第28話 名残の雨 -4

 秋の連休を利用して、祖父母の家を訪ねた。学校の後に出発して、じいちゃんに駅まで迎えに来てもらい、家に到着したのは夜の十時を回っていた。ばあちゃんは食事をしないで待っていてくれた。今回は俺一人だけれど、普段は正月と夏にしか会わない二人は歓迎してくれた。ちょっとうっとうしくもあるけれど、嬉しくもある。皆で夕食をして一息つく。

 夏から今までにべにの事を時々思い出したけれど、でもそれだけだ。日々に追われてすぐに忘れてしまっていた。でも夏に毎日会っていた相手だ。いざ再会となると少し心が躍る。紅に連絡する方法は無いから突然訪ねる事になる。きっと驚くに違いない。楽しみだな、とぼんやり思いながらその日は眠りについた。

 翌朝、起きたのは午前九時過ぎだ。八時には起きるはずだったのに寝すぎた。朝ごはんを食べて、食後のコーヒーを啜る。なんとなく手持ち無沙汰で新聞を開いた。この辺りの地方紙だ。中には近隣のニュースがたくさん載っている。流し読みしていると、小さな記事が目にとまった。


『ショッピングモールの建設来春から』


来年から大型商業施設のための開発が始まると書いてある。住所はこの町だ。

 そういえば夏に来た時に母さんたちがここから近いのだと話していた。完成は再来年くらいだろうか。なんにせよ暇潰しが出来るのは良い事だ。後は政治家の汚職や海外のデモなど、テレビでも以前から報道されているニュースばかりだ。

 厚着をして家を出る。夏、森はあれだけ涼しかったのだから秋が深まった今は寒いだろう。見慣れた民家の隙間の道に入る。少し歩いて、久々に来た森は夏とずいぶん雰囲気が違う。木々の色がすっかり落ち着いてしまった。

 葉が黄色っぽく紅葉した木が大半で、ちらほらオレンジ掛かった赤や、茶色掛かった赤色の木が混じる。よく見れば少しずつ色が違い、あれこれ観察しながら紅の元へ向かった。きっともみじの木も綺麗に色づいているに違いない。



 目に飛び込んだのは鮮やかな赤だった。僅かに暗く深みのあるその色は、まさに紅色と呼ぶにふさわしい。黄色の多い森の中でひときわ目を惹く。見事なそれに呆けていると、木の陰から声が掛かった。


あおい!」


夏に毎日聞いた声だ。そしてまた思考が止まった。目に入ったのは肩口までの赤味掛かった黒髪に、黄色から橙、そして赤のグラデーションの生地に深紅のもみじ柄を染め抜いた着物の少女だ。


「青?」


近づいてきた少女が訝しげに俺を覗きこむ。その顔には確かに見覚えがある。


「えーと、紅、だよな?」

「なんだ、私のこともう忘れたのか?」


戸惑いがちに言った俺に、少女、のような紅が頬を膨らませる。白い肌にほんのりと赤く色づいた頬がますます女の子のようだ。


「いや、忘れた訳じゃないけど。なんか見た目が違うから……」

「ああ、そんなことか。人間だって髪は伸びるし、服だって季節で変わるだろう? 青だって夏は半袖だったのに今は長い袖ではないか」


言われてみれば、そうか、と納得する。なんとなくあやかしの紅には変化が無いものと思い込んでいた。そういえば染若も季節で服装は違う。確かに髪は伸びたが、よく見れば紅の着物は夏と色が違うだけで柄は同じだ。人間の感覚で言えば薄い着物一枚で少し寒そうにも見える。


「そんなことより、青がまた来てくれて嬉しい」


 紅がにっこりと笑う。この気持ちをストレートに伝えてくるのはまさに紅だ。が、そうわかっているのに心臓が跳ねた。長い髪、ほんのり赤い頬、紅をさしたような唇、その美少女の外見に引っ張られている。まさに「べに」の名前がぴったりになってしまった。

 そういえば初めて会った時に女の子だといいな、と思った。そもそも紅の顔の造作が好みだったのを思い出す。いや、でもこれはあくまであの紅だ。雑念を振り払うために頭を振る。そんな俺に紅が不思議そうに首を傾げた。

 その日は、紅に連れられて森を散策した。夏とは様変わりしていて面白い。ちょっとした観光の気分だ。一通り回った後、紅のもみじの木に戻る。森の色彩はどれもそれなりに綺麗だったけれど、この色が一番すごい。


「やっぱり、紅の木が一番綺麗だな」


幹に手を添えて呟く。

 葉脈を残してもみじの紅色が日に透けて輝き、重なった葉の色の濃淡が燃えるようだ。見惚れていると、くいと服の裾を引かれた。振り向くと根元に紅が座っている。夏の間二人で過ごした定位置だ。いつもはしつこいくらいに俺を見て話す紅が珍しく俯いている。


「紅?」


呼びかけても返事は無い。その様子にぴんときて、屈んで紅を覗きこむ。重なった視線に紅が驚いて目を丸くした。紅の頬が真っ赤だ。


「お前、照れてるだろ」


ぷっと吹きだす。いつもは紅にこっちが赤面させられてばかりだから、なんとなく嬉しい。


「う、うるさい」


照れ隠しに叫んだ紅に、悪戯心が沸く。紅は逃げるように横を向いてしまった。もっとからかってやりたい。が、いつも紅は俺をわざと赤面させている訳ではない。そう思うと追い詰めるのは可哀そうな気がする。結局紅をいじるのはやめて隣に腰を掛けた。

 しばらく無言が続き、紅がそろりと顔を向けた。目が合って、俺が笑うと紅も笑う。毎度ながらちょっとした笑みに全開の笑顔を返されるのはこそばゆい。


「なぁ、青。今回はどのくらい居るんだ?」

「どのくらい、って程もいないよ。三日しか休みはないから明後日には帰る。だから今日と明日しかここには来られない」

「なんだ、短いな」


紅がわかりやすく項垂れる。外見が変わっても垂れた犬耳が見えるようだ。


「まあ、そう言うなって。また休みになったら来るからさ」


軽く宥めると、紅は黙ったまま俺を見た。僅かに眉を寄せじっと俺を見つめる紅に首を傾げる。何か言いたげなそんな顔は珍しい。


「わかった、仕方ないな。なら、今日と明日でたくさん遊ぶぞ」


一度目を瞑り、開いた時には紅の顔は切り替わっていた。ぱっと表情が明るくなる。


「私の方は夏から変った事は無いからな。おい、青。なにか話せ」


相変わらずの投げっ放し。何から話すかな、と話題を探して上を見ると紅色のもみじが目に映った。




 二日間はあっという間だった。学校では授業が早く終わらないかと思うのに、ここでは時計の針が倍速で進んでいるみたいだ。夏よりも暮れるのが早い空に溜め息を落とす。まだ明るさの残るこの森も、すぐに暗くなる。何よりも冷え込んだ空気が夜の訪れを告げていた。


「青、寒い?」


腕を摩った俺に気が付いたのか紅が言った。


「んー、そうだな。ちょっと」

「なら、もう帰った方がいい。人は寒いと病気になったりするんだろ?」

「お前からそんな事言うなんて珍しいな」


いつもは俺が帰ると言うまで、紅はそれに触れない。


「だって、青が病気になるのは嫌だ」

「愛されてんな~、俺」


本当に、こんなに手放しで好意を寄せられるのは初めてだ。冗談のつもりのその言葉に、紅が納得したように頷く。


「そう、そんな感じだ」

「は?」


予想外の返しに呆けていると、紅が続けた。


「もどかしいな。青、人間は相手に親愛の情を伝える時、どうするんだ?」

「どうするって、言われたって……」


俺だってどうしたらいいのかわからない。俺は今までに誰かにそんな感情を表現しようとした事は無い。


「言葉と、態度? 好きって言うとか、抱きしめたりとか、キス……はちょっと違うか?」


宙に目を泳がせて、思いついた一般論を答える。親愛の情と聞いて思い浮かぶのはそんなものだ。


「ああ、それならわかるぞ」


紅に「わかるって?」と尋ねる前に、気が付いたら柔らかいもので口を塞がれていた。近くなりすぎた視界は肌色と黒のコントラストだけで明確な像を結ばない。呆けたまま離れていった紅を見送る。ようやくそれが何かを理解して俺は咄嗟に口を押さえた。顔に血が上る。明らかに動揺している俺を、紅は不思議そうに眺めている。この調子では紅も意味は分かっていないらしい。


「あのな、紅。普通口と口のキスは恋人同士がするんだよ」

「え、だって。恋人ってお互いに好き合っている人間のことだろ?」

「いや、そうだけど。そうじゃなくて」


確かにそうだ、恋人同士というのはお互いに好意を寄せている関係を言う。でも俺と紅の間柄はそういう「好き」ではない。


「あ、もしかして、青は私の事嫌いだったのか……?」


紅が目を見開く。すぐに傷ついた顔をしてしゅんと頭を下げた。


「ええ!? ち、違う。紅の事は好きだよ」

「本当か?」


窺うように、紅が顔を上げる。頷くと、安心したように紅の頬が緩んだ。


……なんというか、やばい


ふんわりと微笑んだ紅は正直ものすごく可愛い。外見が好みの女子に変わっただけでこんなにも心臓に悪いとは。これは早々に紅に友情と恋愛感情の違いを理解させねばならない。

 色々と普通と違う生活をしているが、一応俺だって男だ。冷静に考えられる間に対処しておかないと、そのうち理性の蓋が飛ぶかもしれない。そもそも紅が男だと確かめてはいない。男性だと分かればこんな気持ちにならないかもしれないが、でも、もし女の子だったらもっとやばい。


「えーっとな、紅。人間の親愛の情にはいくつか種類があって、キスをしたり抱きしめたりするのは恋愛感情のある恋人同士がする事で、俺と紅は違うだろ?」

「え、でも好き合ってるのは恋人なんだろ? 私は青が好きだし、青も私の事を好きと言ったではないか。それは恋愛感情とは違うのか?」


紅が首を傾げる。一度可愛いと思ってしまったのが運の尽き、その何気ない仕草が既に可愛く見える。先ほどから早鐘を打っている心臓を深呼吸で押さえつけ、内心を隠すようにゆっくりと話しだした。


「いや、そうなんだけど、俺と紅は『友情』ってやつで、キスしたりはしないんだよ」

「ふぅん、なら、その恋愛感情と友情の違いはなんだ?」


問われて、ぐっと言葉に詰まる。そんなこと改めて考えた事はない。恋愛と友情の違いなど、感覚的に分けているものを言葉で説明するのは難しい。


「恋愛感情は、その人の事ばっかり考えて胸が苦しくなったり、相手に触れたくなったりすることで、友情は一緒に居て楽しかったり大切だったり?」


でも恋愛だって一緒に居て楽しかったり、大切だったりするだろう。情けない事に小学校の時の、誰誰ちゃん可愛い~、好き!くらいの恋愛スキルしかない俺にそんな質問は答えられない。うー、と唸る俺を見て、紅は何事か考えている。何となく理解して貰えただろうかと紅を見ると、紅は晴れやかな顔で言った。


「私はいつだって青の事を考えているぞ。だからこれは恋愛だな?」


なんという爆弾発言。まったくもって理解していない相手に再び口を押えて下を向く。不思議そうに覗きこんできた紅に、さらに顔に熱が集まる。逃げるように横を向いた。


「夏に青が帰ってから、何度か人が来たんだ。その度に迎えに行って、青ではない事を知ってがっかりした。待っている時間は長いな。今まで独りでもなんとも思わなかったのに、本当に毎日つまらなかった。これ、寂しいってやつだろう?」


紅の問いに返事が出てこない。これでは本当に愛の告白だ。恋愛に縁のない俺には、もう説得は無理だ。これ以上話を続けると俺の方が持たない。言えば言うほど心臓に悪い言葉が返ってくる。そもそもどこの誰だ、紅にキスなんて教えた奴は。


「紅、キスなんて誰に教わったんだ?」

「ずっと前、もみじの下に来た人間の恋人同士がしていたぞ」


なるほど。紅に中途半端な知識が有るわけだ。

 あやかしである紅の存在を認識できない人間が、見られているとも知らずに木の下でいちゃついていたわけだ。紅の様子からして、その恋人たちはそれ以上進まなかったのだろう。それだけは幸いだ。こんなところで紅に押し倒されては色々な意味で危険だ。それはまずい。


「わかった。もうそれでいい。けど、キスはやっていいか俺に訊いてからにしてくれ」


そうすれば断るなり逃げるなり出来るだろう。紅が俺に懐くのは、俺しか話し相手がいないからだ。それはきっと「恋愛感情」ではない。

 紅には友情と恋愛の違いは追々理解させるとして、とりあえず今回は事前申告で妥協した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る