第4話 黒猫オンライン -1

「こんにっちは~。どなたか居ませんか?」


 ベッドで雑誌を広げていたあおいは間延びした声に顔を上げた。声のした方、開け放した窓を見やる。まともな客であれば二階の窓から入ってくるはずはない。薄いレースのカーテンの向こうに、小さくて黒い獣が透けて見えて青は再び雑誌に視線を落とした。

 父、晴一はるいちがどこからか貰ってきた各種業界の新商品が紹介されているその雑誌は、食料品から大型家電まで網羅されている。今開いているページには網戸掃除の便利グッズが紹介されていた。確かに便利そうだ。欲しい。


「ああ、居るじゃないですか~。こんにちは~」


声の主は、風で翻るカーテンをくぐって部屋に顔を出した。青を見つけて目を細める。


「いるなら返事してくださいよう~、もう」


獣は全身を黒い毛に覆われ、明るい蜂蜜色の瞳をしている。どう見てもただの黒猫だ。その猫は、よっ、とでも言いたげな様子で前足を片方持ち上げた。


「お邪魔しますよ~」


 どうして窓を開けっ放しにしていたのだろうと後悔したがもう遅い。青は深い溜め息をつく。入ってきた猫は床に座って尻尾を立てた。ふるりと震えが走り、一本の尾が先から根元まで二つに分かれた。人間の言葉を話し、尾は二本、これは明らかにただの猫ではない。


「妖怪って、家人に招待されないとその家には入れないんじゃないの?」

「そうなんですか? でも入れましたよ~」


 子供向けのアニメで仕入れた『妖怪の一般常識』を投げかけてみたが、黒猫はのほほんと返事をするばかりだ。やはり存在自体が非常識な者に人間の作った常識は役に立たないらしい。もう一度溜め息をついて青は黒猫に向き直った。


「で、何の用?」

「ご相談に来ました~。ここでは僕達の相談に乗ってくれるって聞いたので~」

「うん。断る」

「ええええ、ひっどい! まだ何にも言ってませんよ~」

「悪いけど、俺はもうあやかしの相談には乗らないって決めたんだよ」


以前、軽率に相談に応じた結果は苦い靄のように青の胸に残っている。奇跡は起きなかった。何の役にも立たなかった青にそれでも人形は礼を言ったのだ。

 青のひそめた眉に何か勘違いしたのか黒猫は怖気づいたように後退る。感情的になっている自分に気づいて青は軽く息を吐いた。


「そういう訳だから、諦めてくれ」

「えええ、待って下さい。本当に頼れるのは此処しかないんですよう~。女の子の人生が掛ってるんです。お願いします~」


相変わらず間延びした話し方だが、黒猫の言葉に必死さが覗く。小さな額を床に擦り付け、二本の細長い尾はぴんと張って震えている。


「人生だなんて、おおげさだろ」

「そんなことないです~。本当なんですよぅ」


蜂蜜色の丸い瞳がじっと青を見つめる。尾の先から始まった小刻みな震えは全身に広がっているが、目だけは逸らすことなく青に向いていた。しばし無言で見つめあい、負けを悟った青が脱力して俯いた。ずり下がった眼鏡を指先で押し上げる。


「……わかったよ。とりあえず聞くだけ聞いてやる」

「ほんに甘いのう、お前は」


 唐突に掛かった声に、青は派手に肩を震わせ、黒猫は全身の毛を立てて飛びあがった。その様子を見ながら、ドアから顔を覗かせた一姫はころころと笑う。


「何しに来たんだよ」

「暇潰しにきまっとるだろ」


何を今更、とでも言いたげな一姫に青は顔を引きつらせ、黒猫の方はまだ目を見開いたまま硬直していた。



 椅子に陣取って、一姫は珍しく話を聞く体勢をしていた。濃紺に薄紫の紫陽花柄の着物は暑くなり始めたこの時期に多少の涼を呼んでいる。床に座った青が一姫を紹介すると、黒猫が頭を下げた。


「はじめまして~、僕は成宮なりみやといいます~」

「二股の尾ということは猫又か。何年生きた?」

「えっとぉ、正確には解りませんが人間の時間で三十年くらいだと思います~」

「ふぅん、では妖怪としてはまだ大した力は無いな」

「そうです~。人の言葉を操れるようになった他に特別な力はありません~」


 細長い尾をゆらゆらと漂わせる黒猫は尾が二本ある以外は本当にただの猫だ。真っ黒な体に目だけが蜂蜜色の光を湛えている。時折鼻先がぴくぴくと動く。その艶やかな毛並みに青が手を伸ばしたくなる誘惑に耐えていると、ぽんと一姫の掌が青の頭に乗った。


「ま、詳しい話はこれにするんだな」

「おい、姫。相談に乗る気があるから話を聞いてたんじゃないのか?」

「はじめに言ったろう、暇潰しだと。それにそやつに話を聞くと言ったのはお前だ。この軽い頭はもう忘れたか」


 一姫は青の頭をぽんぽんと叩く。相変わらずの一姫に青は言い返す気力も失せて猫に向き直った。


「で、どんな話なんだ?」

「……、えっと、実はですね~」


 投げやりな青に困惑した猫は、一拍置いてから口を開いた。この成宮と名乗った黒猫は、とあるマンションの三階で飼われている。家主の五十代の男性は機械音痴の割に新し物好きで、ほとんど使われないパソコンが部屋に放置されている。成宮曰く、その男性は新しくパソコンを購入してから一週間で飽きた。ただインターネットの接続状況はそのままで、男性が仕事に行っている間に成宮がそのパソコンを使用しているらしい。


「ご主人はたいして使わないのにスマホとタブレットも持ってるんですよ~。なので最近はパソコンに触ってすらいません~。だから僕が有効活用してます~」

「有効活用って……無断だろ。まあ、いいけど。で、パソコン使って何やってんだ?」

「いろいろですけどぉ、SNSが一番熱いです~」

「それは、人として書いてるってこと?」

「そりゃそうですよぉ、世の中には僕みたいな猫はそんなにいませんもの。プロフィールに『僕は30年生きた黒猫です』なんて書けないでしょ~?」


 成宮は照れくさそうに答える。突っ込みどころは山と有ったがあえて触れるのは止めた。話の続きを促そうとしたところで一姫が青の髪を引っ張った。


「なぁ、エスエヌエスってなんじゃ?」


一姫が尋ねる。舌足らずなそれに頬を緩めると、馬鹿にされたと勘違いしたのか一姫の眉間に皺が寄る。お姫様の癇癪に付き合う気のない青は急いで言葉を続けた。


「SNSっていうのは、パソコンやスマホで文章を書いたり写真を乗せたりして、友達同士で楽しんだり、趣味の合う人を見つけたりするWebサービスのこと。ツ〇ッターやインス〇グラムなら姫も聞いたことあるだろ?」


青の説明に、成宮はパタパタと尻尾を振って付け加える。


「SNSは『ソーシャル・ネットワーキング・サービス』の略で、その目的はコミュニケーションですから、意思を伝達出来れば形は問いません。皆さんそれぞれ好みのSNSを使ってますよ~」

「ふぅん、なかなか面白そうだの。アオもやっとるのか?」


一姫の質問に、青はばつが悪そうに視線逸らせる。


「一応やってるけど。でも最近はほとんど見てない」

「アオは昔から日記の類は三日坊主だったな、そういえば」

「ほっとけ。一応半年くらいは使ってたんだよ。今はたまにしか見てないけど。っと、まぁそんなことはどうでもいい。で、それが今回のお前の相談と何の関係があるんだ?」


中々進まない話を修正して成宮に話を振る。黒猫は一度ちらりと青を見上げて頭を垂れた。


「実は、あるコミュニティで仲良くなった人でオフ会をやることになってですね……」


黒猫は窺うようにまた青の顔をちらりと見る。


「……お前、まさか」

「その、まさかです~」

「無理に決まってんだろ、断ってこい」

「僕だって断るつもりだったんですよぉ。でもどうしても断れない理由があるんです~。どうかお願いします青さん代わりに出てください~」


眉間に皺を刻んだ青に、黒猫が必死に食い下がる。一人と一匹の攻防の間で、一姫は青の頭をつついた。


「おい、コミュニティとオフ会ってなんだ?」

「コミュニティはSNS上で同じ趣味や目的を持つ人が集まってグループを作ることで、オフ会っていうのはインターネット上で仲良くなった人たちが実際に会って話をすることです~」


一姫の問いに黒猫が答える。腕を組んで考えていた一姫は確かめるように口を開いた。


「つまりSNSのコミュニティで知り合った人間と実際に会うことになったから、アオに代わりに出ろと言っているんだな?」

「大正解~」


ぱちぱちと器用に前足で拍手をしている黒猫に青の顔が引きつる。


「断る。どうやって猫が人間のオフ会に参加するんだよ。どうしても行きたいならどうにかして人間に化けて行って来い」

「無理ですよ~、あと何十年かしたら化けられるようになるかもしれませんが、今の僕にはそんな力ありません~」


 朗らかさはどこへやら、しょぼんと頭を垂れた猫に青がたじろぐ。青に非は無いはずだが、相手の可愛らしさのせいでまるで苛めているようだ。そんな微妙な空気をものともせずに、一姫は面白そうに言った。


「これは傑作! 化け猫じゃなくて馬鹿猫じゃの」

「おい、姫、別に上手いこと言わなくていいから」


青の疲れた突っ込みを軽く流して、一姫は楽しそうに一人と一匹を見ていた。

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