そっちからぎゅっとして?
騒々しい昼休みの教室で昼食を摂り終えた俺は、持って来た本をカバンから取り出して教室を出た。
ここ最近は寝てばかりいたせいか、久しぶりに起きて活動している俺を見た木津が意外そうな顔をしていたり、赤月に至ってはポカンと口を開けておかずを取りこぼしたりしていた。
二人の間抜けな顔はだいぶ印象に残っている。
それはともかく、本を持って教室を出たということは、図書館にやって来ているわけなのだが……。
「来たわね。さ、本を出しなさい」
中に入るなり、そう言って来た一ノ瀬に俺は最近増えてきたため息を吐く。
「お前、ずっとそこで待ってたのか」
扉を開けてすぐ横。若干死角になる場所で、彼女は俺を待ち構えていた。
「別にあたしが何処で待っていようと勝手でしょ? それより、本」
このせっかちさんめ。
「はいはい。今カウンターに置くから、さっさとそっち行けよ」
「なんであんたが呆れてんのよ……」
さあ、どうしてだろうな。
そう肩をすくめてみせると、一ノ瀬は眉をひそめながら、カウンターの中に入った。
「一応、これで半分だと思うがどうだ?」
「ん、ちょっと待ってなさい」
そう言って一ノ瀬は、積み重なった本を手に取って手際よくバーコードリーダーに通して、返却作業を済ませていく。
「あと五冊、ね。残りは全部ハードサイズ?」
「だと思う。ハードカバーの小説が二冊と辞典並に分厚いやつが三冊だった気がする」
「わかった。でもそれだと持ってくるのも大変でしょうね」
「借りた時は一気に持ち帰ったし、どうせ授業なんて寝てるからすかすかのカバンに入れて明日にでも持ってくるわ」
「授業はちゃんと受けなさいよ……」
今度は一ノ瀬が呆れる番だった。
「あのね、あんた去年からそうだけど、真面目にやればそれなりの成績取れるんだから、ちゃんとしなさいよ」
そうは言われてもな。
「今もそれなりだろ」
「そうじゃなくて! 少し頑張れば、いい結果取れるでしょって言ってのよ」
「それはそうかもしれんが、頑張りたくないじゃん」
というか、適当にやって真ん中ぐらいの結果出せるなら、それが一番優越感に浸れるだろ。
「普段から一生懸命やっているやつはともかくとして、テスト一週間前から勉強し始めたり、一夜漬けしたりして、頑張ったつもりになっているやつなんかを馬鹿にするのは、楽しいぞ」
「ほんと、あんたっていい性格してるわ」
「そんな褒めんなって、照れんだろ」
「褒めてないから」
「……いいや、だいぶ褒めてるよ」
我ながら褒められた性格ではないと思ってはいるが、俺はこの自分の性格が嫌いではないし、かなり好きだ。
「ほんと、いい性格してる」
そう言って、一ノ瀬は柔らかく笑う。
普段からその顔してりゃいいのに、仏頂面が板につき過ぎてんだよなこいつ。
いや、俺があまりにもアレだから、ずっとそんな顔をさせているのかもしれないが……。
「さてと、あんたいつまでそこに居るつもり?」
「ん? ああ、そうだな」
一ノ瀬に言われてあんまりカウンターの前に居座るのは、他の生徒の邪魔になるな、と気がついた。
「んじゃ、俺は本でも選んできますかね」
「言っておくけど、貸し出しは全部返却してからだからね」
「へいへい」
一ノ瀬に雑に返事を返して、その場を離れ奥の本棚へと向かことにした。
貸し出しはしてくれないみたいなので見るだけにはなるが、まあ時間は十分潰せるだろう。
そう思って、目についた本を手に取り、適当なページを開いて流し読みしていると肩を叩かれた。
反射的に振り返ると、頬に何かが触れた。
「あはっ、引っ掛かった!」
古典的ないたずらが成功したのがよほど嬉しかったのか、おかしそうに笑う声に、顔をしかめる。
「赤月」
「あ、ごめん。声、大きかった?」
いや、そうじゃなくて。それもそうだけど。
「……何の用だよ」
あと、なんでいんの。
「や、用はないんだけどさ」
あ、そう。
「そうか、それじゃあ」
本を元の場所に戻して、その場から退散しようとすると腕を掴まれる。
「んだよ……」
不機嫌にそう答えると、赤月は唇を尖らせた。
「むー、一ノ瀬さんとはあんなに楽しそうに話してたのにわたしには冷たいんだ」
「……あいつとはあれで付き合い長いんだよ」
「ふーん?」
赤月はジトッとした目で、こちらの顔を覗き込んで来る。
「どれくらい長いの?」
「小学校が同じ、中学校は別。ま、顔見知りよりちょっと関りが深いだけの知人ってところか」
「そんな感じには見えなかったけど……」
そう言われても、本当にその程度の付き合いなのだから仕方がないだろ。
「お互いに本が好きだからじゃねえの、知らんけど」
あとは、自分の小さい頃のことを知っている相手に、変に気を遣う必要性を感じないっていうのもあるだろう。
なんにせよ、表面上の会話が他人にどう聞こえているのかは知らないが、そこまで俺とあいつは近しい関係ではない。少なくとも俺は、そう思っている。
「それよりもお前、朝もそうだがいいのかよ」
「なにが?」
何が、ってそりゃあ。
「なんか噂されてんだろ? 昨日、一ノ瀬に聞いた」
「あー、うん」
少し困ったように赤月が頷くのを見て、やはり知っていたか、とそう思う。
表情を見る限り、それが〝どちら〟の噂にしても、彼女にとっても有難い話ではないようだ。
「一ノ瀬さんからはどっちの話聞いたの?」
その言葉にまた、やはり、と思う。
考えるに、倉橋先生の提案は一足遅かった。
生徒が職員室へとやって来た時点で、もう噂は流れていたのだろう。正義感に駆られたのか、はたまた面白がったのかは知らないが、どうにしろ俺と赤月の関係は、俺たちの与り知らぬところで、様々な脚色が加えられ、広まっていると考えて間違いはない。
まあ、あの倉橋先生のことだからそれを理解した上で、俺をからかいたかったのだとは思う。ついでに、文芸部が今抱えている当たり前の問題を解決しようとしたのだろう。
あの人は粗雑だが、頭が切れる。
だからあれは、俺の反応を見て遊んでいるのもあったが、今起こっていることへの忠告でもあったのだ。
思い出して恥ずかしくなってきた。完全に踊らされてるじゃん、俺。
小さく息を吸って、赤月への返答を考える。いや、違うな。返答は決まっている。
ただ、口に出すのが少しはばかられるだけだ。
「一ノ瀬からは、その、なんだ。俺とお前が仲良いのか、ってな。聞かれた」
「……照れた?」
からかうような表情でそう言った赤月から顔を背ける。
ちくしょう。どうして、そこに気がついた。
「茶化さないでくれ。慣れてないんだよ」
仲が良いって言葉そのものに。
「なんか、悲しいね……」
自覚はあるから、そういうことを言わないで欲しかった。
「いや、まあなんだ。一ノ瀬からは俺とお前の仲が良いらしいって噂があることを聞いたが、もう片方の噂も把握はしてる」
「そっか……」
赤月は小さく頷いて、表情を暗くする。
少しだけ気まずい雰囲気がその場に流れる。
「本当は逆なのにな」
なんとなくいたたまれなくなったので、今度はこちらが茶化すようにそう言うと、赤月はきょとんとした顔をする。
ずいぶんと表情がころころと変わるやつだ。少し、面白い。
「もう一つの噂は赤月が俺に脅されてるってやつだろ? なら、逆だ。本当は俺がお前に脅されて、何故か抱き着かれている」
改めて口にすると、本当におかしな状況だ。なんなら、噂の方があり得そうなのだから笑えて来てしまう。
同じことを思ったのか、見れば赤月も声をひそめて笑っていた。
「ふふ、確かにそうだね。逆だ」
本当におかしそうに赤月は笑っていた。
別にその表情に珍しい所なんてない。教室に居て、それなりに彼女と会話をするのなら誰だって見ることが出来る。きっとその程度のものだ。
しかし、どうしてだろう。
俺はそんな赤月花蓮の当たり前の表情に、見惚れていた。
「日向くん……?」
「ッ!」
声をかけられて、意識が一気に引き戻される。
「なんだ……?」
「えと、なんかぼけっとしてたから、どうしたのかなって」
「……ああ、少し考え事をな」
そう言って、誤魔化して顔を逸らす。
見てくれに騙されるな。こいつは、ほとんど会話したことがない相手に、抱き着かせてくれと頼むようなビッチちゃんなのだ。
だから、大丈夫。何が大丈夫なのかは分からないが、大丈夫だ。
「大丈夫?」
「ああ、お前のせいで変な誤解をされてること以外は大丈夫だ」
「本気で心配してるのに冷たくされるとは思わなかった……」
がっくりと肩を落とした赤月に、少しばかり罪悪感が沸いた。
相手に良い印象がないとはいえ、流石に雑にし過ぎたかもしれない。
「その、悪い」
「いいけどさー……」
そう言ってから赤月は人差し指を顎に当てて、何かを考える素振りを取った。
「赤月……?」
珍しいこともあるものだ、と思いながら声をかけるとそこで、パッと赤月は何かを閃いたのか顔を輝かせて、声をあげる。
「そうだ!」
嫌な予感がした。
すぐに逃げ道を探すが、間に合うはずもなく、目の前の赤月は、腕を大きく広げた。
「ねえ、本当に悪いと思ってるならさ、そっちからぎゅっとして?」
何がどうしてそうなった。
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