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フロクロ

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 寝ることも食べることもしない私にとって、この星での娯楽は考えることだけだった。


 宇宙はどこへと広がっているのか。

 この雨はいつ止むのか。

 あの月のことについて。

 そして私のことについて。


 この灰色の星に生まれついて、一体どれくらいの時が経ったのだろう。

私は、生まれたときからずっと独りだった。


 空は雲に覆われ、一年中静かな雨が降り注ぐ無機質なこの星。

 その星にあって美しいものは、昼になると空へと浮かぶ月だけだった。その月も雲に覆われ曖昧な輪郭を示すのみだが、それでも私はその月を眺めるのが好きだった。月はこの暗い灰色の日々を少しだけ明るく照らしてくれた。


 そんな月をぼんやりと眺めながら、ひたすらに思考を巡らせる。


 この星はどうやって生まれたのだろう。この灰色の星の外には、どんな世界が広がっているのだろう。おそらくもっと豊かで、鮮やかで、輝かしい世界が広がっているに違いない。もしかしたら、自分以外の誰かがいて、意思の疎通ができるかもしれない。


 ただただ思考を巡らせる。この孤独の惑星において、それだけが私の日々のすべてだった。月を眺めながら思考を巡らせると、外の世界への想像が次々に湧いてくる。未知への憧憬の数々は空虚な私の孤独を癒やしてくれた。


 そして今日も雨の中、昼間の月を眺め独り考えをくゆらせる。


 この星はあまりに退屈だ。この星を出る方法も何度も考えたが、全くの無策に終わった。地上を歩き回ることも久しいが、どこまで行っても灰色の世界が広がるだけだった。

 私はいつからここにいるのだろう。私はいつまでここにいるのだろう。

 せめて私が夢を見たり、食を楽しんだりしたならば、もう少し世界は豊かに映ったのだろうか。


 ここで、はたと思考が止まる。


 奇妙だ。どうしてこのことに今まで気づかなかったのか不思議なくらい、根本的な問いが不意に頭をもたげた。

 なぜ私は「寝る」や「食べる」といったを把握しているのだろうか。生まれてから見たことも、聞いたことも、体験したこともないこれらの行為を、私は知っている。星の外に「宇宙」が広がることも、ここで今も降りしきるものが「雨」であることも、空に浮かぶそれが「月」であることも、


灰色の空に亀裂が入った。


 そもそも、私は言葉を持って生まれてきて、言葉を使って世界を把握してきた。この言葉は、一体どこから来たのだろうか。私が生まれると同時に存在し始めたのだろうか。それとも……


 雨が弱くなった。


 そして、私は確信した。私の中にあるこの知識、この思考、この言葉は、どこかへと繋がっている。私はこの言葉を、この心の内を辿らなくてはいけない。どうしてこんな事に気づかなかったのだろう。


 雨が止んだ。


 私は、生まれたときからずっと独りだと思い込んでいた。

 しかし、それは思い違いだった。

 私は、ここに来たときからからずっと、誰かと繋がっていたのだ。


 そう、世界は、外側に広がってるんじゃない。

「世界は……」


 雲が晴れた。


「あ……」


 白い壁、白い天井。窓から眩しい日差しが差し込む。外からは蝉の声。

 真昼の病室で僕は目を覚ました。

 そして、僕を覗き込む彼女の顔は、夏の太陽に照らされながら、こう訊いた。

「ユウ、私の顔が見える?」

 ずっと聞こえていたその声に、僕は、涙を拭って静かに応えた。

「……ああ、よく見えるよ」


 宇宙は元通り裏返った。

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in-verse フロクロ @frog96

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