第26話 名残の雨 -2

 べには今日も木の上に座っていた。もみじの根元まで行くと、軽い動作で降りてきた。


「それ、自動販売機から出てくるやつ!」


すぐに俺が手に持っているものに興味を示した。ジンジャーエールだ。紅はペットボトルと俺の顔を交互に見比べている。


「飲む?」

「いいのか?」


ボトルを渡すと紅は臭いを嗅いでいる。本当に犬のようだ。少し口に含んで、そしてすごく微妙な顔をした。


「なんか口がぱちぱちする。なんか変だぞ」

「紅は炭酸ダメみたいだな」

「炭酸? 人の飲み物ってみんなこんな感じなのか?」

「まさか。それはわざとぱちぱちするようにしてあるんだよ」

「へえ」


解せない、といった顔で紅はまじまじとボトルを見つめている。

 紅を促して、昨日と同じように木の根元に座った。このあたりにもみじは紅だけだ。他はよく見かける普通の木だ。もちろんそれぞれに固有の名前はあるんだろうが、俺は植物に詳しくない。どの木も夏らしく大きく広がった枝と濃い緑の葉からの木漏れ日が綺麗だ。


「この森に、もみじって紅の他にもあるのか?」

「無いよ。ここには私だけだ」

「じゃあ紅みたいな木の精は?」

「私だけだ」

「そっか、なんか寂しいな」

「いや、特別そう感じた事は無いが」


 紅がきょとんとした顔で言う。広い森の中、人間からは見えず、仲間もいないというのはどんな感じだろうか。祖父母の家に来ただけで時間を持て余す俺には耐えられそうにない。


「私の事はいい。それより、昨日は人間の事を聞いたから、今日はあおいの事が知りたい」


紅が身をよじってこちらを向く。改めて自分に興味があると言われると照れる。目が合うと、紅はにっこりと笑った。


「俺の事なんて面白くないぞ」

「そんなことない。面白いはずだ」

「いや、はず、って言われても」

「ただ昨日から考えているんだけれど、何を訊いたらいいのか思いつかないんだ」


紅が難しい顔をして腕を組む。しばらく眉間に力を入れて悩んでいたが、ふっと短く息をついた。


「どうしたら、青の事わかるかな?」


なんというか、表現がストレート過ぎる。じっと見つめられて意味も無く恥ずかしい。言葉が継げないでいると、紅がぽんと手を叩いた。


「青、なにか自分の事話してくれ」


……すごい投げっ放し。

そんなこと言われても、俺だって何を話せばいいのかさっぱりだ。俺の事、俺の事、と念じてみるが何も出てこない。我ながら話題性のなさにちょっと凹む。


「あー、えっと。俺の家には一姫っていう神様がいるんだ」

「神様?」


仕方がないので、一姫とその仲間達について話すことにした。「俺」の事ではないが、でも神様と同居しているなんてそうそう無い。紅は楽しそうに聞いているのでとりあえずそれで良しとしよう。



 結局昨日は一姫の話、というか愚痴、を紅に延々零しただけで終わってしまった。一姫は俺以外には優しいから、父さんや母さんに訴えても解ってもらえない。友達に話そうにも「家に住んでる神様の話」なんて電波だと思われるのがオチだ。

 でも染若だけはフォローしてくれる。染若といい紅といい、きっと木の化身は優しい性質に違いない。ほんと何処かの神様にも見習ってほしい。と、やばい。また愚痴っぽくなっている自分に首を振る。

 今日は家から折り畳めるポータブルの将棋とトランプを持ってきた。紅にも教えれば直ぐ出来るようになるだろう。


「青」


 森に入ると、すぐに紅が迎えに来た。紅からは本当にいつも大歓迎のオーラが出ている。満面の笑みが少しくすぐったい。俺もつられて笑い返す。一姫にこんな顔を見られたら引かれるか鼻で笑われるかのどっちかだ、絶対。

 将棋(はさみ将棋だけど)をはじめてしばらく、盤上を真剣に見つめる紅を見た。予想通り紅は気に入ったようだが、俺は三ゲーム目で飽きてきた。


「紅、この森ってどのくらい広いんだ?」

「青が来る入口からここにつくまでの三倍くらいで向こう側の端に着く」


森の入口からこの紅のもみじの木までは三分弱だ。この森は端から端まで歩いても十分くらいで外に出るらしい。


「あ、そうなんだ。思ったより広くないな」


木々が壁になり、向こう側は見えない。初めて入った時は迷うと困ると思ったが、迷うほど広くは無かった。

 結局、はさみ将棋は五勝一敗でその日は終わった。なんだかんだ時間が過ぎたのでトランプは明日にして帰る事にした。


「青が来ると日が暮れるのが早い。人間は面白いものをたくさん持っているな」


紅が名残惜しそうに将棋盤を眺めている。こんなに喜んで貰えるとは思わなかった。家に帰ったら弟に教えてやるのもいいかもしれないな、と機嫌良く思う。


「ここには面白いものないのか?」


紅はいつも何をして過ごしているんだろう。疑問を投げると紅は頬を膨らませた。


「面白いものなんて無い」


見事なふくれっ面だ。見慣れない俺には森は結構面白いけれど、ここで暮らしている紅にとってはそうでもないらしい。毎日ひとりきりだと思うと、確かにつまらなさそうだ。紅が俺を歓迎するのも頷ける。


「あ、何にも無いけど、ひとつだけ好きなものがあるぞ」

「へえ、何?」

「少し離れたところに開けた場所があって、そこから見る星は綺麗なんだ」


紅がうっとりと目を細める。言われてみれば、俺が住んでいる街より家も少ないし、空気も澄んでいる。星は良く見えそうだ。


「それは見てみたいな」


特に天体に興味は無いけれど、綺麗だと言われると気になる。そう言うと、紅の顔が輝いた。


「案内するから一緒に見よう!」

「良いのか? じゃあ明日用意してくるな」


約束すると紅は本当に嬉しそうに笑った。


「明日は、たくさん一緒にいられるな!」

「……」


まさにその通りなんだけど言葉にされるとどうにも照れる。頷くと、紅は「待ち遠しいな」と話しながら、森の端まで送ってくれた。俺も少しわくわくしながら家路についた。

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