第6話 黒猫オンライン -3
「やっと終わった……」
店の外で伸びをする。よくわからない話に二時間も付き合うのは本当に辛い。肩を落とすと、ちょうど店のドアから出てきた『まお』と目があった。
「まおさんは二次会行くの?」
「ナリミヤさんは行きますか?」
「いや、俺はもう帰るけど」
さすがにこれ以上誤魔化しきれる自信は無い。首を振った青を見て、少し考えた『まお』は、帰ります、と言った。二次会に行く面々に手を振って駅へと歩き出す。
「ねぇ、」
「あの、」
なんとなく連れだって歩いていた青と『まお』が、お互いに話しかけたのは同時だった。タイミングの良さに青が吹き出すと『まお』もつられて笑った。笑いが収まって『まお』が俯く。髪から覗く耳がうっすらと赤い。
「俺のだったらなぁ」
思わず零れた小さな呟きに『まお』が顔を上げる。聞き取れなかったのか、訊き返してきた少女に慌てて手を振った。
「いや、なんでも。それよりさっき何か言いかけたよね。お先にどうぞ」
「あ、はい。えっと、ですね、今日は本当にありがとうございました。来るまでちょっと怖かったんですけど、皆さんいつもと同じように優しくて楽しかったです」
「そう、楽しめたんなら良かった。でも俺はお礼を言われるような事してないよ」
「でも私、ナリミヤさんが行くって言ってくれなかったらきっと来られなかったから」
嬉しそうに微笑む『まお』に、笑い返そうとして止めた。急に真顔になった青に『まお』が困惑した表情を浮かべる。怖がらせないように笑顔を取り繕って、青は手招きをした。
「ちょっと、寄り道しようか」
駅の構内の、やや奥まった場所にある小さなスペースに『まお』が立っている。日曜日の駅は殊更に人が多い。待ち合わせらしい人々がスマートフォンを気にしていた。『まお』は人の多さに不安げに眉を寄せている。青が自動販売機で買ったお茶を手渡すと『まお』が頬を緩めた。代金を払おうとする少女を押しとどめて、青は軽く手を振った。
「あの、怒らないで聞いてほしいんだけど」
お互いに喉を潤したのを確認して、青が言った。『まお』が不思議そうな顔をする。
「ごめん、俺、本当はナリミヤじゃないんだ」
「……え?」
呆けた返事をした『まお』に、青が頭を下げる。泣き出しそうな顔で『まお』が、どういうことですか、と小さく訊いた。
「ナリミヤは事情があって、今日来られなかった。で、俺がナリミヤに頼まれてここまで来たんだ」
「事情って……風邪、とかですか?」
「えーと、ね、そういうのではなく。あいつなんというかちょっと体に問題があって、人前に出られないんだ。あんまり詳しくは話せない。ごめんね」
「あの、私、ごめんなさい! やっぱり私のせいでナリミヤさんを困らせたんですね」
零れ落ちそうなほど涙を溜めて『まお』が頭を下げた。青の告白をあまりにも深刻に受け止めてくれた少女に、嘘は言ってないぞ嘘は、と思うもののちくちくと罪悪感が胸を刺す。
「あー大丈夫大丈夫。命に関わるとかそういうのじゃないから。それに、ナリミヤも迷惑とか思ってないよ、本当に」
重い空気を払拭するため、軽い調子で返す。『まお』に顔を上げるように促して、視線を合わせた。
「あのね、ナリミヤが言ってたよ。学校も大事だけど世の中にはもっと広い世界があるよって」
『まお』は一瞬驚いた顔をして、その後溜まっていた涙が流れだした。次々と筋を作っていくそれに、青が慌てる。周りの数人は『まお』の様子に気づいたらしく青に冷たい視線を向けている。
「す、すみません、なんか、涙、止まんなくなっちゃって」
たしか今日はハンカチを持っていたはずだ。青はポケットをまさぐるが見つからない。オロオロしていると、突然足元に黒猫が現れた。鼻先を『まお』の足に甘えるように擦りつける。その感触に気づいた『まお』が目を瞬かせた。
「こんなところに、猫?」
困惑する『まお』に猫がなぁごと一度鳴く。触ろうとした『まお』の手をすり抜けて、軽快な足取りで猫は遠ざかった。人波の中で、猫は一度振り返って尻尾を軽く振る。バイバイ、と言うようなそのしぐさに『まお』は手を振って見送った。
「涙、止まったみたいだね」
「はい、なんかびっくりしてひっこんじゃいました」
ほっとした青に、『まお』はすっきりした顔で返した。バッグから取り出したハンカチで顔を拭って『まお』は青を見る。
「ナリミヤさんに、ありがとうございましたって伝えてください。それと、お友達さんもありがとうございました。あの、よかったらお名前教えてください」
「青」
「アオイさんですね。じゃあ、アオイさんもありがとうございました」
「どういたしまして。あ、でもナリミヤには直接お礼を伝えたらいいよ」
「そうですね、後で連絡します」
本当にありがとう、ともう一度深々と頭を下げて、『まお』が駅の雑踏へと消えていく。手を振って見送り青も歩きだした。と、同時に腕を掴まれてバランスを崩す。つんのめった体をなんとか持ち直して、掴まれた方へと顔を向けると一姫がいた。
「せめて改札まで見送るくらいしたらどうだ。気の利かない男だの。そんなだからお前はモテんのだ」
「おま、いきなり出てきて言うことはそれか? 今、なんとなく綺麗に纏っただろ。少しは余韻に浸らせろよ」
思わず大きくなった声に周りの人間が振りかえる。女の子を泣かせていたと思えば今度は着物の美少女と喧嘩をしている。待ち合わせの人々の恰好の暇つぶしにされている自分に気づいて、青は口を噤んだ。一姫の手を掴んで歩き出す。こっそり様子を見るどころか、明らかに青を目で追っている人もいる。
怒ればいいのか泣けばいいのかよくわからない緊張で顔に熱が上る。確実に耳まで赤くなっている。青は今しがた別れたばかりのあがり症の少女の気持ちが今なら理解できる気がして、心から幸あれと願う。改札を通るためICカードを取り出そうとしたジーンズのポケットから、今更ながらハンカチが見つかった。
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