第10話 昼下がりの空 -1
小学校からの帰り道、一緒に歩いていた
ここは
外には公開されていないけれど、本殿には平安時代から残る両手で抱えられる程の大きさの岩がある。名目上は、その岩がこの神社の御神体だ。「名目上」と言うのは、この神社の神様が本当は別にいるからだ。その神様が、見た目は僕とそう変わらない歳の女の子、一姫だ。
一姫は僕には優しいけれど、僕とは歳の離れた兄、
「お帰りなさい、空」
じゃりじゃりと玉砂利を鳴らして歩いていると名を呼ばれた。その声に振り返ると、箒を持ったお兄さんが社務所から出て来た。歳は二十代後半くらい。短い黒髪に切れ長の目で整った顔だち、飾り気のない服装のこの人は、見た目は普通の人間だ。ただ、その正体はこの神社の御神木の化身で、名前を
「ただいま」
染若はこの神社のもう一人の神様で、参道脇の大きな椎の木が本体だ。神社に人が少ない時にはこうして境内の掃除をしてくれたりする。一姫も染若も、産まれた時から一緒にいるから僕にとっては家族みたいなものだ。
「ちょっと、あけ
ぶんぶんと手を振ると、染若は微笑んで手を振り返してくれた。今までに染若が怒ったところを見た事が無い。多分、彼がこの神社で一番「大人の人」だ。
神社の敷地の端の鎮守の森(と、いえば聞こえはいいけれど、実際は外壁に沿ってぐるりと木が植えてあるだけだ)の脇にある池まで歩く。円い池が真ん中の小さな橋を境にふたつ並んでいる。雪だるまみたいな形だ。池には鯉がたくさんいて、橋の下で繋がっているから自由に行き来できる。その鯉達の中で、一番大きい鯉が「あけ
学校から帰ると、あけ緋のところへ寄るのが日課だ。あけ緋も僕が近づくと大きな体をするすると動かして迎えに来てくれる。池の端へと屈みこむと、あけ緋が水面から顔を出した。
あけ緋という名前なのに、その体は真っ黒だ。なんでも「あけ緋」は、この池の主に代々継がれる名で、その初代は朝焼けのような緋色の鯉だったそうだ。初代の姿を見た事があるのはただ一人、一姫だけだ。今、その名を受け継ぐ十四代目の黒いあけ緋も、初代については一姫の話でしか知らない。普段はただの女の子にしか見えない一姫は、本当に神様なんだとこんな時に思う。
「ただいま、あけ緋」
声を掛けると、黒い尾びれでぱちゃんと水を跳ね上げた。「おかえり」の合図だ。八十四年生きているあけ緋は僕よりもずっとおじいちゃんだ。そして僕の良き相談相手でもある。
「女の子って良くわかんないよね」
池のほとりで体育座りをする。最近僕を悩ませているのは、さっきまで一緒にいた
ここのところ毎日、その二人がどっちが僕と帰るかで揉める。いつも決まらなくて結局三人で帰る事になるのだけれど、揉めるくらいなら僕は一人で帰りたい。それに二人は本当は僕の事などどうでもいいんじゃないかと思う。単に張りあいたいだけなんだ。
友達にそう言ってみたけれど分かってもらえず、二人とも可愛いから良いじゃないか、と言われる。たしかに皆に羨ましがられるのは悪い気はしない。もしかしたらこれは「贅沢な悩み」ってやつなのかもしれないけれど、でもやっぱり面倒臭いのだ。
あけ緋の尾びれが励ますように水を弾く。あけ緋は僕の言葉を理解してくれている。なぜなら兄ちゃんや一姫、染若にはあけ緋が人間の姿に見えるらしい。皆が言うには、あけ緋は黒い着物で白く長い髪と長いお髭のお爺さんで、さらに一姫が言うにはあけ緋は若い時は艶やかな黒髪の美形だったそうだ。きっとあけ緋は本当に格好良かったんだろう。だって鯉の姿も堂々としていて池の中で一番格好良い。
直接話が出来なくても、あけ緋はちゃんと僕の話を聞いてくれているのが分かるのでつい口が軽くなる。それに僕の話を内緒にしてくれているようで、あけ緋に話した事が兄ちゃん達に伝わっている様子は無い。伝わって困ることはないのだけれど、なんとなく秘密にしてくれるのはうれしい。
一方的に話しをして、満足したら家に帰る。そんな僕の日課が、あけ緋には迷惑じゃないのかな、って少しだけ思う。だけど毎日僕の話に口や尾っぽで相槌を打ってくれるので、なんとなくそのまま続けている。今日も、気が済んだ僕が別れを告げると、あけ緋はぱちゃんと大きく水を跳ね上げて見送ってくれた。
「ねぇ、空くん。今日こそ真遊と帰ろうね」
「やぁよ、空君は私と帰るんだから」
授業の合間の短い休み時間、今日もまたお決まりの言い争いが始まった。このところ毎日なのでもう誰も関わろうとしない。目だけで辺りを見ると、羨ましそうに見つめる一部の男子や、少し迷惑そうな女子のグループもいる。
男子に人気があるだけあって、笹川さんも斉藤さんも美少女だ。笹川さんは綺麗な茶色い長い髪で目がぱっちりした可愛い系の女の子だ。斉藤さんはショートカットの黒い髪で可愛いと言うよりは美人って感じだ。
「どうせ同じ方向だし、皆で帰ろうよ、ね?」
放っておけばいつまでも続くので結局僕が間に入る。これがいつものパターンなんだからいちいち揉めないでほしい。一度、どちらとも付き合うつもりはない、と伝えてはみたけれど、僕に好きな子がいないんならいいでしょ、と押し切られた。今、好きじゃなくても一緒にいれば好きになるかもしれないよね、というのが彼女達の言い分だ。あまりにもポジティブすぎる発言だけれど、たしかにその通りなのでつい納得してしまった。
僕だって二人の事は可愛いと思う。言い寄られて悪い気はしない。そしてそのまま今に至る。もしかして僕って流されやすいんだろうか。嘘でも好きな人が出来た、と言ってみたら良いかとも思ったけれど、やっぱり嘘をつくのは気が引ける。でも毎日二人を宥めるのも疲れる。どうしたものかと溜め息をついた。
「じゃあ二人とも、また、明日ね」
学校からの帰り道、家の近くの十字路で別れを告げた。僕が手を振ると二人も同じように手を振る。仲が良いとは言えない二人が、僕が抜けた後にどうしているのかは怖いので聞いた事は無い。多分仲良くはしていないだろう。
小走りで角を曲がって赤い鳥居をくぐる。参道を外れ、あけ緋の居る池を目指した。そこには珍しく先客が居た。兄ちゃんだ。池に向かって何か話している。たぶんあけ緋と話しているのだろう。僕から見ると一人で空中に向かって話しているアブナイ人だ。池は参拝客からは見えないので、そうそう気付かれることは無いけれど。
「おかえり、空」
「ただいま」
玉砂利を踏む音に気がついたのか、兄ちゃんがこちらを向いた。大学生の兄ちゃんはいつもはこの時間は家にいない。出掛けるときは大抵コンタクトなのに、今は細いフレームの眼鏡を掛けている。
「兄ちゃん、学校は?」
「休み」
「いーなー、羨ましい」
いいだろ~と大人気なく笑う兄ちゃんに口を尖らせる。
「あけ緋も、おかえりってさ」
兄ちゃんが池の上、僕には見えないけど、を見て言う。水面にはあけ緋の姿が見える。でもいつものぱちゃんという水音は聞こえない。僕にはわからないが、やっぱり兄ちゃんにはおじいちゃんのあけ緋が見えているのだ。
「なんかずるい」
「何が?」
僕の呟きに兄ちゃんがこちらに視線を落とした。
「僕だってあけ緋と話したい」
「なんかあけ緋に訊きたい事でもあるのか?」
兄ちゃんが僕と池の上、多分あけ緋の顔、を交互に見る。その何気ないしぐさにすごく腹が立った。
「そうじゃないよ! 僕があけ緋と話したいの」
だけど何も見えないし、聞こえない。同じ血が流れている筈の兄ちゃんには僕に見えないものがたくさん見える。兄ちゃんが「見えない何か」と話しているときはいつも楽しそうだ。なんかそれってずるい。
「それは、どうにも出来ないな」
兄ちゃんが少し困ったように言う。
「ずるい」
ふつふつと湧いてきた怒りに、兄ちゃんを睨む。その時、ばちゃんと大きな音がした。同時にあけ緋が尾で跳ね上げたらしい水が頭に掛った。前髪からぽたりと雫が落ちる。
「お、おい、あけ緋?」
兄ちゃんが驚いたように言った。その声にあけ緋がわざとそうしたのだと気付いて、すごくすごく悲しくなった。
「あけ緋も兄ちゃんの方が良いんだ……」
じわりと涙が浮かぶ。でも二人の前で泣くのは嫌で走り出した。後ろで兄ちゃんが僕を呼ぶ声が聞こえる。それには無視をして袖で顔を拭った。
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