今日も明日も明後日もブレない。
「むぅ…………これも駄目だな」
小さな樽の中には、黒一色の粘土のような見た目の
(工程に間違いはない、材料も問題はない……となると、問題はやはり――)
黒髪の大男――本多 宗茂が悩んでいるのは、ラーメン好きが強いこだわりを持つ、あの調味料。
(万が一にでも危険な物は作れないからな……それにしても、どうしたもんか……)
それはラーメンの味の主軸にする調味料のひとつ。醤油や塩に勝るとも劣らない人気を誇る、日本人がこよなく愛す、あの調味料。
そう、味噌である。
エルフ謹製の透明な醤油――エルフセウユと違い、ガルディアナ大陸に味噌は存在しない。
デラルス大森林開拓村と仮称している其の地には、多種多様な種族がいる。であればと、其の地全ての種族の各代表に聞き込みを敢行した宗茂は、打ちひしがれる結果となった。
ガルディアナ大陸は、常春もしくは常秋とでも呼べるほどに、気温の高低差が少ない。
日本の四季と照らし合わせるならば、夏は暑くても26度前後、冬は寒くても12度前後と、はっきり言って非常に快適な気候である。湿度とのバランスも良いため、適度な晴雨を大地に向けて常にもたらしている。
宗茂曰く、ベルナス神山が大陸の大気を上手く撹拌する役割を果たしてるからでは、という予測の言葉、まさにその通りであった。
さて、種族問わず過ごしやすいガルディアナ大陸ではあるが、宗茂のように日本からやってきた料理好きにとって看過できないことがある。
気温が低いと――
例えば、醤油や味噌で馴染み深い
それこそ現代地球であれば、一度に大量に作って冷凍保存でもすればいい話なのだが、異世界でそれを望むのは酷である。
さて、日本人が疑問を覚えるかもしれない事案がある。
エルフ族名産であるエルフセウユは、ガルディアナ大陸でポピュラーな調味料である、つまり安定供給されているということだ。
それすなわち、年間を通して製作可能な米糀か麦麹に相当する物が、エルフセウユに使われているということだ。
その答えが、黒魔法である――
発酵と腐敗は似て非なるものではあるが、本質は同じ――微生物という外的要因がもたらす有機物の
つまり、過去にユグドレアに来た日本人の誰かが、エルフとともにコラプションを上手く活用してエルフセウユを作りあげた訳である。
(黒魔法のコラプションと白魔法のピュリフィケイション、効果を見る限りではこの組み合わせで上手くいく筈なんだが……作れない。やはり、
宗茂には、未熟ではあるが『鑑定 極』という――宗茂曰く、素材の情報を確認するのに大いに役立つ――スキルがある。エリザ程の精度はないが、それでも得られる情報量は並みではない。
まず、白魔法の
毒の中には生物に有害な微生物も含むと記載されているのを宗茂は確認。ティアナに頼んで、洗ってない食器やカビパンなど沢山のサンプルを用意し、ピュリフィケイションをかける。
その後、くまなく観てみれば、その全てから悪性の菌や微生物は消え、サンプルに用意した麦わらに麹カビが付着しているのを確認した。
草食動物や魔物の場合は、人種族とは胃や腸の構造が異なるため、麹カビは実質無害。
麦わらを食すような奇特な人族ならともかく、大抵の人族が麦わらを食べることは基本的にあり得ないため、有害認定されている麹カビは生物に実質的には無害といえる。
――ピュリフィケイションで菌の選別。
――コラプションによる適度な発酵。
この2つの魔法を駆使することで、ユグドレアでも発酵食品を作ることができるのである。
では、なぜ今回の味噌製作が失敗したか。
(魔力が強すぎるのが仇になるとは……)
宗茂の、その桁外れの魔力量が失敗の原因。
異世界に来て3ヶ月少々の宗茂には、発酵食品を作るために適した魔力量へと、そのとてつもない出力を絞るための魔力調節を可能とする技術が一切無い。
実のところ、宗茂をユグドレアに
本多 宗茂が、ラーメン大好きおっさんだったということ、そして、立花流戦場術という流派が、肉体の鍛錬以上に精神――魔力の源である魂の強度――の鍛錬に、力を注いでいることを。
本多 宗茂は、地球での筆舌に尽くせぬ凄まじい修練によって心身ともに鍛え抜かれていることで、桁外れの魔力量となってしまっている。
それが災いし、魔力の出力調節の難易度が跳ね上がってしまったのだ。
だが結果的にそれが、ある1人の少年――ユグドレア史上最高の
ともあれ、ラーメン大好きおっさんは、今日もその在り方をブレさせずに、大好きなラーメンのために動いていた。
それがネフル天聖教霊長派、ひいてはその裏に潜むフォルス皇神教にとって厄介なダメージを負わせることを理解している宗茂は、今日も明日も明後日も、
ナヴァル王国は、騎士国家である。
その事実は国民性の形成に間違いなく影響を与えており、
昨今の魔法騎士、特にナヴァル王国最強の呼び声高き近衛衆筆頭である魔人卿の活躍により僅かに改善の予兆は見られるが、魔導を除いた魔に携わる者達が王国において軽く見られる傾向は今なお変わってはいない。
それは例え、王侯貴族だとしても変わることは無く、むしろ――
「はぁはぁ、ぐぁっ…………はぁはぁ……」
陽が落ちかけている夕暮れ、住居がひしめき合う貧民窟の、狭い路地のさらに奥。
ナヴァリルシアにおける最も暗き道を、黒髪の少年が
「流石は
「はぁはぁ……」
少年の跡を追う者は3人。
「ったくよ……いい加減くたばれやっ!」
「くっ……がぁっ!?」
貧民と呼んだ黒髪の少年の足元から1本、また1本と、野ウサギを四方から攻め立てるように、初級の黄魔法である
「はっ、逃げ足だけは達者だな……このドブネズミがっ!!」
「ぐぁぁ……」
石の柱が脇腹を抉り、痛みと衝撃で倒れ伏す黒髪の少年の、その無防備な腹部に蹴りを見舞う金髪の少年。
その後ろには、身分の高い者に仕える従者のように控えている、金髪の少年と同じ服を着ている、赤髪と青髪の少年が2人。
「あー……そろそろ帰りません?」
「あ? 俺の邪魔を――」
「いやいや、そうじゃなくて、あの噂のこと、知らないっすか?」
視界に映っているはずの黒髪の少年が苦しむ様を全く気にしていない様子の赤髪の少年が、場にそぐわない軽い口調で、とある噂を金髪の少年へ語る。
「最近の貧民窟には正義の仮面騎士が現れるらしいっすよ」
「正義? なんの冗談だ、それは」
「なんでも盗賊やら騎士崩れなんかをぶちのめし回ってるらしいですねー……ところで今の俺ら、
ボロボロで弱り切っている黒髪の少年を、嬉々として虐めている3人という残酷な私刑の一幕を、正義と呼ぶものはいない――他の国であれば。
「貴様……この俺を悪とでもいうのか!」
「えっ、違うんで?」
「ふざけたことを抜かすな! 俺は――」
今、この場は、騎士を尊び魔を卑しめるという、病巣に等しい忌むべき観念が生んだ悲劇、その縮図を披露する場である。
「この貧民で狩りの練習をしてただけだ! 貴族の俺が獲物に選んでやったんだから、こいつは泣いて喜ぶくらい嬉しいに決まってんだろうが!!」
金髪の少年も、赤髪の少年も、青髪の少年も、ナヴァル王国の貴族の子息である。
だから、黒髪の少年はやり返さない。
ナヴァル王国という国の中で平民や貧民と呼ばれる者が貴族に逆らえば、その末路は決まりきっているからだ。
だからこそ、黒髪の少年は
「ちっ、だったら送っちまえばいいだろうが」
「うわぁ……それ、本気です?」
黒髪の少年は、朦朧とした意識の最中に聞こえてきた言葉から、自分の運命を悟ってしまった。
国に蔓延する愚かな思想により歪んでしまった貴族の子息による、ほんの些細な気まぐれが、貧民窟で懸命に暮らす黒髪の少年の運命を、たやすく捻じ曲げてしまう。
これは、ナヴァル王国ではそれほど珍しくもない、昔から頻発している悲劇。
騎士の適性が無いことで魔法師にならざるを得ない一部の王侯貴族達が、その弱い心を歪めた結果として
これは、ナヴァル王国を舞台とした、単なる惰性で繰り返されているだけの
黒髪の少年は、不運にもそんな理不尽な悲劇に巻き込まれてしまった。
だが、結果的にそれが、ある1人の大男――ユグドレアにおいて歴代最強の英傑であり、憤怒の破戒獣とも、いずれ
ともあれ、黒髪の少年はこれから戦場に送られる。
かの戦場で、黒髪の大男と黒髪の少年が出会うその時、新たな物語が始まる。
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