第5話 『食い道楽のラーゼン』

 昼過ぎの、昼食時を外れた時間での待ち合わせだった。

 幸い天気も良い。これはきっとバルネアさんの人徳だろうとレイは思う。


 かなり早めに待ち合わせ場所で待機しているレイは、待ち合わせの人間が来るのを緊張した面持ちで待つ。


(できれば、こんなところには来たくないんだが……。バルネアさんの頼みなら仕方がない)


 ただの市民に過ぎないレイにとって、この貴族街と呼ばれる場所は馴染みのある場所ではない。自警団が見回る区域ではないし、もしも自分のような育ちが悪く、質素な格好をした人間が歩いていたら、捕まっても文句は言えない。

 貴族街はその区域の貴族の私兵団が管理している区域なので、一般的な法律は通用しない。


(馬鹿げた話だ。生まれが違うからなんだっていうんだよ。同じ人間だろうが。それなら、法の裁きは公平であるべきだ)


 過去とは異なり、国王や高位貴族のみが絶対の力を持つのではなく、貴族の代表者と庶民の代表者からなる議員たちによる議会、そして裁判所が互いを監視しあう治世が行われている現在のエルマイラム王国では、貴族だからといって好き勝手が出来ないような法整備が表向きはされている。


 だが、実際は違うのだ。


 レイが自警団に入ってからだけでも、悪事を働く奴らを捕まえようとして、何度圧力をかけられて調査を中断させられたか分からない。


 貴族の全てがそんな奴らなわけではないのだろう。だが、それでも、あの連中に好印象を抱くことはできない。


「おっ、そこの白服の少年。君が『パニヨン』までの護衛で間違いないかな?」

 レイが物思いにふけっていると、三十歳前後の胡散臭い男が、場違いなほど陽気な声を掛けてきた。


(できるな、このおっさん)

 レイは見た目とは裏腹に、男がかなりの使い手であることを理解した。

 間違いなく武術の心得がある動きだ。それに、男の周りには少なくとも二人の人間が隠れて付いてきているようだ。


(なんで、こんな腕を持ったお貴族様を護衛しなくちゃいけねぇんだよ。一人で何とでもできるだろうが)

 レイは心のうちで毒つきながらも、姿勢を整えて敬礼をする。


「バルネアさんの使いで参りました。自警団のレイと申します。大貴族のラーゼン様でしょうか?」

 いけ好かない貴族が相手ということで、レイは『大貴族』を殊更強調して尋ねる。


「ははっ。そうか、大貴族か。そりゃあいい」

 男は楽しそうに笑い、手を頭の高さに上げる。すると、男の周りにあった気配が消えていく。


「ああ、俺がラーゼン。仲間たちからは、『食い道楽のラーゼン』と呼ばれている。自警団のレイだな、覚えたぞ。ただ、そう固くならないでくれ。俺のことは気軽にラーゼンさんとでも呼んでくれればいいぞ。これからお忍びでうまい飯を食いに行くっていうのに、かたっ苦しいのはゴメンだ」

「……そうですか。では、ラーゼンさん。行きましょう。バルネアさんが待っています」

 思ったよりも気さくな感じだが、そんなことで油断はできない。


「おお。だが、ここから『パニヨン』まではかなり距離がある。レイ。店にたどり着くまで、俺の話し相手になってくれ」

 レイは心底嫌だったが、顔に出すわけにはいかず、「いえ、私は貴族様に楽しんで頂けるような話題はありません」となんとか応える。


「まぁ、そう言わずに話をしてくれ。大貴族様は、貴族の面従腹背な美辞麗句は飽き飽きしていてな。一市民の話を聞きたいんだ。特に、この街の自警団の若い奴の話をな。それと、バルネアのことも聴きたい」

 ラーゼンが、馴れ馴れしくバルネアさんを呼び捨てにすることを、レイは不快に思う。


 だが、自警団の話が聞きたいというのなら嫌になるくらい聴かせてやろうと、レイは心の中で黒い笑みを浮かべるのだった。





「そうか。お前達の月給は、そんなに安いのか。だが、手当等は出るんだろう?」

「ええ。雀の涙ほどの夜勤手当が。俺がまだ若手だというのもありますが、それを加えても、仕事の過酷さにまるで給料が追いついていません」

「なるほどな。だから、自警団は万年人不足なのか。そのくせ、なにか問題が起こったら、責任を追求されるわけだ」

「ええ、そのとおりですよ。みんな安月給で身を粉にして働いているのに、この仕打ちはあんまりだと思います。だから余計、人が集まらないんですよ」


 当初は嫌がらせのつもりで話を聞かせていたレイだったが、予想外にラーゼンは聞き上手だったので、だんだん彼との距離感が縮まってきてしまった。


「平和ボケだな。もう長いこと戦争を経験していないから、危機感が薄くなってしまっている。正直、いいことではない。

 議会の議員の中には、軍事費はもちろん、治安維持に掛ける金をもっと減らして他に回せとかいう阿呆も出てくるくらいだからなぁ」

「やっぱり、そうなんですね」

「ああ。まぁ、それでも、一般人の生活を知らない貴族院の議員からそんな意見が出てくるのはまだ分かる。だが、庶民院の議員の中からそんな意見が出てきているんだ。やれやれ、頭が痛い話だな」

 ラーゼンの言葉に、レイは憤る。


「まったく! なんで庶民の代表である議員からも、そんな意見が出てくるんだ」

「いろいろな利権というものがあるんだよ。様々な思惑が絡むから、綺麗事で政治はできないのさ」

 ラーゼンはそう言って苦笑する。


「しかし、レイ。お前の話は非常にためになった。俺一人の力でどれくらいのことができるかは分からんが、お前達がもう少しだけでも楽な生活ができるようになるように努力する。まぁ、期待しないで待っていろ」

「……そこは、期待して待っていろでは?」

「そう言うな。できるだけのことはしてやるからさ」

 ラーゼンの茶目っ気のある言葉に、レイは思わず口元を綻ばす。


 気を許すべきではないと思いながらも、この男と話していると、自然と警戒心が薄れてしまう。そんな魅力を、このラーゼンは持っているのだ。


「もう少しで、バルネアの店だな」

「ええ。かなり張り切っていましたから、すごい料理が出てくると思いますよ」

「そりゃあ楽しみだが、どうしてその事を知っている?」

 不思議そうな顔をするラーゼンに、レイは苦笑し、


「いえ。ラーゼンさんを迎えに来る前に、バルネアさんに早めの夕食をご馳走になったんです。その時に、すごくいい香りがしていたので」

「おいおい、それは狡いな。俺が食べるはずの料理を先に味見させてもらったんだろう?」

 ラーゼンは言葉とは裏腹に、口元に笑みを浮かべている。


「ええ、一品だけ。でも、それだけでも満足できる味でした。それ以外の料理も食べられるラーゼンさんが羨ましいですよ」

「そりゃあ当然だろう。俺が久しぶりに予約したんだ。俺以上に他の奴に満足されてたまるか」

「それはそうですね」

 ラーゼンとレイはそう言って笑い合う。


「でも、めったに貸し切りにしないバルネアさんが貸し切りにするんですから、ラーゼンさんはやはり特別なお客さんなんですね」

「んっ? バルネアは、店を貸し切りにすることは少ないのか?」

「ええ。飛び入りのお客さんにも楽しんでもらえるようにと、食材が付きて昼で営業が終わっても、従来の閉店時間までは大体いつも開いています」

 レイが説明すると、ラーゼンは苦笑する。


「まったく。この国でも指折りの料理人になったのに、昔とまるで変わらないんだな。まぁ、だからこそ、お前のような若い連中からも好かれているんだろうな、バルネアは」

「自警団の若い連中や、あの人の近所の子供達は、みんなあの人の料理を食べています。だから、もしもあの人になにかあったら、数多くの人間が悲しみますし、そんな事をした奴をただでは置きません」

 もちろん、その中にはレイ自身も含まれていることを、彼はラーゼンに告げる。


「それはいいな。俺は立場上、めったに食べにこれない。ぜひ、お前達がバルネアの力になってやってくれ。あいつとあいつの料理は、この国の宝だからな」

 ラーゼンがそう言って笑う。

 心から嬉しそうに。


 その笑顔に、レイはこのラーゼンも自分達と同じように、バルネアを心から大切に思っていることを理解したのだった。

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