星のあなたの空とおく 上

 ― 世々よよとも 絶えむものかは 七夕に 麻ひく糸の ながき契りは



 7月7日の夜。バイクにまたがり、ヘルメットをかぶる。

朝喜ともき、これ、お弁当」

 欠伸交じりに、姉が風呂敷をわたしてくれた。

「サンキュ」

「ん。ほら、もう行きな。夜はすぐ終わるよ」

「うん」

 エンジンをふかし、林間、した空気の中を進む。風のおかげで心地がよかった。

 


 山の頂上には、今は道路が通っている。昔、この山を登ったご先祖様は大変だっただろうなと思う。

「よし……」

 バイクを止めて、デイパックを背負い、風呂敷を持って僕はいつもの場所に辿り着いた。


 レジャーシートを敷き、星のらばる空を見上げる。

 デイパックから取り出した、博物館にでもありそうな古い箱を開け、これまた古びた和紙に包まれた五色ごしきの糸を取り出す。

 ずいぶん綺麗な色をした糸だ。

 父や祖父から聞いた話では、南北朝なんぼくちょう時代から伝わるものらしいけれど、とてもそうは思えない。どっかで買ってきたものなんじゃないかと思うくらいだ。

 ……怒られるか。こんなこと言ったら。


「さてと……」

 糸を宇宙にかかげて、しばらくすると、どこからかあわい光が集まって来た。

「おお」

 ポケモンが進化するときみたいだなあなんて思いつつその様を見ていると、レジャーシートの片隅かたすみに、この世のものとは思えない綺麗な女性が現れた。

 衣服はこれまで通り、教科書に載っている紫式部むらさきしきぶ清少納言せいしょうなごんのような、十二単じゅうにひとえだった。


 初めて会うわけではないが、不覚にもどきりとする。

「こ、こんばんは」

「ん……んん……やっぱりここはいい空気ね」

 彼女は身体をほぐすように大きく伸びをしながら言った。

「お久しぶりですね」

「一年ぶりでしょ。朝喜くん」


 妖艶ようえんに彼女は微笑む。ご先祖様が執着しゅうちゃくした気持ちもわかる気がする。


「お茶飲みますか?」

「のむのむー」

 これもまた家から持ってきた古い茶器に、安い麦茶を注ぐ。

 ごくっごくっ……と止まることなく、彼女はそれを飲み干した。

「おいし」

 唇から水滴がこぼれた。なんていやらしい……じゃなくて綺麗なんだろう。


「お弁当持ってきましたから、お腹空いてたら、食べましょう」

「あーいいねえ」

 割箸わりばしを渡す。去年びっくりするくらい割るのが下手だったので、あらかじめ割ってた状態で。

 その心遣いに気付いてか気付かずか、彼女は頬笑みを浮かべた。

 


 一体、これは何なのかと思う人もいるだろう。謎の女の人と会話をするなんて。

 申し訳ないけれど、実際の所は僕にもわかっていない。ただ七夕の日に会いに来る人がいるから相手をするのが僕の家の仕事だ、と聞かされただけだ。

 それがなぜかは一応祖父が教えてくれた。



 むかし、ご先祖様はある女の人を愛した。

 その人との間には子供もできたらしいが、実はその人は宇宙から来た宇宙人だった。

 七夕の日に宇宙に帰るとき、その女は五色の糸を残していった。

 それから毎年、七月七日になると我が家ではその女を迎えることになった。



 こんな荒唐無稽こうとうむけいな話もない。当然初めてその話を聞いたときの僕は信じなかったけれど、実際に彼女は現れた。しかも昔の人の格好で。

 こうなったらもう、信じざるを得ないだろう。


 それから、体調を崩して山に登れなくなった祖父や、忙しい父に代わり、僕が彼女を迎えるようになった。幸いにも言葉は通じたし、優しい人だったから、今では特にいとうことなくこの役目を負っている。




里乃りのちゃんの料理はほんとうにおいしいわね」

「姉に伝えておきますね」

「そうして。というか、お姉ちゃんも連れてくればいいのに」

「姉は夜更よふかしできない人間なんですよ。誘いはするんですけど、行ったってどうせ寝ちゃうしとか言って、来ないんです」

「寝顔だけでも見たいんだけどね」

「寝られたら僕が連れて帰れなくなりますから」

「ああ」

 彼女は頷いて、卵焼きを口に運んだ。もごもごと咀嚼そしゃくするその様子にさえ、心惹こころひかれる。



「あーおいしかった」

 食事を終えた彼女は身体を伸ばして寝転がった。

「よかったです」

「なんだかすごく幸せな気分」

 お腹を撫でて彼女は笑う。


「あの人と私の子どもの、そのまた子どもの果ての世になっても、こんなふうに会話が出来るなんて」

「前も言ってましたよそれ」

「いいじゃない。本心よ。私の」

「僕は不思議でしかたないですけどね。ご先祖様とこうやって会話してるなんて」

「ふふっ。まあそうでしょうね」

「しかも、なんというか、美人さんだからなおさら……」

 視線をらしてそう言うと、ややの間を開けて彼女の笑い声が聞こえた。


初心うぶだねー」

 頬までつついてくる。恥ずかしくて仕方がない。


「そ、そんなんじゃないですよ」

「あの人もね、初めて私のいるところに来た時、そんな感じだったわよ。全然手慣れてなくて、かわいかったなあ」

「……もしかして、いやらしい話してます?」

「してないわよ。たしなみの話よ」

 彼女はにやつきを頬に張り付けている。わかっていてやっているだろこの人。

「あなたにも、時を超えたとしても愛せる人が出来るといいわね」

 耳障りのよい文句で彼女はこの話を締めた。


 よくそんなことが言えたなと、今となっては憎らしく思う。




「いま何時?」

「もうじき0時です」

「そっか。早いわね。時の経つのは。遅くても困るけど」

「ええ」

「もしもすぐ近くにあなたの星があったなら、こんなに慌ただしくなる必要はないのにね」

「そうですね。でもそうだったとしても、僕みたいな一般人が宇宙に行ける日は遠いまた夢ですけど」

「かもだけど、でも、いつかはもう一度……」

 星を見上げて、彼女は呟くように言った。

「もう一度?」

「……ううん。何でもない」


 一年に一度の邂逅かいこう。僕にとっては少し長いなあと思うだけだ。

 けれど、この人は何百年もそれを繰り返してきたのだ。

 それは一年に一度という厳しい制限の苦しみだけでなく、何人もの生死流転せいしるてんを受け入れてきたことをも示している。


 思い出す。僕に初めて会ったとき、彼女は突然涙をながして言ったのだ。


(また、変わったのね。何の罰なの……)


 結果として、それは彼女の杞憂きゆうだった。それまで彼女に会いに行っていた祖父は体調を崩しただけだったし、父は転勤しただけだったから。

 しかし、彼女の身になってみればそう思うのも当然だ。これまで何人もの子孫たちとの別れを重ねてきた彼女の身になれば。


「また」

 たまらなくなって、僕は口を開いた。

「ん?」

「また、必ず、会いに来ます。絶対、絶対会いに来ますから」

「……うん」

 糸をわうように、指をからめる。たとえもろきずなだったとしても、それは確かにここにる。僕らを繋いでいる。


「安心だわ。あなたがいてくれるなら」

 とたんに、彼女は僕に抱き着いてきた。ふわり、たとえようのないほどの芳香ほうこうただよい、どくんと大きく心臓が脈打つ。

「っ……」

「今、どくって言ったね」

「うるさいです」

 恥ずかしくなって身体を離す。

「押し倒してもよかったのに」

「……そんな罰当たりなことできないですよ」

 やましい気持ちはどこへやら、むしろ引いていた。けれど、落ち込まれるより笑ってくれていた方が良い。僕は微笑した。

 彼女はなぜか、きょとんとした表情を浮かべていた。しかし、間もなく「そうね」と苦笑した。

 まもなく、時間が来た。




「また来年ね」

「はい」

 あっという間に時間は過ぎた。一年に一度の邂逅、頭上の天の川、織姫と彦星も別れを惜しんでいることだろう。

「信じているからね」

「はい?」

「あなたが言ったこと。また来年も、そのまた次の年も来てくれることを」

「ええ。あんまり遠い未来のことは、約束できませんけど、少なくとも来年は来ますよ」

「それでいいわ」


 瞬間、来た時同様、彼女の身体は光に包まれていった。眩しさに思わず瞳を閉じる。


 一瞬、風の止んだその間に、彼女の綺麗な、けれどあやしい声が聞こえた。



「約束よ」



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