使役する動物の事です……魂が繋がっていて主の命令には絶対に従う様になっています」
「やはりお主も……絶対服従……助ける為と申したが、どうして儂を使い魔とやらにせねばならぬ?」
「えっと、あの時、あなたの魂は肉体から離れようとしていました……繋ぎ止めるためには契約を結ぶしか……」
魂が肉体から離れる。
それは言うまでも無く“死”という事だろう。
という事は目の前の魔女だという少女は誇張では無く、本当に命の恩人だったという訳だ。
「なるほど……しかし、命の恩があるとはいえ儂はお主に仕える事は出来ぬ。恩は働いて返すゆえ、その契約を消してくれ」
「あの……出来ません。消したらあなたは死んじゃいます」
「死ぬ? 何故じゃ? 儂は今こうして生きておるではないか?」
「えっと、あなたの心臓は今、私の魔力で補助する形で動いてます。契約が無くなると魔力が届かなくなるので、心臓は止まっちゃいます……だから……」
心臓が止まる?
伊蔵は包帯に覆われた胸に右手を当てた。
押してみると多少の痛みを感じたが、それ以外は平時と変わりはない。
手首に指を押し当てる。
いつもと変わらず体は脈を打ち、血を巡らせている。
「嘘を申すな。胸は少し痛むが体に血は巡っておる。そのようなデタラメを言わずとも恩を返すまでは働こうぞ」
「あう……嘘じゃないのに……」
「さぁ、早う、その契約とやらを消すのじゃ」
伊蔵はズイッとベッドから身を乗り出し、少女に迫った。
「えっ、あの」
「さぁさぁ」
「うぅ……もう知らないから!!」
少女は伊蔵の胸に手を当て聞きなれない言葉を呟いた。
頭の角が淡く光り伊蔵の胸に奇妙な文様が浮き出て消える。
「カハッ……」
途端に伊蔵の心臓は悲鳴を上げた。
締め付けられる様な苦しみにベッドに倒れ胸を掻きむしる。
「あわわ……だから言ったのに……」
少女は苦しむ伊蔵の前で慌てて両手を組み祈りを捧げる様に何か呟いた。
再び角が光を放ち、紋様が浮かぶ。
それは苦しむ自分に差し伸べられた手の様に感じられ、思わず伊蔵は縋りついた。
と同時に紋様は伊蔵の中にしみ込む様に消え、彼の心臓は鼓動を再開した。
「はぁはぁはぁ……今のは……?」
「あれが使い魔の契約です。解くとあなたは死んじゃうんです……」
「クッ、何とかならぬのか!? 儂は既に主がおるのじゃ!!」
「えっと……魔力を溜め込んだ結晶があればなんとかなるかもですけど……」
少女の言葉を聞いた伊蔵は大きくため息を吐いた。
ようやく求めていた力を見つけたのに、その結晶とやらを見つけねばこの娘から離れる事は出来ないようだ。
……いや、この娘も魔女だという……ならば恩を返しながら娘から魔法を教わり、同時に結晶を探せばよいのではないか?
伊蔵はそう結論付けるとベッドの上で居住まいを正し少女に向き直った。
「儂の名は佐々木伊蔵。此度は命を救って頂き感謝の言葉もござらぬ」
「あっ、いえ、私も助けてもらったので……あっ、私はフィアです」
深く頭を下げた伊蔵にフィアはワタワタしながら答える。
「フィア……ではフィア殿、勝手な願いではあるが結晶が何処にあるかお教え願いたい。もう一つ、儂に魔法を教えてほしい」
「……」
顔を上げフィアを真っすぐに見て言った伊蔵からフィアは目を伏せた。
「なんじゃ? もしや結晶とはフィア殿の宝か? なにもただでくれとは申さぬ。金子は用意するゆえなにとぞ」
「言いにくい事なんですが……」
「ぬ……もしや金では買えぬ代物か?」
「えっと……結晶があるのか無いのかも定かじゃないんです。私も本で読んだだけで……あっ、あと、魔法も私が使える魔法らしい魔法は使い魔の契約だけで……」
「……では儂はお主から離れる事は出来ず、魔法も学ぶ事は出来ぬと」
「はい、すいません……」
やはり飯屋の親父の言葉は正しかったのかもしれない。
ガックリと肩を落とした伊蔵を見てフィアはすいませんを連呼した。
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