第12話 昼下がりの空 -3

 部屋を出て夕食を食べた時、兄ちゃんは自室に戻っていて会えなかった。僕の部屋の壁一枚隣の部屋に居るんだから行けばいいんだけれど、勇気が出なかった。何て言って謝るか考えよう、と自分に言い訳をする。本当は、ただ、ごめんなさい、と言えば許してくれると僕は知っている。そもそも兄ちゃんは怒ってさえいないかもしれない。

 明日顔を合わせた時に謝まろうと楽な方を選択して、そのまま眠りについた。でも朝起きて、僕が学校に行く時になっても兄ちゃんは起きてこなかった。ごめんなさい、と言う為だけにわざわざ起こすのも違う気がして、結局会わずに学校に来た。

 授業を受けながら昨日の事を思い出す。ため息をついて窓から外を見た。先生の声が耳を撫でていく。僕のぐるぐるした気持ちとは反対に、雲ひとつない晴天だ。帰ったら謝るぞ、ともう一度決意して黒板に目を戻した。


「ねぇ、そらくん、どうしたの?」


 いつもの帰り道、笹川さんが僕の服を引っ張った。ぼんやりしていた僕が顔を向けると、二人ともどこかほっとしたように僕を見た。


「ああ、ごめんね。何?」


二人はたいてい僕にとってどうでもいい話をしているので、あまり覚えていない。たしか笹川さんが雑誌で見た服が可愛い、とかそんな話をしていたはずだ。


「空君、なんかいつもと違うよ?」


斉藤さんが僕の前に立つ。


「え、そんなことないよ」


 さすがに、自分の事しか考えてない自分に落ち込んでいました、なんて言えない。でもいつも僕の意思などお構いなしに見える二人が、僕の態度の違いに気付いたのは意外だった。


「ねえ、二人は僕のどこが好きなの?」


ふと、言ってしまってから口を押えた。すごく恥ずかしい事を訊いた気がする。


「空くんはね~、かっこいいから」

「それと、可愛いから」


あわあわしている僕に気付いた風も無く、笹川さんと斉藤さんが言う。格好良い、はともかく可愛いはちょっと複雑だ。けど褒め言葉には違いないので素直に受け取っておく。


「あと、あとね、『優しいから』」


 「優しいから」で笹川さんと斉藤さんの声が重なった。それに驚いたのか二人が顔を見合わせる。そうして嬉しそうに笑った。そういえばあまり二人のこういう顔は見た事がない。二人とも笑っている事が多いけれど、今の顔は少し違うように見えた。そのほうが可愛いのに。


「僕、優しいと言われるような事してないよ?」


もともと告白されるまで二人と親しかったわけではない。ただのクラスメイトで、僕にとっては友達に入るかも微妙な間柄だ。告白された時は人違いだと思ったくらいだ。


「そんなことないよ。優しいよ。だって教室の花瓶割っちゃった時、真遊まゆの心配してくれたでしょう?」


 笹川さんがこちらを向く。以前、教室で笹川さんが、台にぶつかって上にあった花瓶が落ちた。花瓶は割れて、花と水が床に散らばった。近くにいた僕にも少し水が掛ったので覚えている。でもそれがどうして優しいに繋がるのかわからない。


「花瓶が割れたのは覚えてるけど、僕、何かしたっけ?」

「あの時、真遊は他の男子とふざけてて、花瓶を割っちゃったの。一緒に遊んでた子は嫌な顔したのに、空くんは『大丈夫?』って訊いてくれたでしょう?」

「そうだっけ?」


記憶は薄いけれど、そういえば声を掛けたような気はする。


「でも、普通だよね?」

「そんなことないよ、他の男子は怒られるのが嫌で真遊の所為にしたもん」


それはたまたまだ。僕だって一緒にふざけていた男子の輪にいたら、多分同じように嫌な顔をした。自分には関係ないから心配する余裕があっただけだ。


「そんなの、僕が一緒に遊んでなかったからだよ」

「そうかもしれないけど。でも真遊はうれしかったの」


言いきられて、黙る。まっすぐに見てくる笹川さんにそれ以上言葉が出ない。


美希みきちゃんは?」


笹川さんが、斉藤さんに話を振った。


「私は、席が隣だった時、一緒に筆箱を探してくれたから」


 斉藤さんと席が隣だったのは確か前の前の席だ。昼休みの後に筆箱が無くて困っていた斉藤さんに、鉛筆と千切れた小さい消しゴムを貸したのは覚えている。午前中は自分のを使っていたから何処かに置き忘れたんだろう。そう思って二人で探したけれど、見つからなかった。次の日、笹川さんが拾ったと筆箱は戻って来た。


「あれ、本当は失くしたんじゃなくて、クラスの女子に隠されてたんだよ」

「っちょ、真遊ちゃん!」


焦って斉藤さんが笹川さんを見る。気にした風も無く笹川さんは続けた。


「いいじゃない。本当の事なんだから。真遊、あの時たまたま見てたんだ。向こうは気付かれてないつもりみたいだったけど」

「えーと、なんで?」


 ここまで聞いたら理由はなんとなく分かる気がした。そういえば二人とも男子とは良く話しているが、女子と遊んでいるのをあまり見た事がない。昼休みは僕の方が校庭に出てしまうから、女子がどうしているかなんて気にした事もなかった。


「しょうがないよ、真遊も美希ちゃんもクラスの女子に嫌われてるから」


さして気にした様子もなく笹川さんが言う。斉藤さんは少し眉を寄せた。


「平気なの、二人とも?」


訊いたってどうにもならない。でも思わず漏れた言葉に笹川さんがにっこりと笑った。


「最初は平気じゃなかったけど、今は美希ちゃんがいるから平気」


笹川さんの言葉に、斉藤さんは目を丸くして、それから照れくさそうに笑い返した。

 どうやらここでも僕の予想は外れていたみたいだ。僕は二人は仲が悪いものだと思っていたのに、逆だった。それどころか僕は二人がクラスの女子に避けられている事にすら気付かなかった。本当にびっくりするほど僕には何にも見えていない。


「やっぱり空くんは優しいね」

「ふあ、なんで?」


たったいま自分のダメさを思い知ったばかりだ。笹川さんの言葉に間の抜けた声が漏れる。それにくすっと笑って、今度は斉藤さんが続けた。


「私達が女子に嫌われてるって知って心配してくれたでしょう?」

「え、いや、別に。ただ、そういうの辛いだろうなって思ったから」


 昨夜、夢の中で泣いていた兄ちゃんが頭を過る。僕は苛められたり嫌われたりした経験はないけれど、あの小さい兄ちゃんを見たらどれだけ辛かったかは伝わってきた。周りの人が理解できない兄ちゃんの行動は、無視されたり避けられたりする原因ではあったかもしれない。でも兄ちゃんが辛い思いをしなければならない「理由」にはならないと思う。

 それと同じで、笹川さんと斎藤さんにはクラスの女子の気に障る何かが有ったんだろう。でも筆箱を隠す程の嫌がらせを受ける理由があるようには思えなかった。僕はここしばらく毎日のように二人と過ごしている。面倒臭いけれど、でも嫌いではない。二人が本当に嫌な性格をしていたら、僕は一緒に帰ったりしない。


「僕は何にもしてないよ」

「何にもしてなくても、その気持ちが嬉しいんだよ」


そうだよね、と斉藤さんが笹川さんを見る。笹川さんも頷いた。


「だから真遊たちは空くんが好きなんだよ」


そんな優しさや思いやりを発揮した自覚がない僕は、上手く返事が出てこない。


「うんと、なんていうか、ありがとう?」


 とりあえず何か言わなくちゃと思ったら良くわからないお礼になってしまった。今まで二人は僕に興味なんてないと疑っていた自分が恥ずかしい。興味がなくて何も知らなかった、気付かなかったのは僕の方だ。やっぱり僕には知らなくてはいけない事がまだたくさんあるみたいだ。

 ふと、話に夢中で立ち止まっていたのに気付く。


「帰ろっか」


一歩踏み出して、笹川さんと斉藤さんを振り返ると、二人とも大人っぽく綺麗に笑った。その顔になぜだか心臓が跳ねる。なんだこれ、なんだこれ。よくわからないけれどすごく恥ずかしい。熱を持った顔を見られたくなくて速足で歩きだす。


「わ、空君。ちょっとまって」


後ろで女の子達の楽しそうな声が聞こえる。追いつかれる前に顔の熱を冷まさなければいけない。ぶんぶんと頭を振っていると、後ろから笹川さんの声が聞こえた。


「やっぱり、今日の空くんちょっと変だね」


斉藤さんが同意する声も聞こえる。本当に今日の僕はちょっと変みたいだ。二人の方が僕よりよっぽど大人だったみたいだ、と息をついた。



「ただいま」


 いつものように池のほとりで挨拶をする。大きな黒い体が水面を滑るように近づいてきた。日の光でときどき鱗がちらちら光る。水さえなかったらその大きな体に抱きつきたい。それぐらい僕には驚く事ばかりだった。

 兄ちゃんの事、女の子達との話、他の人には言えないけれど、あけ緋にだけはすらすらと口が動いた。あけ緋は時々体を動かして、聞いてるよ、と伝えてくれる。直接話が出来ないのはやっぱり少し残念だけれど、僕とあけ緋の間には確かに「会話」が成立している。そのことにようやく気付いた。それで充分だ。


「ねえ、あけ緋。帰ったら、ちゃんと兄ちゃんに謝るよ」


水面を覗きこむと、あけ緋は流れるように池の真ん中まで泳いでいった。それから弓のようにしなやかに跳ねあがる。午後の陽光に派手な水音と水しぶきが花火のようにきらきらと舞った。言葉が無くてもわかる。あけ緋は僕を応援してくれている。


「ありがと!」


あけ緋に向かって叫んで、僕は家に帰るために走り出した。

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