第13話 薄明の月 -1

 和久永神社わくながじんじゃの一角には小さな蔵がある。先の戦禍で焼けてしまい、敷地の半分は戦後の再建だが、この蔵は当時のまま残っていた。築百年を超えているらしく、本来ならばそれなりの文化財だが、神社にその歴史を伝える記録は無い。

 重要なものは他の場所に移してしまい、蔵に保管されているのは価値の解らないガラクタばかりだ。民族史や郷土史の学者には役立つかもしれないが、そういった筋に寄贈するような話も無かった。


「うーわー、ほこり臭っ。別に何にも使わないんだから日干しとかしなくてよくない?」


 扉を開け、カビ臭い空気にあおいがパタパタと空中を扇ぐ。蔵へ入ると背後からの光でほこりがきらきらと輝いているのが見えて、青はげんなりした声を出した。


「そう言わずに。この中の道具もいつか役に立つかもしれませんし」


宥めるような声に振りかえると、青年が一人立っていた。彼はこの神社の御神木の精霊で、名を染若そめわかという。樹齢三百年を超える椎の木だ。普段は人の形をとって神社の管理を手伝っている。

 染若が近年後付けされた照明のスイッチを入れる。小さな電球一つでは頼りないが、それでも蔵の中は随分と明るく感じた。


「染若。もしかして手伝ってくれんの?」

「ええ。いくら小さな蔵といってもひとりで整理するのは大変でしょう?」

「ありがと~。ていうか母さんも父さんも鬼だよな。自分たちが居ない時に限って俺にこういう雑用やらせるんだから」


 青の両親は弟のそらを連れて朝早く親戚の家へ行っている。明日の夕方帰ってくる予定だ。青も誘われたが、面倒臭いから嫌だ、と言ったらこうして蔵の整理というもっと面倒臭いことを言い渡された。


「無理してお母様の言いつけを守らなくてもよいのでは?」

「染若だって知ってるだろ? 父さんはともかく母さんの機嫌を損ねるのが一番の恐怖なんだよ」

「昔から貴方はお母様にだけは逆らいませんものね」

「ちびの頃からそうしつけられてるからもう条件反射だよ。なんかこう、無言でじっと見つめられると動悸がするんだよな」


口を尖らせる青に染若がくすくすと笑う。青はバツが悪そうに指先で眼鏡を押し上げた。



 蔵の外に広げたビニールシートはもう半分ほど埋まっている。荷物のほとんどは青が一人で持てるほどの長方形の竹のつづらだ。そのつづらをビニールシートに運んで蓋を開けて風を通す。その一連の作業のたびに細かいほこりが舞って、青の眼鏡はいつの間にか曇っていた。服の裾でレンズを拭いていると、さすがの染若も、ほこりっぽいですね、と苦笑気味に言った。


「よっし、あと少し」


 蔵に残ったつづらはあと五つ。ようやく終わりが見えてきた喜びに青が声を上げた。そのまま抱えていたつづらをビニールシートに置く。気合いの入れすぎか少々乱雑に置いたそのつづらからガチャッと嫌な音がした。


「やべっ」


青が中を確かめようとつづらの蓋に手を掛ける。


「青、ちょっと待って!」


 蓋を開けたのと、染若の制止の声が聞こえたのは同時だった。青が染若を振り返る。その時、つづらの蓋を持つ手に冷たい何かが触れた。触れた、というよりも、巻き付いているそれに、青は恐る恐る前を向く。つづらの中から半身を起した人間が青の手首を掴んでいた。


「……ッ、うっわぁ」

「うっさいわ、アオ」


 一拍遅れの悲鳴は、扇子で頭をひっぱたかれた衝撃で収まった。いつの間にか後ろに一姫が立っている。青の手首を掴んでいた相手もそれには驚いたのか、腕はいつの間にか自由になっていた。つづらから人が出てきた驚きよりも、とりあえず叩かれた頭が痛い。


「お前なぁ!」


じんじんする頭を押さえて一姫を見上げると、難しい顔で眉を寄せていた。珍しい一姫の表情に、事は意外に深刻らしいことに気付き、仕方なく黙る。

 つづらからこちらを見ている人物は美しい人だった。白い肌と薄茶色の柔らかな長い髪に、赤み掛かった濃い黄色の瞳。女性と見間違えるような柔和な顔立ちだが、着ているのは水色の狩衣だ。神主である青の父親が着ているものとよく似ている。とりあえず、人ではない、ということだけは青にも解った。常識的に考えて普通の人間がつづらから出てくるはずがない。


「大丈夫ですか?」


染若が近付いてきた。その視線は一姫とつづらの男を行き来している。皆の注目を浴びて男が口を開いた。


「……なんて?」


つづらの男が何か話したが、青には理解が出来ない。隣の染若に尋ねたが、しかし彼も首を振った。


「平安の言葉じゃな。なんと懐かしい」


 ぽつりと一姫が呟く。そのまま一姫がつづらの男に向かって話し始めた。一姫もその「平安の言葉」を使っているようで、やはり青には理解ができない。ただ二人の間では会話は成立しているようで、つづらの男は少し表情が和らいだ。なんとなく意味が掴める単語はあるような気もするが、しかしイントネーションも発音の仕方も違うようで、まるで外国語のようだ。


「染若は、解る?」


同じく状況を見守っていた染若に尋ねる。彼も困惑した様子だ。


「いえ、私は江戸生まれですから。平安の言葉はちょっと……」


流れに乗れない二人をよそに、一姫とつづらの男は何事か話しあっている。


「なんか、祝詞のりととちょっと似てるかも」

「そうですね」


神主の父が朗唱する言葉と少し似ている。唄うようにゆっくりと零れ落ちるそれはどこか懐かしさも感じるが、やはり意味は解らなかった。


「お前たち、雑談するなら離れておれ。煩い」


偉そうな一姫に若干イラッとしたが逆らったところで意味は無い。青は染若と共に一姫から離れ、ひとつ大きく伸びをした。


「とりあえず、蔵の虫干し続けるか」


声を掛けられた染若は目を丸くする。


「そうですね」


正体の知れない妖に緊張していたのか、染若の声はどこか気の抜けた響きを含んでいた。



 虫干しを再開してすぐに、一姫はつづらの男を連れて神社の本殿へ歩いて行った。後を追おうかと一瞬考えたが、どうせ一姫に追い払われて終わりだ。かわりに男が入っていたつづらを覗きこむ。

 青がつづらを運び出した時には、人が入っているような重量は無かった。染若も興味をひかれたのか同じように覗きこむ。


「ああ、ガシャンってこれか」


端の焼けた古い本と、色の褪せた端切れが乱雑に入ったつづらの中に、陶器があった。青の握りこぶしほどの小さな壺で、つづらを置いた衝撃でひびが入ったのか、底が抜けている。染若が手を伸ばして壺を拾った。


「これに先ほどの方は封印されていたみたいですね」


 壺の口は何重にも布で封をされている。布の色は退色して茶色くなっているが、表面には文字のようなものが刺繍されていた。その刺繍の糸も今はくすんだ黄土色だ。相当長い時間が過ぎているのは想像がつく。


「封印って……なんかヤバイ奴なのかな?」

「さあ、そこまでは。でも敵意は感じませんでしたし、一姫様がついてらっしゃるので大丈夫ですよ」


染若は穏やかに微笑んで、つづらの中の陶器のかけらを拾い集めた。

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