王国騎士デイビッドは家に帰りたい 09

 



「……移動?」

「ええ、そうです。明日、お子様方がいらっしゃる場所にお連れ――」


(妙ね……いつもの飄々ひょうひょうとした態度とは、どこか違う……これまでは、掴みどころすら見つからなかったというのに……それにしても、随分と動揺しているようだけど、何があったのかし――っ!?)


 ソニア=カーヴィス、旧姓アルヴェイル、現カーヴィス公爵夫人。侯爵家の第三子、次女として世に生を受ける。

 騎尊魔卑きそんまひの傾向が強く、魔道職の立場が弱いのが、ナヴァル王国という騎士国家。

 そんな国に属する魔法貴族――魔道を征くことを選んだ貴族の中にあって、建国以降、一定以上の評価と功績を積み上げ、事実、侯爵の地位をあずかるほどまでに成り上がったのが、アルヴェイル一族。

 その歴史は、決して気安いものではなく、王国内に蔓延する風潮という名の向かい風の中、一歩一歩、確実に歩んできたが故の侯爵という地位であり、そこに生まれた誇りは、一族の者達に気高さを、他の魔法貴族には希望を与えた。

 今の彼女は、カーヴィスの一族に名を連ねる者である。だが、それと同時に、魔法貴族たるアルヴェイルの一族としての誇り――何者にもけがされぬ気高き黄金を担う1人である自覚が故にたたえられし、その輝きは、彼女の魂に今も深く刻まれている。

 つまり、ソニア=カーヴィスという女性は、熟達した黄魔法師であり、アルヴェイル一族に伝承されし式に則った魔法の担い手として、夫であるケヴィンと共に戦場を駆けてきた軍人――最前線にこそ赴く機会は減ったものの、今なお強者に類する者であるということ。

 だからこそ、なればこそ――歴戦の軍人特有の勘の良さ、嗅覚に近いそれを有しているからこそ、その匂いを嗅ぎ取り、気付いた。


 カーヴィス公爵邸が、戦場へと変じたことを。


「伏せなさい、ターニャ!」

「ふぇっ!?」

「夫人? いったい何をして――っ!?」


 それは、老魔法師が、一瞬の間に行なった複数の魔法によって引き起こされた結果。


「――いやいや、すまんのう。修理費用の請求は、第1王女宛てで頼むぞい」

「ちょ!? それは流石に酷くないかしら、叔祖父様!」

「こ、公爵邸が……」

「気にしたら負けですよ、先輩。ナヴァル王家の方々は、やるとなったら無茶苦茶しますから」


(第1王女に、叔祖父様ですって!? どうして姫殿下とガデル様が、ここに……いえ、今はそんなことより、あの者のことを伝えなければ――)


「ガデル様、あの者は――」

「安心せよ、ソニア、

「――っ!?」


(そ、そうよ、なんで……なんで、ガデル様の魔法が、今、この場で、問題なく発動しているの?)


 魔法を含めた魔道的行為を成立させる為に要するものは、基本的には魔力である。ただし、体内の魔力は魔道的行為のみならず、生命維持の役割をも担う魂魄を、正常に機能させる為にも用いられる。

 だからこそ、大気に満ちる魔素と魂魄が繋がることで魔力の代替を果たし、体内魔力の消費を抑えた、効率的な魔道的行為が可能になる。

 魔素喰いマナイーターの厄介なところは、常時、大気中の魔素を喰らうことで、魔素濃度が極めて低くなり、そのことが魔素を体内に取り込むことを困難とする要因となって、魂魄による魔力生成が事実上の停止。その結果、体内の魔力だけで魂魄を維持することを強いられる点にある。


 何故、ソニアやターニャが、魔道的行為を行なえないのか――生命維持の為に魂魄の維持を優先する生体機能、生物の本能の1つである生存本能を具現化したような機能、通称リミッターが、正常に稼働したことが、その理由。


 では、つい先程、公爵邸の屋根を突入してきたガデル達を覆っていた、黒い幕のような現象とは何か――当然、ガデルの黒魔法によるもの。

 ならば、今のガデルはリミッターを破って、つまり、命と同義である魂魄を削りながら、魔道的行為を成立させているのか。


 ――否。


 勘違いしてはならないことがある。


 螺旋式の魔法を除き、マルス及びシンに可能な黒魔法は、ガデルにも可能であるということを。

 シンから聞かされた魔素喰い対策とは、要は、古代式もしくはTBA式と呼んでいる魔法技術を応用したものであることを。


 例えば――単騎駆けスタンドアローン

 そして――黒き繭。


 前者の場合、黒魔法の基礎にして最難とも云われる技術――封閉クローズが、特に重要になる。

 魔道的行為に限らず、物体は、その状態や形態が、外部からの干渉によって変化することがある。

 封閉の場合、閉ざす、もしくは、封じるといった状態を付与するということだ。

 現代式の黒魔法はその限りではないが、古代式やTBA式と呼ばれる魔法の場合、放たれる魔法全てが、封閉という状態への変化を成せると思っていいだろう。

 そして、その対象は、敵味方を問わない。

 つまり、魔素喰い対策である単騎駆けを、自分だけでなく、味方にも施せるということ。


 魔素喰いは、魔道職の天敵である。

 だが、熟達した黒魔法師には当てはまらない。


 Antipathyアンチパシー Braveブレイヴ Chronicleクロニクル において、黒魔法師が有能とされた理由の1つである。


「――黒繭くろまゆを、あの一瞬でかたどれるなんて……流石は黒淵、その腕前は健在ですわね」

「ふっ、それ程でもあろう? さて、今はそんなことよりもだ、ソニアよ――」

「はい……賊は、あの者を除いて、18。その全員が、獣人族です」

「やはりか……灰象人族以外の者は如何程いかほどじゃ?」

「そこまで掴まれていましたか……お察しの通り、灰象人族の者達に加えて、朱豹人族の者が――」

「お主ら、聞いたな?」


 ガデルの言葉に、ガデルが引き連れてきた3人が頷く。それと同時に、彼が、先早に動き始める。


「では、私は手筈通りに――」

「うむ、のも程々にな」


 オーガを模した黒仮面を装着する剣士――そのように映る装いのカイト=シルヴァリーズは、室内の異変に気付いたと思しき朱髪の獣人族、つまり、朱豹人族の武人2人の内、先に入ってきた者を、一も二もなく速やかに切り裂いては絶命させ、残る1人の喉元に刃を突き立てたのち、その場に捨て置き、公爵邸の制圧へと向かう。


「なんという……あの人でも力負けした者達を、ああも容易く……とはいえ、にわかには信じ難いですね」

「……流石に気付くか」

「仮面越しで、声がくぐもっていたとはいえ、カイト卿の声は、何度も聞いたことがありますので」

「内密にの?」

「……ええ、胸に納めておきます」


(陛下と共に行方が知れなくなっていたカイト卿が、姫殿下やガデル様と行動を共にしている理由……ボルケティノ公爵閣下の読みは、どうやら当たっていたようですね…………それにしても、あれはどういうことなのでしょう……カイト卿が、人族から魔人族へと進化を遂げたのは、有名な話。魔素が無きに等しいこの場で、獣人族の中でも、特に戦闘能力に秀でている朱豹人族を瞬殺した、あの強さの理由は、彼が魔人族であることを起因としている、そういうことなのかしら……いえ、どうにも腑に落ちないわね……カイト卿は、騎士であると同時に、凄腕の付与魔術師。様々な付与を自身に施すことで増した力を以て敵を圧倒する戦い方が、彼のスタイル……言い方を変えるなら、隙は多いけれど、そのマイナスをプラスに変えるほどの強大な力で、強引に敵をすり潰す、そんな戦い方だった筈……けれど先程の戦い方は、まるで生粋の武人――魔にることなく戦場を駆ける者のような、隙を感じ取れない綺麗な立ち振る舞い……最後に直接会ったのが、1年と少し前。その間に、何かしらの変化があったようね――)


 貴族たるもの、他者を見る目が備わっているのは当然である。そうでなければ、生き抜くことすら困難となるのが、ナヴァル王国における権力闘争という名の戦場なのだから。

 権謀術数けんぼうじゅっすう渦巻く最前線を、長らく生き抜いてきたソニアにも、他者の良し悪し、真贋しんがん、物事の是非や有無などを判断する眼力が備わるのは、当然のこと。

 そんなソニアであれば、今のカイトが、以前の彼とは明らかに異なっていることに気づくのは、もはや必然である。




 ちなみに、ガデルによる単騎駆けが、セレスティナやデイビッド同様、カイトにも施されているが、左の手首のそれにあかりはともらず――正確には、カイト自身が、敢えてさせなかったことを追記しておこう。




 ともあれ、ソニアが今、最も気になっているのは、カイトの変化では無く――


「それで、ガデル様――御二方は、どうして、この場に参られたのですか?」


 第1王子派閥における最大戦力であるカーヴィス公爵家ゆかりの者を、政敵である第1王女派閥の旗頭、第1王女セレスティナや参謀役である黒淵のガデルが助けに来る、その状況、その不可解さは、多少なりともナヴァル王国の政治に関わる者であれば、困惑しない方がおかしい。


 故にソニアは問う、この行動の真意を――あなた方は、敵なのか味方なのか、と。


「のう、ソニアよ」

「はい?」

「――害虫と聞いて、何を連想する?」

「…………なるほど、そういうことですか」


 ナヴァル王国の貴族として、充実した教育を受けている者全てに共通する、とある1つの認識。

 ユグドレアにおける本来の意味――社会生活を営む際に害になる虫型の魔物――とは、別の意味合いが、害虫という言葉に含まれている。

 それは、世界を蝕み、甚大なる被害を齎す外敵。即ち、外天の支配者と、それに属する者達、及び――異世界召喚勇者。


 ユグドレアの住人にとって、忌むべき害虫であり、それはまさしく、敵なのである。


「……ランベルジュとは、到底思えません。となれば……やはりアードニードでしょうか?」

「状況的には、それが濃厚じゃろうな。アルヴィスの小僧が、を取りに行かせたとは聞いとる。向かったのはおそらく――」

「――閃光、ですね。オーバージーンであれば、リザリー様以上の適任者はいませんから」

「うむ、よって詳細は追々じゃな……それで、少しはしたかの?」

「お陰様で、というべきなのでしょうか……やはり、この現象は、あの者が?」

「左様。彼奴あやつは、魔素喰いと呼ばれる魔導器なのじゃよ」

「魔素を喰らう魔導器……そんな恐ろしい物が存在するなんて……対処は、黒魔法師にしか出来ないのですか?」

「流石はソニア、察しが早くて助かるのう。今のところは、黒魔法のみじゃが、いずれは――」

「なるほど……魔導を以て、魔導を制す、と」

「うむ……さて、ソニアよ、急ぎ身支度をしてほしいのじゃが、持って行くべき物はあるかの?」

「いえ、重要な物は、領の方にありますので。直ぐにでも出立可能です」

「あい分かった。ならば、あとは――」

「――ホント無事でよかったわ、ターニャちゃん……大丈夫、酷いことされてない?」

「は、はい……大丈夫です、学院長――」

「今はそんな畏まらなくてもいいのよ? ほら、いつもみたいに、ね?」

「え、と……セレス、お姉ちゃん?」

「うんうん、ターニャちゃんのセレスお姉ちゃんが来たからには、もう安心だからねー…………はぁはぁ、ターニャ、ホント可愛い」

「え?」

「ううん、なんでもないわ。さあ、お部屋に行って、お着替えしてあげ――」

「この、馬鹿たれがっ!!」

「ひゃん!?」

「…………なんか見慣れてきたなぁ」


 ガデルのケツロッドがセレスティナに振るわれる光景を、この10日間、何度も見てきたデイビッドが、緊張感漂う公爵邸で、またもケツロッドを眺める羽目になった訳。

 魔法学院の教師と生徒の間柄であり、互いに公爵家の出自であることも相まって、セレスティナとターニャは、プライベートの時分においても、それなりの親交を重ねている。

 そして、ターニャ=カーヴィスは、公爵令嬢の名に恥じることなき美少女。

 セレスティナ曰く、マックス可愛いターニャたんの憔悴しょうすいした姿を目撃したことで、己の意志とは関係なく身体が勝手に動き出し、後ろから優しくハグをしたのち、思うがままに可愛がりをしたことが、セレスティナにケツロッドが振るわれた原因にして理由、つまりは自業自得である。


 その場に漂う緊張感を和らげる突発的な一幕の最中、硝子にひびが入ったような音が、部屋の一角に現れた、黒い繭から鳴り始める。


 そして、声が――


「随分なご挨拶ですね、黒淵の――っ!?」

「――おや、発言を許可した覚えは無いぞい?」


 愛の使徒フェネの声が聞こえたと同時に、再び遠のく――黒繭に、更なる膜が覆われたことで。


 勘違いしてはならない。


 希望のフェルメイユに向かって発動された、シンの黒繭が、あの時、見事なまでに砕かれたのは、魔素喰いだからこそ成し得た事象であることを。

 あの時のシンにとって重要なのは、自身の空撃士としての実力を計ることであり、故に、義剣のルストにある程度の説明をする為の時間稼ぎができれば、それで充分だったことを。


 黒繭、正しくは、魔方と呼ばれる式に分類されるその黒魔法――黒方は、古代式魔法、並びに、TBA式魔法において上から3番目、黒柱に次ぐ難易度の代物。

 ひとつ下の黒線と比較した場合、その難易度は格段に高まり、それに比例するように、威力や効果、範囲などが、飛躍的に上昇する。

 そして、熟達した古代式、TBA式の魔法師が、敵対する相手を拘束する場合に選び取る手札は、大抵の者が、魔方である。


 それは例えば、紅蓮のレヴェナが、第1騎士団団長に脅しをかけた、あの時のように。


 魔点や魔線には若干劣るものの、魔方を成功させるまでの所要時間は少なく、発動から拘束までにかかる時間は、平均で1秒以内といったところ――もしも、それを為すのが黒淵のガデルならば、0.3秒以内での対象の捕縛が可能。その事実が示すのは、同じ速さで再拘束が可能だということ。

 こと一対一の場面であれば、魔方を選択しないという選択を採用すること自体がミスに等しいと、そのように断言する者がいるほどに、魔方とは有用な一手なのである。


 そして、今この時この瞬間において、拘束を解いてやる理由など、ガデルの胸中に存在しない。


 つまり、愛の使徒を名乗る魔導器は、ガデルの黒繭に囚われた時点で、以降の行動の何もかもをじられ、ガデルの魔力が尽きるか解放することが選ばれるまで、暗き闇の中にじ込め続けられることが決定した――Antipathy Brave Chronicle において、対人最強と謳われし黒魔法師の本領、その1つこそが、これである。




 無論、追撃によるとどめを刺すことも可能である。





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