第15話 薄明の月 -3
外に並べたつづらを蔵に戻し終えたのはすっかり西日が差す時刻だった。濃い橙色が辺りを染める。
「俺、ちょっとコンビニで夕飯買ってくるから姫に伝えておいてくれる?」
「わかりました。鍵は片づけておきますよ」
「ありがと~。よろしく」
染若に蔵の鍵を渡し、軽く手を振って歩き出す。コンビニまでは歩いて十分程だ。面倒臭いが冷蔵庫の中身を考えると致し方ない。歩き始めて数分、スマホが揺れるのを感じて取り出した。ディスプレイには一姫の名だ。
「もしもし」
「あ、アオ。今コンビニに向かってるんだろ?」
「そうだけど、何?」
「わらわの夕飯は冷やし中華な。あと、酒の肴買ってこい」
「おい、冷やし中華はまだしも、酒の肴ってなんだよ。母さん達いないからって飲む気か?」
「いいから、黙って買ってこい。買ってこなかったら末代まで祟るぞ」
「おい、ちょっと待っ」
全てを言いきる前に、あっさりと通話が切られた。勝手な言い分に溜め息が洩れる。末代まで祟る、は冗談にしても、無視をしたら間違いなく何かしらの制裁が待っている。
子供の頃、一姫の饅頭を勝手に食べて、知らないと嘘をついたその時から、丸一日原因不明の下痢に悩まされたのはあまり思い出したくない記憶だ。幼い自分が嘘をついた事への躾の意味もあっただろうが、それにしても「食い物の恨みは怖いのだ」と言った一姫のせせら笑いは明らかに私怨を含んでいた。
その当時から一姫は今と同じ十二、三歳の少女の姿だった。今は青が見下ろす身長差だが、小さい自分にとってその一姫は見上げる程に大きかった。こうも一姫に逆らえないのはその時の恐怖が染みついているからに違いない。
もう一度息をついて、スマホをポケットに仕舞う。そうこうしている間にたどり着いたコンビニのドアをくぐった。ここの店員の女の子は可愛い。せめてもの癒しを求めてみたが、目に入ったのは中年のおじさんだった。店長だ。店長に罪は無い、罪は無いが、がっかりしてしまった自分に、心の中でごめんなさいと頭を下げた。
帰り着く頃にはだいぶ日が落ちていた。家に入るとどこも薄暗い。一姫と薄墨は二階だろうか。荷物を置き、リビングのカーテンを閉めると室内はさらに暗くなる。隣室から「おかえり」と小鳥の高い声が聞こえた。
リビングに隣接する客間の畳に敷かれた布団に薄墨が座っている。窓から差し込む名残の夕陽が薄墨の頬を赤く染めている。
「なんだ、電気点ければいいのに」
「でんき?」
枕元にちょこんと座った小鳥が青の言葉を伝えると、薄墨が不思議そうに繰り返した。小鳥は薄墨を見て、次に青を見て、そして黙った。この小鳥は時々二人に直接会話させようとする。まったく頭の良い鳥だ。
「そっか。薄墨の時代は電気なんてないよな。ちょっとまって」
青が客間の戸口のスイッチを入れる。和風の笠をかぶった蛍光灯が光った。室内がぱっと明るくなる。青にとっては当たり前だが、薄墨は大いに驚いたようだ。
「すごい、昼間のようだ!」
薄墨のはしゃいだ声が聞こえる。言葉は解らないなりに興奮しているのは伝わってきた。少し遅れて小鳥の通訳が続く。
「青が灯したのか?」
「そう。でも別に俺がすごいわけじゃないけどねー」
自分の手柄では無いが、目を輝かせて見つめられるとなんとなく嬉しくなる。ひらひらと手を振って薄墨の隣に腰を掛けた。
「そういえば姫は?」
「少し前に二階で用事があると出て行った」
「上で? ああ、なるほど」
土曜日のこの時間は、一姫が好きなアイドルのバラエティがあったはずだ。いつもはリビングの大きなテレビで見ているが、今日は薄墨がいるから遠慮したのだろう。まだ始まったばかりだから、しばらくは降りてこない。
「薄墨にもうどん買って来たけど食べられるかな?」
「いや、私は、」
「調子悪い? まだ顔色悪いしな。じゃあ、お粥作るから待ってて」
先ほど冷凍庫を開けた時に冷凍ご飯があった。あれを使えば粥くらい出来る。立ち上がると、戸口で薄墨に呼び止められた。
「何?」
訊き返すと薄墨は少し眉を寄せ、それから微笑んだ。
「いや、ありがとう」
「どういたしまして」
つられて笑ってから、台所に向かう。途中で床に置いた荷物を回収して、コンビニで買ったものを冷蔵庫に仕舞った。一姫は腹が減れば勝手に食べるだろう。
ほどなくして出来上がった粥を持って客間に戻った。米だけでは寂しいので薄切りの大根も入れた。あまり料理をする方ではないがそれなりに上手く出来たと思う。
「あれ、寝てて良かったのに」
薄墨は座ったまま窓の向こうの庭を眺めていた。もう空は暗いが部屋からの明かりと外の街灯で小さな庭は見渡せる。目隠し代わりの垣根がぐるりと囲み、芝生を敷いてある庭は他に変わったものは無い。唯一、端の方で母が育てているハーブや花が色を添えていた。
「熱いから気をつけてな」
プラスチックの安っぽいトレーに乗せた粥は、見るからに熱そうな湯気を立てている。礼を言って受け取った薄墨に頷いて、青は一度台所へ戻った。一姫の分とは別に、自分用に買った冷やし中華とおにぎりを冷蔵庫から取り出す。
一人で食べるのは味気ないので薄墨の隣で啜る事にした。ついでに目に付いたみかんゼリーも取り出す。弟が怒るかもしれないが、病人にあげたと言えば納得するだろう。
「どうした、難しい顔して? あ、もしかして不味かった?」
粥を前に険しい顔の薄墨に声を掛ける。一応味見はしたので、酷い味ではないはずだ。が、なにせそう料理をするわけでは無いので自信は無い。
「え、いや、美味しいよ。ただちょっと熱くて」
すぐに笑顔になった薄墨に胸を撫で下ろす。病人の為に作った粥でさらに病状を悪化させたら目も当てられない。
食事を終えるまでは、それぞれ無言だった。食後のデザートに取り分けたゼリーを渡すと、その形状が不思議なのか薄墨はしばらく眺めていた。青が口に運ぶと、続いて恐る恐る口に入れる。青はその様を微笑ましく見届けた後、少々物足りなかった腹を満たすため台所でバナナをつまんだ。
かれこれ一時間経過するが、いまだ一姫は降りてこない。客間に戻ると薄墨は窓から続く縁側に座っていた。この家はリビングと客間の窓の外に簡易な縁側があり、その先に庭が広がっている。青が近付くと部屋からの光が遮られ、芝生に影が落ちた。それに気付いた薄墨が振り返る。
「花が、咲いているね」
小鳥は薄墨の膝の上に乗っていて、声は少し遠く聞こえた。庭の端に作られた小さな花壇にはいくつも赤紫の花が咲いている。毛糸のボンボンのような丸い形のその花が咲いた時、園芸初心者の母が嬉しそうに説明していた。
「えーと、確か
「へぇ、千日」
「あと、花言葉が『色あせぬ愛』とか『終わりのない友情』だとか言ってたかな」
あまり興味がなかったので母の講釈は話半分に聞いていた。もっと色々と話していた筈だが覚えていない。いつまでも後ろに立っているのも何なので青も隣に腰を掛けた。
大分冷えた風が心地良い。季節は着々と盛夏へ向かっている。夜風が気持ち良いなんて言っていられるのも今だけだ。満月には少し早い欠けた月が浮かんでいる。雲ひとつない晴天だ。しかしそんな月には目もくれず、薄墨は花壇を眺めていた。
「その花、そんなに気に入った?」
青の問いかけにようやく薄墨の視線が動いた。
「私に『千年生きろ』と言った友人がいたんだ。まさか本当に千年生きる事になるとは思わなかったが」
薄墨が苦く笑う。千年なんて途方もない時間、青には実感できない。目の前の薄墨だって、外国人と言われれば納得してしまう。ただ一姫の言葉だけが彼が千年生きていると証明している。
「千年て、長かった?」
「どうだろう、封じられている間は半分寝ているようで、あまり時間の経過は解らなかった。長かった気もするし、過ぎてみればそうでもない気もする」
「ふうん、夏の夕暮れの昼寝みたいだな」
「なんだ、それは?」
「えーと、夏の夕方にうたた寝すると、ちょっと寝ただけだと思ったのに意外に時間が過ぎてたり、逆にすごく寝たと思ったら少ししか時間が経ってなかったりする事が多いんだよな。虫の声とか聞こえてさ、意識はなんとなく起きてるけど体は寝てる、みたいな」
「確かに、近いかもしれないな」
「なんかすごい気持ちいいんだよな~夕方の昼寝って」
「夕方なのに、昼寝なのか?」
「言われてみれば。じゃあ、夕寝?」
「千年前は、日暮れとともに寝る生活だったから夕寝は無かったな。布団の様な快適な寝具も無かった。時間の経過は生活の違いで感じるよ。別の国に来たようで目が回る」
「じゃあ、もしかして寝込んでたのはそのせい?」
「そうだな、そうかもしれない」
くすくすと笑う薄墨に、青は一息つく。やはり顔色は悪いが、先ほどよりは調子が良さそうだ。
「なんだ、盛りあがってるな」
庭の芝に、もうひとつ影が差す。一姫だ。
「姫、冷やし中華冷蔵庫に入ってるぞ」
「おお、了解」
「じゃあ、姫も戻ってきたし、俺ちょっと風呂入ってくる。悪いな、薄墨」
昼間、蔵の整理でかいた汗とほこりを流したい。汚れたシャツは着替えたが、やはりすっきりしない。青がひらひらと手を振って立ち上がると、薄墨は見よう見真似でぎこちなく手を振り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます