第5話 黒猫オンライン -2

 ファミレス、と言うには少々値段が張り、上等なレストランというには少々チープなイタリアをイメージした店内は、昼時をやや過ぎているにしては客足は多い。ざわざわとどこか気の早る空気が漂っている。その店内の騒がしさの半分を担っているのは今現在 あおいが座っているテーブルの集団で、青は落ち着かない気分で他のテーブルの客を目で追った。

 青の心配をよそに、日曜日の新宿で静けさを求める人間などそうはいないようで、誰もこちらを気にした様子はない。なんとなくほっとして、青は目の前に置かれたトマトのパスタをつついた。味は悪くはないが明らかにアルデンテを通り過ぎている。不味くはないが美味くもないそれをフォークに巻いていると、隣の席から声が掛った。


「ナリミヤくんって、ネットではすごく元気なのに、なんだかおとなしいねぇ」


先ほどの自己紹介では『ミコ』と名乗っていただろうか。三十代と思われる女性が人好きのする笑みを浮かべている。


「いや、えーとなんかちょっと緊張して」


青はぎこちないながらも笑顔を作る。納得したのか『ミコ』は笑みを深くした。

今、青が『ナリミヤ』という人物として参加しているのは、黒猫の飼い主で構成される『黒猫の会』のオフ会だ。なんと猫又の成宮は、SNS上で『ナリミヤ』という人間として『なる』という名の黒猫を飼っているという設定になっている。


「ナリミヤくんちのなるちゃんて本当に可愛いよね~」

「そ、そうですか、ありがとうございます」


引きつった顔で礼を言う青に『ミコ』が不思議そうな顔をする。当り前だ、猫又の成宮は存分に人間に媚びたポーズで自撮りをしてその写真を『なる』としてSNSに載せている。可愛く「見える」ように計算しているのだ。

 固まった顔をほぐそうと青が頬に手を添えると、他の人に呼ばれた『ミコ』が軽い挨拶を残して顔を逸らせた。青は内心で胸を撫で下ろす。

 あらためて向かいの席の右から二番目の少女に目を向けた。長い髪にうつむきがちの顔は大人しい性格を想像させる。ただ地味かと言われれば、パステルカラーの可愛らしい服がよく似合っていてどちらかといえば可愛い印象が強い。その彼女が、今回青がオフ会に紛れ込むに至った原因だ。

 『まお』と名乗った少女は高校二年生で、今は都内の高校に在籍している。飼い猫の名前は『ミミ』。メスの美猫。これが黒猫の会のメンバーが知る彼女の情報だ。


「ねぇ、ナリミヤさん。何見てるんですかぁ?」


 正面に座る女性からの声に青は意識を向ける。年齢はおそらく青より少し上で、首元が大きく開いた服を着ている。化粧は濃いが顔立ちがはっきりした美人だ。たしか『ミーナ』だったか。一応、オフ会にもぐりこむ下準備として、参加する人間の情報は成宮から聞いていた。成宮曰く、彼女は時々空気を読まない発言をする要注意人物だ。


「見てるっていうか、ちょっと考え事を」

「へぇ、何考えてたんですか?」


青の返事に上目使いで乗ってくる。出来れば早急に話を終わらせたかったが、質問されてしまったので青は理由を探して目を泳がせた。


「一番右端の人は誰だったかなぁって」

「ああ、えっと、ケイさんですよ。なんか意外ですよね、もっとおじさんかと思ってたけど、若いですよね~」


そう思いませんか、と同意を求められたものの、代理参加の青には個人の印象など有るはずもない。その後も彼女から話しかけられたが、なんとなく相槌を打って話を濁していると、明らかに機嫌を損ねたようだ。彼女は青との会話を打ち切り他の人と話しはじめた。

 騙している罪悪感に心の中ですみませんと念じ、『まお』に視線を戻す。彼女は隣の人間に声を掛けて席を立った。まだ終了の時間では無いから、おそらく洗面所だろう。青は少し時間をずらして席を立った。


「あれ、ナリミヤくんどうしたの?」


青が椅子を引いた音に、隣の『ミコ』から声が掛る。


「ちょっと、コンタクトずれたみたいで直してきます」

「大丈夫? 気をつけてね」


わざと何度か瞬くと、『ミコ』が手を振って見送ってくれた。



 洗面所は店の奥まった場所にあった。客席の喧騒もだいぶ遠く聞こえる。ヨーロッパの家をイメージしたらしく通路の壁は白塗りで床は石畳だ。少なくとも客席の並ぶホールよりはイタリアの雰囲気が出ている。

 木製のドアから出てきた少女と目があった。『まお』は一瞬考えるように眉を寄せ、すぐに俯いてしまった。その態度に気後れして口籠る。しかし彼女が『まお』で間違いないはずだ。


「ええっと、まおさんだよね」

「は、はい。ナリミヤさんですね。こんにちは、あ、いえはじめまして」

「あ、いやこちらこそはじめまして」


 俯いたままさらに顔を下げてお辞儀をした少女に、つられて青も頭を下げる。少女の声は明らかに緊張していて、青も余計に緊張する。もともと青は初対面の女の子に気軽に声を掛けられるような精神構造はしていない。

 挨拶を終えても俯いたままの『まお』にどう切り出すべきか考えていると、急に『まお』が顔を上げた。口を真一文字に引き結んでいる。怒っているようなその様に思わず身を引きかけると、早口で『まお』が話しだした。


「あ、あの、あの私、ナリミヤさんがオフ会に行くなら私も行くって言ってごめんなさい。もしかしてすごく迷惑だったんじゃないかってずっと思ってて、謝らなきゃって思って、それで、あの、」


だんだんと小さくなる声に比例して顔も下がっていく。最初と同じところまで俯いた顔は既に見えないが、髪の隙間から見える耳は真っ赤だ。思わず応援したくなるほど必死だ。


「気にしなくて大丈夫だよ。俺も楽しんでるし」


 本当は帰りたくて仕方がないがまさか素直に言う訳にもいかない。それに『まお』の一生懸命な姿は微笑ましくて好印象だ。自然と笑顔になって答えると『まお』は顔を上げた。


「本当ですか? 良かった! あの、私、ナリミヤさんと会えるのすごく楽しみにしてて、とっても嬉しいです」


言いきってから『まお』は慌てて口元を押さえる。赤い顔でお辞儀をして、青の横をすり抜けて客席へと戻って行った。急なことに引き留めることも出来ずに見送る。あの潤んだ瞳と、真っ赤に染まった頬はもしかしなくても、


「恋だな」


 唐突に、声が聞こえた。馴染みのあるそれに青が視線を落とすと、いつのまにか一姫が立っていた。肩には黒猫が乗っている。


「おま、なんで居るんだよ。ていうか、どこから現れた?」

「なんでも何も最初から居た。姿を消すくらいわらわには造作もない」

「は? ていうか、ついて来るならはじめから言えよ」

「言ってしまったら面白くないだろう」


一姫はにやにやと品のない笑みを浮かべる。青が脱力して壁に凭れかかると、すみません~、と成宮が申し訳なさそうに尻尾を振った。


「それにしてもお前たち仲良くなったなぁ」


一姫の肩に乗る成宮の鼻先をつつく。どう見てもただの猫だ。くすぐったいのか成宮が二本の尾を震わせる。


「こやつが自分で姿を隠すことができないと言うのでな。わらわも直接触れているものしか隠せないから不本意だが乗せてやっている」


不服そうな一姫に、本能的に何かを感じとったのか成宮の毛が逆立った。ひげもぴんと張っている。雲行きが怪しくなってきた会話に青は話を逸らせた。


「それにしてもまおちゃん、苛めで不登校になるようには見えないけどな~。結構可愛いし、服だってダサい感じじゃないし」

「そうですね。想像してたよりずっとかわいいです~」


青の言葉に先ほどまでの緊張は霧散して、へにゃっと毛を倒した成宮が同意する。

 『まお』は高校一年生の終わりに苛めが原因で不登校になり、それから学校に行っていない。加えて、極度のあがり症で外に出るのも苦痛だという。これは『黒猫の会』で『まお』と特別仲の良い『ナリミヤ』だけが知っている情報だ。


「なんで苛められたんだろう?」


青の疑問に、少し言い辛そうに成宮は目を泳がせた。


「直接の原因は、クラスメイトの女の子の彼氏さんがまおさんを好きになったことらしいですー、あがり症のまおさんはその彼とは何にも無いことを上手く説明できなかったみたいで~」

「あー、確かに可愛いもんな、あの子。でもそれ原因はあの子のせいじゃなくないか?」

「僕もそう思います~」


しゅんと悲しそうに頭を下げた黒猫に、青は思わずその背を撫でる。人語を話してもやはり猫のようで、毛並みを整える青の手に成宮は気持ちよさそうに目を細めた。


「理不尽だよな、なんか」


先ほどの『まお』の様子からして、彼女に苛められるほどの要因があるとは思えない。少なくとも青にとっては好印象だ。その呟きに一姫が口を開く。


「そんな正論が通じるようなら、はじめから苛めなど起きん。大体にして苛めなんてものは不条理で理不尽なものだ」


普段と変わらないトーンだが、眉間には僅かに皺が寄っている。けれど『まお』が消えた客席の方を一度眺めて、次に青に顔を向けた時には品のない笑みが戻っていた。


「で、あの娘、アオに惚れておるぞ? どうするんだ?」

「俺に、じゃなくてナリミヤに惚れてるんだろ」

「そ、そそそそんなことないですよぅ~、きっとお二人の思いすごしです~」

「一丁前に照れてるな、馬鹿猫」


一姫が肩の成宮に手を伸ばす。前足の下の胴体を掴まれ、ぶらんとぶら下げられた成宮が、やめてくださいよ~、と情けない声を出した。


「あ、おい、誰か来、」


 人影に気づいた青が注意を促すと、全てを言いきる前に一姫と成宮の姿が消えた。青は小さく息をついて客席に向かって歩きだす。すれ違いに入ってきた人が驚いた顔で瞬きをしている。もしかしたら一姫が消えるのを見られたかもしれない。狭い通路を会釈をしてやり過ごした。

 テーブルに戻ると『ミコ』が青の戻りが遅いのを心配していた。礼を言うと、どういたしまして、と応じてくれた。それから何人か話しかけてきたが適当に話を合わせた。とりあえず相手の飼い猫の話を振れば後は勝手に話してくれる。

 時折『まお』の様子を窺うと周りの人間と話していた。わずかだが笑顔も出ている。おそらくそれを見ているだろう一姫と成宮を探してみたが、気配を探るなどという高等テクニックが出来るはずもなく、すぐに虚しくなって止めた。

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