調査員ドルトル −人生を変えた一杯− 後編




 ドルトルは感心していた、なるほどな、と。


(おそらく、主役はコカトリスのスープ……この細い麺を勢いよく啜りあげることでスープと一体となり……んっ、はぁ……まるでスープを食しているかのようだ……月並みな言葉だが……)


 ――美味い。


 考え抜かれた渾然とした料理の、その凄まじき完成度を実感し、感嘆するしかないドルトル。

 このスープと麺だけで、商人街に店を構える高級料理店のフルコースに匹敵し得ると、ドルトルは心の底から思い知らされていた。

 だが、ドルトルには確かめていないことが、まだある。


 煮込み肉、そして、煮卵。


 デラルスハイオークの煮込み肉の陰に隠れてはいるが、コカトリスの卵も高級品。

 そもそも魔物の卵の価値が低いはずがない。

 危険な存在である魔物とはいえ、一個の生物であり親である。自分が産んだ命を奪われて怒らないはずがない。

 そんな命の結晶を奪おうというのだから、当然ながら危険な行為に決まっており、必然、価値が高まるということだ。


(黒く濁っているので若干の抵抗はあるが、食すとわかる……なんとも美味な……)


 コカトリスの半熟ゆで卵を、デラルスハイオークの煮込み肉の煮汁に小一時間漬け込んだ煮卵に、ドルトルの舌は完全に敗北していた。

 危険そのものであるコカトリスの卵の一定量の確保、驚愕の安さで恐ろしさすら感じるほどの美味しさの塊として提供できるという事実。

 ドルトルは、ラーメンハウス宗茂の底力を、身を以て感じていた。


 そして次は、ドルトル待望の一品ひとしな


(まさか、あのデラルスハイオークを食せるとは……)


 器に堂々と座るデラルスハイオークの煮込み肉、一口サイズのそれが、5切れ。その中の一切れを、ドルトルは箸で摘まみ上げる。

 ことがこれほどまでに至っている以上、ドルトルに疑う気持ちは一切なかった。それよりもむしろ、目の前の煮込み肉がどれほどのものかを確かめたい気持ちで胸が一杯だった。

 ドルトルは口を開き、箸でつまんだ肉を向かわせ、無事に到着。


 期待感とともに――


「……へぁ?」


 思わず変な声が出たドルトルだが、最早それどころではなかった。


(今……噛んだのか?)


 感触が存在しなかった。

 思わず、箸で掴んでいるそれを――煮込み肉を、ドルトルは見ていた。


(気づいたら舌の上に肉がいる……な、なんだ? 俺は一体なにを食べてるんだ?)


 ドルトルが勘違いするのも無理はない。

 煮込み肉と聞いて彼は、筋張った噛みごたえの肉を想像していた。


 それは、それこそが異世界では当たり前といえる煮込み肉なのだ。


 宗茂は当初、 叉 焼 チャーシュー、と書こうとしたのだが、焼いてねえよなこれ、と思い至る。

 弱火でじっくりコトコト煮込んだソレを、異世界の人が勘違いしないように、煮込み肉、と書き直したのだ。


 結果的にそれが異世界に住まう人々の期待を裏切ったのだ、ものすごく良い意味で。


 デラルスハイオークの煮込み肉を食したことで理性のタガが外れたのだろう、一心不乱に麺を啜り、スープを喰らい、煮卵を堪能し、煮込み肉に感動しながらドルトルは、スープを飲み干す体勢に入ると同時に、それを思い出す。


(……替え玉)


 慌てて挙手し、近くにいた赤髪の青年――雷迅 ゲイルに替え玉を注文。目が合うと互いにニヤリとした笑顔を浮かべ、ゲイルが厨房に向かうのを見送る。


(気づかれたな……)


 ドルトル自身、我を忘れてしまうほどにラーメンに没頭していたが、そもそも彼は潜入調査の身である。自分の顔を知っているであろうゲイルに、変装しているとはいえ、顔を合わせるべきではない。


 だが無理だ、と。


(これは、魔薬じゃ勝てない)


 これほどの満足感とそれ以上に感じる幸福感は、魔薬のようなニセモノでは到底得られないと、掘っ建て小屋同然の、早急にこしらえたであろう厨房を眺めながらドルトルは思っていた。


(おそらく、のはあちらだ)


 ドルトルはその結論に至った。

 実際に店に足を運んで、食して、その考えに至った。

 メニュー表から得られた情報から予想できるラーメンハウス 宗茂の戦略――いわゆる薄利多売の考え方は、異世界では異端と呼ばれてしまう考え方だ。

 ユグドレアでは外敵が凶悪であるため、どうしても命が安くなりがちである。

 だからこそ生き残っている者に出来る限り金を落としてほしい、そう考える商人がほぼ全てである。それはドルトルも同じだ。


(だが、ラーメンハウス宗茂はその異端を実行可能なんだろうな……)


 料理に使う素材にがある時点で、そしてそれが本当に料理として出てきたことをドルトル自身が確認した時点で、薄利多売という経営戦略を実行していることに疑いはない。

 デラルスハイオークのを考えれば、当然の帰結だ。

 噂に聞く店主の腕っ節の強さを考えれば自力で手に入れているのだろう、でなければデラルスハイオークを使って薄利多売など不可能だ。


 そして、この事実はさらなる事実を示唆している。


 魔物の天国といわれ、上から数えて2番目の星銀ミスリル等級以上の傭兵や冒険者でなければ立ち入ることすら困難といわれている魔境――デラルス大森林。

 そんな危険地帯から、ラーメンハウス 宗茂は、素材をタダで調達可能だということだ。


(軽く考えただけでも莫大な利益になるのはわかる、そして――)


 ――荒れる。


 貧民窟どころか、ナヴァル王国の経済そのものが揺るがされることだろう。

 ドルトルは、自分が至った考えの意味を理解する。


 だからこそ


 ちょうどその時、替え玉が届く。

 早速とばかりに麺を器に落としてはほぐし、勢いよく啜っていく。

 最後の一滴までスープを飲み干し、器を空にしたドルトルは思う。


(……塩も食べてみるか)




 食べ終わったら動くとしようと、近年では最高に上機嫌なドルトルが、届けられた塩ラーメンを頬を緩ませながら一心不乱に食べていた。





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