第3話 幸福な騎士(ナイト) -3
コツン、コツン、を通り越し、ゴツン、ゴツン、という派手な音が窓から響いてくる。間違いなく窓に傷がつく。ベッドで漫画を読んでいた
カーテンを開くと、音の源はカラスだった。真っ黒い大きな目が足元で青を見つめている。さすがに怯んだ青だが、カラスが踏んでいるものに気付き慌てて窓を開けた。ルークだ。カラスが鋭い嘴で、容赦なくルークをつつく。
「わー! ちょっと待った!」
手を出すとカラスがルークの上から降りた。とりあえずルークを拾い上げる。幸いカラスが攻撃してくる事は無かった。ルークのガラス玉の瞳からはとめどなく涙が流れている。背中には一姫の匂い袋がぶら下がっていた。
「へ、なんで? もしかして痛かった?」
人形に痛覚が有るのかは謎だが、カラスにつつかれていたなら人間であれば痛いに違いない。カラスとルークを見比べると、青の視線に気付いたカラスが羽を震わせてぎゃあぎゃあと鳴いた。もの凄くうるさい。ご近所迷惑だ。
「おい、ルーク?」
人形に訊いても黙って涙を流したままだ。困惑していると、一姫が顔を出した。
「何事だ、うるさい」
ベランダで騒ぐカラスを一瞥し、一姫がルークに近づく。それでも騒ぎ続けるカラスに、一姫が再度目を向けると、何故かカラスが黙った。くわぁ、と怯えたように声を漏らす。
「ルーク」
一姫は叱りつけるような威圧感でその名を呼んだ。ようやく顔を上げたルークを机に降ろして、青は指先で涙を拭う。
「ごめんなさい。僕の所為です。カラスさんにここまで運んでもらう代わりに、まきちゃんが元気になったら僕の目玉をあげるって約束していたんです。なのに、僕が泣いてばかりいるから目玉が曇るって怒っています」
カラスを見てルークがすまなそうに頭を下げる。
「めだまって……目玉? 何でまた?」
青が自分の瞳を指さす。他に「めだま」に該当する物は思いつかない。
「そうです。きらきらしているから欲しいって言われて」
「ああ、なるほど」
確かにルークの緑色の瞳は綺麗だ。しかし自分の目玉をあげるだなんてまるで童話の様だ。目玉のくり抜かれたルークを想像してぞっとする。ただのホラーだ。
「あー……、それなら、ちょっと待ってて」
言いおいて、青は階下へ向かう。しばらくして戻って来た青の手にはビニール袋が握られていた。中からじゃりっと硬質な音がする。
「ほら、悪いけどこれで我慢して」
ベランダのカラスの足元に袋の中身を出す。ビー玉とおはじきが転がった。使わなくなって久しいが、弟の空が遊んでいたものだ。光を反射するガラス玉に目を輝かせたカラスが問いかけるように青を見る。
「好きなの、持ってっていいから」
言葉が通じたのかは不明だが、カラスは品定めをはじめたようだ。いくつか嘴で転がして、緑と、黄色と、オレンジのビー玉をより分けて満足そうにカァと鳴く。どうやら気に入ったらしい。
ビー玉に夢中のカラスはひとまず置いて、ルークへと近づく。一連のやりとりを見ていたルークは恐縮して言った。
「すみません」
「いや、いーよ別に。もうビー玉を使うこともないし。それよりなんで泣いてたんだ」
何とはなしに尋ねた言葉にルークの瞳にまた涙が浮かぶ。
「え、あ、ごめん」
一姫の呆れた視線が痛い。ようやく気持ちが逸れていたのに青は不用意に核心に触れたらしい。
「あー、とりあえず泣け。なっ」
これはもうどうしようもない。声をあげて泣きだしたルークの頭をゆっくりと撫でる。一姫は静観する事に決めたようで、ベッドの上に座り込んだ。
ルークがカラスに襲われていた驚きから脱し、ようやく冷静に回りだした頭に、青は自分の失言に気が付いた。ルークが泣く理由などひとつしかない。まきちゃんだ。そして嬉し泣きのようには見えない。だとしたら理由など訊かなくても分かりきっている。
しばらくして涙が枯れたルークが青を見上げた。俯いてゆっくりと話しだす。
「まきちゃんは手術を受けることになりました。手術の前、まきちゃんは僕を病院からお家に戻しました。それからずっと待っていますが、まきちゃんはいつまでも帰って来ません」
できれば違って欲しいと願ったが、どうやら青が考えうる限りで最悪のケースが起きたらしい。
「まきちゃんのお母さんが、夜になるといつもまきちゃんのお部屋で泣くんです。それをお父さんが辛そうな顔で連れて行きます。弟のりきくんに『まきちゃんは遠くに行った』って言います。みんなお家にいるのに、まきちゃんだけは帰ってきません、だから、」
「わかった、わかったからもういい」
青はルークを膝に乗せて、服に押し付けるように抱き寄せた。ルークが青の服にしがみ付く。鼻の奥がつんとする。まきちゃんの事が辛いのか、ルークの姿が切ないのかよくわからない。ただこみ上げるものが流れ出ないように鼻を啜る。
「まき、ちゃん、は、天国に行け、たでしょうか?」
きれぎれにルークの声が響く。はい、ともいいえ、とも言えずに青は小さな頭を見る。
「安心しろ、娘はちゃんと有るべきところへ行っている。そのための匂い袋だ」
後ろから掛った声は、いつになく優しい。振り返ると、一姫が立っていた。
「まあ、放っておいても自ずと向かっただろうが、行き先を見つけやすい様に邪気を払う香を調合しておいた」
「姫、それどういう……」
それではまるで、まきちゃんが助からないのを知っていたようだ。
「残念だが、お前が最後に来た日、濃厚な死の気配がした。本当はわらわも奇跡が起きるよう期待はしていたんだがな」
ルークを覗きこんで一姫が言う。
「そう、なんですか」
すべてを諦めてしまったようなその声が痛い。青がルークの背中を撫でると、何かが落ちた。
「あれ、これ?」
膝に散ったものを指先で拾う。どうやらルークが背負っている袋が破けたらしい。一姫の匂い袋の香料だ。さっきカラスにつつかれた所為だろう。
「ちょっと見せて」
ルークを反転させて匂い袋に手を伸ばす。まきちゃんが紐を伸ばしたのだろう。継ぎ足された長い紐でリュックサックのようにルークの背中に掛けてある。
袋の下の方に穴があった。和柄の巾着の中の、香料を入れている薄い袋が破けている。ここから零れたようだ。
「あれ?」
袋を摘んだ青が、いつもと違う手触りに声を上げた。巾着の口を緩めると、小さく畳んだ紙が入っていた。取り出して広げる。
「っ、まきちゃんから手紙だ!」
「えっ」
ルークに見せると、彼はしばらく文面を目で追ったあと、困ったように青を見上げた。
「あの、読んで貰ってよいですか」
ルークの瞳が気恥ずかし気に泳ぐ。
「え、あっ。そっか。悪い」
ひとつ咳払いをして、青は手紙を読みはじめた。
『ルークへ。手術はとても難しいそうです。何もせずゆっくりと死を待つか、少ない望みに掛けるか選ぶように言われていました。ずっと迷っていたけれどルークのおかげで手術をする勇気が出ました。ありがとう。私が死んだらルークも一緒に燃やしてもらおうと思っていました。でもルークが不思議な力を持っているのでやめました。私がいなくなったら弟の理希がお父さんとお母さんを支えられるようになるまで、ルークが二人を励ましてください。お願いします。この手紙が無駄になるように祈って。ずっと大好きだよ。真希』
終わる頃には声が掠れていた。滲みそうになる涙を必死で押しとどめる。
「まきちゃん、何で僕が手紙を書いていた事……」
「ごめん、ルーク。俺が勝手に最後の手紙に名前をつけたしたんだ」
手紙がルークからだと知らなければ、もしかしたらまきちゃんは手術を選ばなかったかもしれない。それにルークはまきちゃんの最期に付き添いたかったかもしれない。もし一緒に天国に行くことを望んだとしたら、
「ごめん、ごめんな」
青が勝手に動いた結果だ。泣いて良いわけがない。謝って許される事では無い。でもそれ以外に言葉が出ない。
「なんで青さんが謝るんですか?」
「俺がルークの名前を出さなかったら、まきちゃんは手術をしなかったかもしれない」
「ああ、言われてみればそうですね。でも一姫様は『死の気配』がしたといいました。きっと手術をしてもしなくても結果は同じなんだと思います」
「でも、」
言い募ろうとする青をルークが遮る。
「最後の手紙の後、まきちゃん僕に言ったんです。絶対に治すよ、って。なんだかとても嬉しそうでした。だから多分それで良かったんだと思います。手術を受けるって決めたのはまきちゃんです。青さんの所為ではありません」
ルークが鼻を啜る。ぱちぱちと瞬く瞳に涙は見えない。
「まきちゃんは僕に『ありがとう』って言ってくれました。それから『お願い』もされました。僕はまだここにいる必要があります」
新緑の瞳がきらきらと光を反射する。
「泣いてばかりではいけないって、わかりました。まきちゃんと青さんに僕の涙を止めて貰ったように、今度は僕がまきちゃんのお母さんの涙を止める番です」
ルークの力強い声が響く。黙って見ていた一姫がぽんっと青の頭に手を置いた。いつになく優しいその掌に自然と涙が浮かぶ。一姫が着物の裾で青の目元を拭った。
「痛い」
青が小さく言った文句に今度は軽く頭をはたかれる。一姫がふっと笑った。
「ねぇ、青さん。僕に文字を教えてくれませんか? 自分で手紙を書けるように練習したいと思います」
「うん。よろこんで」
深々と頭を下げたルークに、青は涙の残る顔で頷いた。
幸福な騎士(ナイト) 終
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