第18話 夏の面影 -2

「すごぉい、大きくなったわね」


 親戚の子供と久しぶりに会いました、というような第一声を上げたのは幸子ゆきこだ。


「綺麗になったな~、この前会ったときはこんなちびっこかったのに」


 自分の腰のあたりを示して笑うのは晴一はるいちだ。どちらも夏月の事を覚えている。対して夏月かつきはやはり顔を見ても思い出さなかったらしい。二人の気安さに戸惑いと、覚えていなかった申し訳なさが顔に出ている。

 恐縮している夏月にリビングの座卓につくよう促した。先に座っていたそらが隣に来るように手招きする。誘われるまま夏月は席についた。

 空の隣に夏月、座卓を挟んで空の正面に晴一、長方形の座卓の短辺、いわゆるお誕生日席に一姫が座った。晴一の隣にはお茶を用意している幸子が座る予定だ。時刻は午後四時を過ぎたところで神社を閉めるには少し早いが、今は染若に任せてある。急な用事があれば連絡が入るだろう。

 対面式のシステムキッチンを端に据え、フローリングの縦長に広い一間が涌永わくなが家のリビングだ。その一間の半分にテーブルと椅子を置き、もう半分はフローリングの上に夏はゴザと座卓、冬は毛足の長いカーペットと炬燵(夏の座卓と同じもの)が置かれる。

 和洋折衷と言えば聞こえはいいが少々統一感に欠ける。そして一姫をはじめあまり行儀が良いとは言えないこの家の者は座卓で寝転がる事が多い。椅子とテーブルはあまり使われる事は無かった。

 今回も座卓の上にポテトチップスと煎餅が並べられた。


「夏月ちゃんが来るって知っていたらもう少しマシなおやつ用意したんだけど」


幸子が冷たい麦茶を配りながら言う。とりあえずあるものを出した、という様子だ。


「いえ、私が急に来たのが悪いんです。すみません」

「あ、違うの。そう言う意味で言った訳ではないのよ」


項垂れた夏月に幸子の慌てた声が続く。気にしないで、と言うように幸子が笑顔を向けた。


「たしか、この前会ったのは二十年前よね。あおいが一歳になったばかりだったもの」

「そうそう、それで夏月くんが十歳だったよな。ということは、今三十歳か? 見えないね~」

「こら、パパ。女性の歳を細かく言うものでは無いわよ。と、いいつつあの時十一歳ではなかったかしら? だから三十一よ。ねぇ、夏月ちゃん?」


機嫌の良い幸子と、晴一の会話が進む。


「そうです、今年三十一になりました」


当の夏月は控えめに笑ってはいるが少し表情を硬くした。久しぶりの再会に喜んでいる二人は気付いていないようだが、先ほど一姫がその話をした時も夏月は不快感を表した。

 同じ年に産まれた子供の中でひとりだけ、普通では考えられないほどに成長が遅いとなれば、それなりに苦労しただろう。まして自分が妖怪とのハーフだと自覚していなかったのなら尚更だ。


「二人とも夏月の事情を知っているから大丈夫だ。奈津子なつこに聞いている」


一姫は夏月にそう前置いてから、幸子と晴一に先ほどまでの一連の出来事を話した。


「そうよね、私もこの家に来るまであやかしなんてこの世にいないと思ってたわ」


幸子が納得顔で頷く。幸子も晴一と結婚するまで、神や妖とは無縁の生活をしていた。しかし、幸子は恐れるどころか持ち前のおおらかさであっという間に馴染んでしまった。


「この前会った時は、十一歳なのに、貴方、五、六歳くらいの身長しかなくてね。不思議に思っていたらお母様が訳を話してくれたの。でも事情を聞くまではご飯を食べさせて貰えていないのかと心配しちゃったわ」

「本当に可愛かったんだぞ、夏月くん。ちっちゃくてな。女の子が欲しいなって思ったんだよ」


幸子の話に続いて、晴一が頷く。小さい時の話とはいえ、やけに褒められて夏月は照れくさそうだ。


「お母様はお元気?」


幸子が尋ねると、夏月は少し寂しげな笑みを浮かべた。


「母は三年前に癌で亡くなりました」


一瞬水を打ったように場が静まった。隣の空がちらりと夏月を見て顔を曇らせる。その視線が一姫へと移ったが一姫は何も言わなかった。


「そう、そうなの」


幸子が小さく呟いた。目頭に溜まった涙が一筋流れる。慌てて幸子が指先で拭った。


「あ、あら、私ったら。ごめんなさいね」

「いえ」


返事をしたものの夏月は目を丸くしている。本当に意外という様子だ。


「以前、お母様にお会いした時に、私、産後からずっと体調が悪くてね。お母様は私よりよっぽど大変だったのに、すごく心配して下さって。素敵な方よね。私、一日でファンになってしまったわ。でも辛いのは貴方なのに、本当にごめんなさいね」


涙をティッシュペーパーで押さえて、幸子がひとつ深呼吸をする。その様を晴一は少し困ったように、心配そうに見ている。空はほとんど見た事のない母の涙に驚いていた。


「私の成長が遅いので、ひとつの所に長く住む事はありませんでした。引越を繰り返しているので、親しい知人がいないんです。なので、幸子さんのように母を悼んでくださる方がいてすごく嬉しいです」


頬を染めて夏月が微笑んだ。今日この神社に来てから初めて本当に笑っている、一姫にはそう思える笑顔だ。ついでに空もほんのりと頬を染めている。


「あちこち転々とするのは大変だったでしょう。今、どこにいるの? ここまで遠くなかった?」


矢継ぎ早な幸子の質問に、我に返った空が瞬きをした。慌てたようにそわそわしている。その様子に一姫はふっと口の中だけで笑った。


「今はこの近くです。電車を乗り継いで一時間くらい。もう五年住んでいるので、そろそろ引っ越そうとは思っているんですけれど」


先ほどの幸子の涙で、随分と緊張が解れたのか穏やかに夏月が言った。


「いきなりこんな話もなんだけれど、引越するのもそれなりにお金が掛かるだろう、大変だね」

「ええ、でも母が残してくれたお金がいくらかありますので。生活費くらいはなんとか稼げますし、それなりにやっています」


夏月は、気にするな、と言うように笑みを向ける。晴一は浮かない顔だ。その時、口を挟んだのは一姫だ。


「どうせ引っ越すなら、この神社に住んだらどうだ。そうすれば金はかからんだろう」

「え?」


夏月が驚きの声を上げると同時に、幸子が名案だとぽんと手を打ち合わせた。


「それ、いいわね。うちなら外見が変わらなくても気にならないし、何年住んでも問題ないわ」

「ええ?」


あっさりと肯定されて、さらに夏月の声が大きくなる。


「いきなりそんなことを言われても夏月くんも困るだろう。一度しか来ていない家に住めと言われても普通は無理だよ」

「一度では無いわ、二度目よ。何よ、じゃあパパは反対なの?」


頬を膨らませる幸子に、晴一が宥めるように言う。


「反対とは言ってない、ただ急すぎるって言うだけで。なあ、夏月くん?」


話を振られて夏月が頷く。


「確かに私達にとっては昔馴染みでも、夏月ちゃんにとっては初めて会った他人だものね。それなら何度かうちに遊びに来て頂戴。それで、気に入ったらうちに住めば良いわ」

「さすがにこの家に住むのは気を使うだろうから、神社のわらわの部屋を貸してやる。空き部屋があるから好きに使うと良い」


幸子の言葉を一姫が引き継ぐ。

 一姫が住む神社の本殿には、一姫の部屋、一姫の衣装室、そのほかに部屋が三つある。一姫は神社の関係者以外が本殿に入る事を嫌うため、これは破格の対応だ。台所と風呂、トイレもあり、一通り人間が生活出来るように整えられている。しかし今まで一姫が台所に立っているところを誰一人見た事は無い。もっぱら染若が一姫にお茶を淹れるのに使われている。


「あの、なんでそんなに良くしてくれるんですか?」


昔馴染み、とはいってもあくまで二十年前に一度会ったきりだ。この歓迎ぶりは夏月には理解できない。その問いに答えたのは一姫だった。


「二十年前、大切なものを失くした。神社中を探しても見つからず諦めかけていたところを、夏月が見つけてくれたんだ。その恩を返したい」


言われて、記憶を探っても見当たらない。そもそも夏月にはこの神社に来た記憶さえ無いのだ。


「大切なものって?」

「ちょっと待ってろ」


言い置いて、一姫が立ち上がる。その姿がすっとかき消えた。えっ、と呟き目を瞬かせる夏月に空が言った。


「一姫は神社の敷地内とこの家の中なら好きなところに移動できるんだ。簡単にいえばワープってやつ。すごいよね」

「普段は普通の子供だから忘れちゃうけど、やっぱり一姫って神様なのねぇ」

「どういう仕組みなんだろうな。毎回不思議に思うよ」


涌永家の面々がそれぞれ感想を漏らすのに、はぁ、と納得したようなそうで無いような顔で夏月が相槌を打つ。そうこうしているうちにまた一姫の姿がすっと現れた。パウダーピンクのワンピースには不釣り合いな小さな扇子を持っている。


「扇子……?」


夏月が呟く。一姫が目を向けると、自信がなさそうに夏月が続けた。


「もしかして、紫色の花が描いてありますか?」

「おお、当たってるぞ。何だ、思いだしたか?」


一姫が扇子を開く。白地に藤の花が描かれている。状態は良いが一見してそれなりに古いものだと分かる。


「なんだか、記憶に引っ掛かってます。着物の女の子と手を繋いで……それと魚?」


ぼんやりと霞掛った記憶の中に、鮮やかな色彩が蘇る。赤い色の着物の裾がひらひらして綺麗で羨ましかった。繋いだ掌は自分より冷えていた気がする。


「ああ、そういえば二人であけ緋を見に行った」

「あけ緋?」


夏月が聞き返すと、代わりに空が答えた。


「神社の池にいる鯉だよ。すごく大きくて、おじいちゃんなんだ」


鯉、だったかまでは記憶にない。ただ夏の日差しを跳ね返す水面と同じくらい、鱗が銀色にきらきらと光っていたのは覚えている。でも手を繋いでいた少女の顔までは思い出せない。一姫だと言われればそうだとも思うし、違うと言われればそうだとも思う。

 夏月がじっと一姫の顔を見ると、先を促されたと思ったのか一姫が話しだした。


「この扇子は、形見なんだ。扇子の職人でな。これはそやつが一番初めに作った扇子だ。だからまだ下手くそで、よく見ると端がガタガタしている。でも本人はそれはそれは満足そうに持ってきた」


一姫が扇子を夏月の顔に近づける。良く見ると、確かに紙の端が少し歪んでいる。放射状に広がる竹の芯も幅が広いところがいくつかあるようだ。


「最後に作った扇子もわらわが持っていてな。そちらはプロの技ってやつだ。今度機会があったら見せてやろう。なかなかに見事だぞ」

「ええ、ぜひ」


楽しそうに、嬉しそうに語る一姫につられて夏月が微笑む。


「二十年前、この扇子を帯に挟んでいたんだが、いつの間にか落としていてな。どうしても見つからず、諦めかけていたら夏月が拾ったと奈津子が尋ねて来たんだ」

「そうそう、あの時の一姫は本当に塞ぎこんでいてね。私達も心配していたの。拝殿の縁の下に落ちていたのを夏月ちゃんが見つけてくれたそうよ。落ちていた扇子に気付かずに誰かがけっ飛ばして奥に入っちゃったのねって話していたんだけど」

「そういう訳で、夏月には本当に感謝をしている」


一姫と幸子が順繰りに話す。礼を言うぞ、と頭を下げる一姫に、夏月が慌てて手を振った。当の夏月には扇子を拾った記憶は無い。

 ちょうどその時、小さな鈴の音が聞こえた。玄関のドアに付けられた鈴だ。ドアの開閉に合わせてちりんちりんと澄んだ音を出す。


「ああ、アオが帰ってきたようだな」


一姫がドアの方を向く。この家にインターフォン無しで入ってくるのは、今ここに集まっているメンバーの他には、あおいしかいない。染若はインターフォンを鳴らすが、返事を聞かずに入ってくる。電子音に続いて直ぐに鈴の音が聞こえればそれは染若だ。


「ただいま」


 リビングのドアから青が顔を出した。青は駅前の本屋でアルバイトをしている。今日も朝から出かけていた。


「ああ、おかえり。お茶淹れるわよ」


幸子が立ち上がる。キッチンに向かって歩くのとすれ違いに、青が入って来た。


「お客さん?」


夏月を見て、青が問いかける。一姫は青の服を引っ張って無理やり座らせた。


「夏月、これがこの家の長男、青だ」

「はじめまして、吉峰夏月です」


夏月が頭を下げる。どうも、と青が同じように頭を下げた。


「夏月くんとは、お前二十年前に一度会ってるんだぞ」


晴一に言われて、青が、はぁ、と曖昧な相槌を返す。会っている、と言われても二十年前の青は一歳だ。覚えているはずがない。


「もしかしたら、うちに住むかもしれないの」


冷えた麦茶を青の前に置いて、幸子が隣に腰を掛けた。


「……は?」


 見慣れない少女の登場に、反応の鈍かった青が、今度ははっきりと疑問の声を漏らした。見ず知らずの人間がいきなり同居すると言われて驚かない人間はいない。


「えっと、意味わかんないけど?」

「言葉通りの意味よ」


幸子がおどけた調子で返す。青がイラッとした顔を見せたが幸子は気にした風も無く、事のあらましを説明した。一通り話を聞いた青が夏月に視線を向ける。夏月は恐縮した様子で、すみません、と頭を下げた。

 夏月が顔を上げてからもしばらく、青はその視線を外さなかった。夏月が居心地悪そうに身動ぎをする。


「なんだ、青。夏月くんが可愛いから一目惚れでもしたか?」

「あら、そうなの。駄目よ、手出したりしちゃあ」


晴一が茶々を入れ、幸子も乗っかる。その二人をちらりと見て、青は小さく息をついた。鞄を持って立ち上がる。


「俺は、反対だから」


その場にいた、青以外の誰もが動きを止めた。

 リビングのドアに向かって歩き出した青に、いち早く硬直から抜け出した一姫が声を掛ける。


「おい、アオ!」


呼ぶ声に、青は振り返らない。そのまま階段を上がっていく足音が聞こえる。


「あの、その、私。ごめんなさい」


夏月が俯く。その声は震えている。


「あ、ああ。夏月くんの所為じゃないよ。ちょっと青の機嫌が悪かったんだ、きっと」

「どうしちゃったのかしら、あの子。普段はあんなではないんだけれど、本当にごめんなさいね」


晴一は慌て、幸子は息子への怒り半分、戸惑い半分、夏月に謝る。


「ちょっと私、青と話しつけてくるから」

「あの、いいんです。私、もう帰ります。本当に」


 腰を浮かしかけた幸子を夏月が止める。夏月は荷物を持って立ち上がった。リビングに居た全員が引きとめたが、ごめんなさい、と謝って夏月は涌永家を後にした。

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