弍龍会談録 下巻




「陛下……」

「ふぅぅ……すまんな、どうにも頭に血がのぼる情報が多くてな……次の……魔薬のことを聞かせてくれるか」

「わかった――」


 宗茂曰く、ネフル天聖教霊長派がフォルス皇神教の手の者であるとすれば、納得できる事柄が2つ存在する。

 1つは、ナヴァル王国に人族以外の聖官がいないこと。

 人族至上主義を民衆に深く浸透させる際に、他種族の聖官によるネフル天聖教本来の教えは邪魔になる為、まず間違いなく暗殺されている。秘密裏に始末されている可能性が高いことから明るみになることもまず無い――というのが、宗茂が予想した、人族以外の聖官が存在していない理由。

 結果を言えばそれは正解であり、クリストフ王も傍らで聞いていたカイトも納得する理由だった。


 残る2つ目は、霊長派が片手間に魔薬を撒く理由。


「それで……片手間とはどういった意味なのだ? 魔薬を撒く理由はなんたなくわかるのだが……」


 そう、クリストフ王が気になるのは、魔薬を撒くことが片手間、言い方を変えれば、に霊長派が魔薬をばらまいていると主張する宗茂が、何を以てその考えに至ったのか、それが気になっているのだ。


「霊長派がフォルス皇神教であるという前提で考えた場合、魔薬を撒いて民衆を支配するというのは、今の時点では動機が弱すぎる」

「動機が弱い……そうなのか?」

「フォルス皇神教は、ガルディアナ大陸に於いて既に滅んだ宗教として、人々に認識されている。これはナヴァル王国が人族至上主義を掲げたにも関わらず、未だに他種族が攻め込んできていないのは、一応は王国がネフル天聖教を国教としているからだ」

「それはそうだな。もし我が国が堂々とフォルス皇神教である、などと宣言したら、ネフル天聖教の聖戦布告によって多種族連合が生まれ、ひと月も経たずに我が国は滅ぼされるだろう……」

「だろうな。フォルス皇神教は大陸に存在しないと思われている宗教で、ネフル天聖教とは絶対的人数差の壁が存在する。小勢でしかないフォルス皇神教が民衆を支配したところで、大勢であるネフル天聖教が動き出せば即座に制圧される。つまり、今動くのは得策ではない。奴らもそれはわかっているから、人族至上主義を主張するに留まっているわけだ。では、動くべきでない状況にも関わらず、手間暇をかけてまで魔薬を撒く理由は?」

「……特別なものではない、と」

「そうだ、魔薬自体はオマケなんだろう。結果だけ見れば、定期的にまとまった収入になり、都市の治安維持能力も下げる。ナヴァル王国外のネフル天聖教の者達に勘付かれる可能性こそあるが、外部の聖官を徹底的に排除すればリスクはかなり抑えられる。つまり、リスクは少なくリターンはそこそこ、ただそれだけのこと」

「では、本当の理由とは――」

「……権能」

「なっ!?」


 これまでの驚きとは比にならぬ程に、クリストフ王が驚いていた、驚愕という言葉をまさに体現していた。


「御主、その言葉を何処で――」

「俺自身だ」

「は?」

「俺は、憤怒の権能を

「ふ、憤怒だとっ!? いや、それよりも……受け取った? 権能はでは……」

「落ち着け、王よ、今説明する――」


 宗茂は、憤怒の権能を受け取った経緯――傲慢の破壊神を撤退させた時のことを、クリストフ王に伝えた。


「な、なんという……そうか……御主、いや、貴方は、ユグドレアの守護者だったのですな……」

「やめてくれ、頭を下げられるようなことは――」

「何を言われますか! 伝承通りであれば、神皇フォルスによって、ガルディアナ大陸は既に支配されていたはずです。それを食い止めてくださった英傑に敬意を払うのは、傍流といえど英傑の一族である以上、当然のことです!」

「……頼むからやめてくれ、むず痒すぎる」

「陛下、この場は……」

「いや、しかし……むぅ……」

「……陛下」

「ぐぬっ……わかったわかった、守護者様への非礼は良くないことだな……ふぅ……」

「……カイト殿、助かった」

「いえ、諌めるのも役目ですので」

「そうか……」


 異常なまでに興奮したクリストフ王をきちんとたしなめるカイトの姿に、主君に忠を捧げる騎士の模範を見た宗茂は、顔には出さないが非常に感動していた。

 武に生きる者として、国内外問わず、戦の歴史を好きこのんで学んでいた宗茂にしてみれば、2人の姿が、揺るぎなき主従関係を結んだ理想の王と騎士に見えたのだ。


「では、続きを」

「ああ……現在のフォルス皇神教は、厄介かつ危険ではあるものの、決して大きい勢力ではない。ネフル天聖教が大陸全土に広がっている今の状況下で、中途半端に勢力を広げる意味は無い」

「先に述べられた通り、すぐに潰されるから、ですな」

「ああ……だがひとつだけ、この状況でも勢力を広げることが無意味にならない道筋がある」

「……神皇フォルス」

「その通りだ。もしも神皇フォルスの復活が果たされれば、たとえ規模が小さくとも他を圧倒する凶悪無比な勢力となる」

「つまり……フォルス皇神教は、傲慢の破壊神である神皇フォルス復活を目論んでいる。その過程のついでに魔薬をばら撒いていると?」

「ああ、おそらくは間違いない」

「なるほど……しかし、どうやって……それに、なぜ今なのか……」


 クリストフ王が抱いた戸惑いと疑問は当然である。

 彼からしてみれば、伝承ですら聞かされていない、あまりに難解な問いのように思えたからだ。

 フォルス皇神教側には伝わっているかもしれないが、まず間違いなく秘中の秘であるはずの神皇フォルスの復活方法を外部に漏らすわけがない。

 例え信者を、それこそ枢機卿のバルグや宰相のダグラス、第2王子のアルフリートを尋問したとしても、なんらかの対策が取られているのは間違いないと、クリストフ王は考えていた。


「……幻創器だ」

「そうかっ!! それならばあり得る、いや、だからなのか!」

「……どういう意味だ?」

「あくまで伝承なのですが……幻創器の起動には、正確には16英傑の血脈が必要らしいのです。姫君による選定はまた別問題らしいですが……」

「なるほど……クリストフ王の祖先は――」

「紛れもなく英傑の血が流れております……一応ですが」

「一応?」

「16英傑に数えられている方の、実の弟君が、我らの祖先だったらしいのです」

「なるほど、起動の条件自体は満たしている訳か」

「はい……しかし、すぐに復活はできないでしょう」

「まあ、それはそうだろうな。もしも今の時点で復活させることが可能だというなら、既にナヴァル王国は滅びてるはずだ」

「……その通りですな」

「それよりも、すぐに復活しない根拠があるのか?」


 今、神皇フォルスが復活することはない、そのようにはっきり断言したクリストフ王にどんな根拠があるのか、それは自分の憶測と同じなのか、宗茂は気になっていた。


「神皇フォルスが、かつて大陸の支配者たりえたのは、忌々しくも大いなる力を振るえていたからです、すなわち――」

の権能」

「はい……話を聞いた限り、同じ権能である憤怒の権能との衝突によってかなり消耗しています。であれば、権能の復活に要する時間も労力も大幅に増えているはず。権能が不完全な状態である限り、神皇フォルスが現界することは無いでしょう」


 傲慢の権能は、醜態を他者に晒すことを良しとしない。その性質こそが傲慢の権能の弱点であり、権能の中でも最悪と言われる暴虐性の源である。


「憤怒の権能が存在する今のユグドレアに、敗北を嫌うといわれている傲慢の権能は、万全な状態以外で神皇フォルスを向かわせることはしないでしょう。結局のところ、傲慢の権能こそが神皇フォルスの力の源。それゆえに傲慢の破壊神と恐れられ、ガルディアナ大陸では、というで危険な存在を明確に否定するようになった訳ですが、今回は、ひとつの負けも許すことのない傲慢さに救われた形になっていますな」

「なるほど、な………………ところで、王はのことをどう考えてるんだ?」

「神代……ですか?」


 質問の意図がわからないクリストフ王だが、それ以上に困惑していた宗茂は、感じていた違和感のひとつが目の前に現れたことを好機と捉え、その質問をした。


 クリストフ王が口を開く。


「――忌まわしき神を滅ぼした英傑達が活躍していたとされる、遥か遠い過去の時代ですな」


 そして、宗茂が答えが返ってきた。


(やはり、か……)


 クリストフ王は、自分が生まれていない頃に起きた出来事――初代国王が没した年が117年前だったと、きっちり覚えているほどに知性ある勤勉家だ。

 そんな彼が、王族として他の者とは比較にならない程に歴史を学んでいるはずのクリストフ王が、神代のことを遥か遠い過去の時代と、に答えた。

 そして、神皇フォルスのことは知識としてあるのに、に対して、正体不明と言い放ったこと。


 さらに、神代には神々がいた、つまり神が複数存在していることは何故か知っている。


(この世界では、神皇フォルスを除く神々という存在自体に情報調整されている可能性が高い。その上で神代の詳細が秘匿されている、もしくは――)


 宗茂は、ユグドレアの人が神代を語る時に共通している、そのことが気になって仕方がなかった。


 なぜ神代と呼ばれる時代が、今から何年前だったのか、具体的な数字が出てこないのか。


 数千年前なのか、数万年前なのか、さらに前なのか、一切聞いたことがない。とはいえ、ただ単に具体的な年代がわからないだけなら、宗茂としては別に構わないのだ。


 だが、違うのだ。


 宗茂にしてみれば、どうにも不可解すぎる状況に、違和感がいつまでも消えないのだ。

 それはおそらく、本多 宗茂という男が、普段からラーメン関係の書物、もしくは武術書、歴史書ばかりを嗜み、推理小説を除いた娯楽に通じる書籍の類を好んでいなかったからこそ抱けた違和感。

 娯楽小説などでたびたび描かれる、異世界に飛ばされたり転生した者が主人公の作品群を好むような者であれば、そういうものだと納得するかもしれない。


 だが、宗茂には、神代という時代それ自体が、のようにしか思えない。


(難解すぎる推理小説を解くために必要な情報を、作者が後から提示しているようだ……)


 その時代に暮らした人々の、日々の営みを感じさせる空気感や生活感が、宗茂にはどうにも薄っぺらく感じるのだ。

 だからこそ宗茂は、こういった考えに至る。

 宗茂であればそのような考えになるのも当然である。


(もしも、神代の情報が秘匿されている――わけではなく、逆に特別な規制が存在しないとしたら、それは情報の絶対数が少ないということを示している……だが、情報の正当性を裏付ける為の情報が少ないにも関わらず、やたらと具体的で信憑性の高い情報…………どうにも作為的なものを感じる……やはり、神代と呼ばれる時代は、の可能性がある……そして、幻創器の存在。もし、この考えが正しいとしたら――)


 それは、類稀なる知性を無自覚のまま育んできた本多 宗茂の柔軟な思考力だからこそ気付いた、世界の秘密。

 それは、今はまだ彼以外、想像もしていない空想の産物に等しい。


 それは、正しく解き明かされた答えにして、気付いた者に贈られる新たなる問いかけ。




 この世界は、いつ――られたんだ?










 その日、王都ナヴァリルシアに起きた騒動は、さまざまな人物の心に、良くも悪くも爪痕を残していた。


 だが、騒動の最後に起きた出来事。


 それこそが、のちに多くの学者に執筆されることになる戦記の題材――ナヴァル大戦、その冒頭で必ず述べられるほどに有名な、最初の事件であった。

 結果としてそれは、大戦の趨勢を左右するほどの行動ではあったのだが、当時の人々からしてみれば非常に反応に困ることであり、まさに悲喜こもごもといった、混沌極まる状況に陥ったのは想像に難くない。


 その日、王都ナヴァリルシアに起きたの騒動。




 ナヴァル王国国王であるクリストフ=A=ナヴァルと近衛衆筆頭カイト=シルヴァリーズ子爵の2名が――した。






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