第25話 名残の雨 -1
高校二年の夏休み、だというのに俺は暇を持て余していた。母の里帰りに同行して祖父母の家に来たものの、あまりにも遣る事がない。毎年来ているこの場所で、今更観光をする気にもならず、初日に近所をうろついただけで飽きた。
そもそもこの町には巡るほどの名所がない。山は見えるが近くはなく、周りには住宅と水田が広がるばかりだ。自然を満喫するには栄えていて、都市を体験するには田舎すぎる。
毎年夏に一週間程滞在するだけのここに友人はいない。祖父は仕事で、祖母は弟の
夏でも比較的涼しいのがここの数少ない長所だ。大抵は居間でだらだらと過ごす。本当に食べて寝る以外の事が思いつかない。スマホのゲームにもとうとう飽きてしまい、欠伸をしながらテレビをつける。どこかあか抜けないアナウンサーが地域のニュースを流していた。
「こちらが大型スーパーやアウトレットを備えたショッピングモールの完成予想図です。県内出身のアーティストがデザインした入口が……」
映し出された画面にはショッピングモールの見取り図がある。大型、というだけあってそれなりに広いようだ。
「ああ、これね、此処からすごく近いのよ」
上から声が降ってきた。見上げると母、
「空は?」
「眠たそうだったから置いて来た」
どうやら弟はお昼寝タイムのようだ。そして母達はこれからお菓子タイムだろう。
「ここ出来たら便利になるわね~、ねえ、お母さん」
これでこの居間の静けさも破られる。母達のどうでもいい雑談に付き合う気にはならず、早々に居間を出た。
徒歩でニ十分掛かるコンビニに向かって家を出たのは良いものの、半分も行かないうちに後悔した。比較的涼しい、とはいっても日中はやはり暑い。照りつける日差しが痛い。暑いっていうか、痛い。田んぼと住宅に挟まれたこの道に影は無い。思い返せば去年も同じように昼間にこの道を歩いて後悔した。本当に「暇」とは恐ろしい。
さっきのショッピングモールはいつ出来るのか。そこに行けば今よりは快適に暇を潰せるはずだ。
「早く、完成しないかな……」
恋しい気持ちで自然と口から漏れた。
コンビニまでは道に沿ってひたすら真っすぐだ。が、途中で細い脇道を見つけた。住宅の壁に挟まれたその小道には影が降りている。引き寄せられるようになかに入った。肌を焼く光が遮られ一息つく。道の先はそのまま続いている。なんとなく興味を引かれ、奥まで行ってみることにした。
日差しは強いが湿度は低い。日陰に入ると大分涼しくなった。細い道は住宅の壁ばかりで珍しいものは無い。それにしても外壁が長い家ばかりだ。敷地が広いのは羨ましいが、手入れも大変そうだ。
道沿いに何度か曲がり、小道を抜けると目の前に広がったのは森だった。木々が茂り、ところどころ覗いた日差しが光の筋を作っている。どの木も枝が力強く伸び、風に揺られた葉が心地よい音を鳴らしている。空気はひんやりとしていた。
「快適~」
吹き抜ける風や、肌に触れる空気はエアコンよりも優しく感じる。
「これはいい」
思ってもみない発見に、上機嫌で森に足を踏み入れる。道、というよりは獣道に近いが、踏み慣らされた場所がある。これを外れなければ迷う事は無いだろう。しばらく進んで振り返ると、木々の隙間から家の壁が見えた。道を外れ歩き出す。家が見える範囲でなら問題ないだろう。
森の木なんて全部同じだと思っていたが、良く見るとそれぞれに個性的な形をしている。どうしたらそんな風になるのか不思議なくらいぐにゃりと曲がっていたり、幹が折れた後に、横から新しい芽が出ていたり。なかなかに根性がある。
「あれ?」
人を見付けて声が漏れた。服が緑色のため遠目では分かりづらいが、木の上に確かに人が居る。向こうも、その声に気付いたのかこちらを向いた。距離があるため良く見えないが、耳が隠れる程度の黒髪が風に揺れている。
お互いに気付いているのに無言で立ち去るのもなんとなく居心地が悪い。これも何かの縁だと、木の下まで歩いた。
「そこ、気持ちよさそうですね」
声を掛けてから、はたと気づく。座っているのは葉の形からしてもみじだ。木の幹はそれなりに太いが、枝は細い。少なくとも人間がひとり座って耐えられるほどの強度があるようには見えない。しかし目の前の人物は何の苦も無く座っている。
まったくもって嫌な予感しかしない。でも自分から話しかけた以上、気付かない振りも出来ない。凶暴な奴ではないことを祈りつつ、じりっと逃げる準備を整えた。
「珍しいな、お前私が見えるのか?」
良かった、少なくともまったく話が通じないタイプの妖では無いらしい。軽い動作で木の上から降りてくる。
背丈は同じくらいだ。こちらを物珍しそうに眺めて、目が合うとにこりと笑った。二重のくっきりした大きな目と形の良い小作りな鼻は整っていて、綺麗な顔をしているが見た目からは性別が分からない。
男物の着流しの様な着物だが、深緑の地にもみじを図案化した柄は女性のように華やかだ。全体的にどっちつかずだが、さすがに
「あんた、このもみじの精とか?」
とりあえず当たり障りのない事を尋ねる。上手く表現できないが、気配というか、空気というかが、どことなく
「すごいな、なんでわかったんだ?」
「いや、なんとなく。それに服の柄ももみじだし」
どうやら当たりのようだ。それがますます妖の興味を引いたらしく、じっと顔を見られた。
いつまでも見つめられるのは少し照れる。染若といい、このもみじの精といい、木の化身は美形だ。おまけにこのもみじの精の顔はちょっとだけタイプだ。できれば女の子であってほしい。
「ふぅん、面白いな。ちょうど退屈していたんだ。話し相手にならないか?」
木の根元に座って、もみじの精が俺のTシャツを引っ張る。相手は妖だ。誘いに乗って良いものかと一瞬考える。でも断っても結局暇を持て余すだけなので、隣に座った。
吹き抜ける風がもみじの葉を揺らし、さわさわと葉擦れの音が届く。無音ではないのに静寂という言葉がこの空間には似合う気がした。
「なあ、お前、名前は?」
「
笑顔で訊いてくるもみじの精に悪意はなさそうだ。素直に名を教えると、あおいか~と嬉しそうに繰り返している。あまり会った事のないタイプだ。普段周りに居るのは一癖も二癖もある妖ばかりなので、少し拍子抜けした。
「私は、名は無いから好きに呼んでいいぞ」
「名前がないのか?」
「ああ、ここには私だけだし必要ないからな」
確かにひとりであれば名などいらない。でも好きに呼んでいいと言われてもそれはそれで困る。
「もみじ、はいくらなんでもそのまますぎるよな。紅葉だから、
思いついたものを適当に声に出してみる。でも「くれない」も「べに」も女の子の名前のようだ。話し方といい、しぐさといい、こいつは男だろう、多分。
しかしそれ以外の名前が全く思いつかない。「葉」の字の方をとって「よう」とか。でも何処となくしっくりこない。自分のセンスの無さに頭を抱えていると、なにやら考え込んでいたもみじの精が顔を上げた。
「
「は? いいのか?」
その名は、たった今俺の中で却下したばかりだ。
「だって、お前の名前は青色ってことだろう?
「そ、そうか? それでいいなら良いけど……」
なんだか良くわからないがもみじの精のテンションは高い。今更女の子みたいだからやめろとは言い辛い。まあ本人が気に入ったならいいか。あまり深く考えないようにしよう。
「なあ、青。今までも何度か人間が来たことはあったけれど、私のことが見える者は初めてだ。やっぱりお前は人の子の中でも珍しいのか?」
「え、ああ。父さんは少しだけ感じる事が出来るけど。でも俺と同じくらい見える人は知らないな」
一姫、染若、あけ緋は俺と同じ世界を見るが、しかし彼等は人間ではない。改めて考えるとなんだか自分が突出して異常な気がしてくる。やばい、真面目に考えると凹む。
「もしかして気に障る事を言ったか?」
「え、なんで?」
「なんか怖い顔してるぞ」
「ああ、違う。ちょっと考え事してた」
「そうか? それならいいが。なんせ私は人と話すのは初めてだからな。勝手がわからないんだ」
「俺の方こそ、話してるのに考え事とか失礼だった。ごめん」
「いや、怒らせてしまった訳ではないならいいんだ」
紅がハの字に寄せていた眉を綻ばせる。なんて、なんて素直な妖なんだ。うちに居る捻くれた神様を思い出してしみじみと感動する。きっと紅は良い妖に違いない。
紅は良く話した。そしてとても人間に興味があった。
「なあ、人間に訊いてみたかったんだ。お前たちが持っている小さな板は何だ?」
「小さな板って?」
「なんか、じっと見て指で触ってたり、耳に当てて一人で話してたりするやつ」
「ああ、スマホのことか?」
言われて、ポケットから取り出す。紅は、おお~、と歓声を上げた。大袈裟に反応されると何もしていないのにすごい事をしたような気がしてちょっと嬉しい。
「やっぱり、人はすごいな。こんなの作れるなんて」
使い方を説明すると、紅が弾んだ声で言った。触っていいか、と上目使いに見られて頷く。本当に子供のようだ。せっかくだから何かさせてみようと、紅にひとつひとつ画面をタップするように指示を出す。
「最後はここ、ここ押して」
恐る恐る触る紅に、動画の再生ボタンをタップさせると、軽快な音楽が流れだした。突然の音に紅の肩が思いっきり跳ねる。同時にその顔が引きつった。驚いてスマホを落としたのだ。
「す、すまない。どうしよう壊れたかな」
紅が焦った顔で俺を見あげる。そのオロオロしている様子とは反対に地面ではスマホが楽しげな音楽を流している。
「大丈夫、これくらいで壊れないから。驚かせてごめんな」
紅は座っているし、下は土だ。下草や落ち葉でふかふかしている。これくらいでは壊れない。
俺と話している間、紅は終始そんな感じだった。道の端の筒が出てくる大きい箱は何だとか(正解は自動販売機だ)、人が紙を差し入れる赤い箱はなんだとか(こっちは郵便ポストだ)。あれもこれもと話が尽きない。
「ありがとう、すっきりした。見る度になんだろうと思っていたんだ」
「どーいたしまして」
「私はまだ力が弱いから、この辺りしか見て回れないけれど、いつかもっと力が増したら遠くまで見に行くんだ。きっと面白いものがたくさんあるよな」
目をキラキラさせる紅につられて笑う。あちこちではしゃぎまくる紅が目に浮かぶようだ。
「っと、日が暮れて来たな」
ふと日が傾いてきたのに気がついた。もう五時半を回っている。家を出てから三時間は経っている。ちょっと出てくる、としか母さんに伝えていないから心配しているかもしれない。地元であれば三時間くらいなんてことはないが、このあたりは遊ぶ場所も友達もいない。本当に心配になったら電話を掛けてくるだろうけれど、そろそろ帰らないと。
「悪い、紅。俺、帰るな」
「うん。そうだな。色々ありがとう」
紅は俺を引きとめない。けれど、なんというか、明らかに垂れた耳が見えるというか、寂しそうというか。
「あーっと、明日も来ていいか?」
「え、本当か!? 勿論」
ぴんと張った耳とパタパタと振られる尻尾の幻影が見える。本当に子犬のようだ。でも正直、懐かれて悪い気はしない。どうせ家でだらだらと過ごすなら紅と話していた方が有意義だ。また明日、と約束をして家に帰った。
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