三
いよいよ、文化祭の前日がやってきた。
まだ、前日だというのに手持ち看板を持つものがひしめき合い、オカルト研究部、青汁研究同好会、地上水泳部、サッカー部に弁論部、凄い盛り上がりである。
少し進むと露店がずらりと並び、まだ販売はしていないはずなのに食欲をそそる匂いがぷんぷんと香っていた。
私はそのような盛り上がりとはうってかわって、しんと静まり返った教室で作業を行っていた。
吹奏楽部は練習が忙しく、クラスの出し物の手伝いをあまり行えていなかった。よって現在その借金をせっせと返しているところなのだ。私と同じように立花も何に使うかよく分かっていない木の板に白のペンキをぺたぺたと塗っていた。
「それで? 断っちゃったの?」
立花は私のほうを見ずに訊いた。
「うむ、私には想い人がいるからな」
「へえ、しかしお前のことを好きになってくれる子がいたとは、蓼食う虫も好き好きというか……」
私の視線に気づき、彼はそこで止めた。
私は先日の出来事をその日まで誰にも言っていなかったのだが、どうやら私は隠し事をするのが下手らしい。立花にそわそわしているのを不審に思われて詰問された結果、ついに白状してしまったのだ。無論、名前などは伏せて最低限度の情報しか話していないが。念の為、他言無用でということも言ってある。立花という男はこう見えて口が堅いのだ。
「ところで」と彼は話を転換させた。
「君の意中の女性はもう吹奏楽部のコンサートに誘ったのかい」
「い、いや」
「まだなのか! もう明日だぞ。やっぱり俺が彼女の友達に頼んでやろうか」
「結構! 私が自分で誘う。自身で誘えずして何が紳士だ」
こう偉そうなことをのたまっているが、今日まで誘えなかったのも同じく私である。
「お疲れ様ー」
その天使のような可愛らしい声と共に我が意中の彼女が教室に入ってきた。
両手に重そうなコンビニの袋を抱えており、私は彼女の細い腕が折れてしまうのではないかと心配になった。すぐさまその袋を預かった。
袋の中にはガムテープなどの作業で扱うものと我々への差し入れが入っていた。我々は彼女に感謝感激の意を示しつつ、差し入れのアイスを頂いた。
何故彼女がここにいるのか。
彼女は我々と同じように作業をサボっていた訳では無い。
二人だけでは大変だからと作業の勝手が分からない我々を手伝うために深い慈愛の心で残ってくれた聖人君主なのだ。
アイスを食べ終えた我々は黙々と作業し、あれだけ大量にあった作業はあっという間に片付いてしまった。
「ふむ、思った以上に早く終わったな」
立花は片付けをしながらこう続けた。
「二人とも、この後暇なら一緒に露店を回らないか」
大賛成である。まだ、前日なので販売は行っていないが、魔法の言葉を知っていれば文化祭の当日同様、いやそれよりも楽しむことが出来るのだ。この時間帯、明日に備えてほとんどの食材を提供する露店では練習、試作が行われている。そこで、我々が一言、美味しそうだね、と言えば、じゃあ、味見してみます? と言う具合にただ飯を食らうことが出来るのだ。
彼女も行きたい! と可愛らしく頷いて、我々は前日祭に繰り出すことになった。
我々ははじめにソフト将棋部なる部活が出している焼きそばを求めた。
私はソフト将棋部がどのような部活なのかを知らなかったので筋骨隆々のしかめ面をした店主に尋ねてみた。
「ソフト将棋部とは何をする部活なのだ?」
「将棋を指すんです」
「それでは普通の将棋部と同じではないか」
「馬鹿いっちゃいけません。うちのソフト将棋部が扱う駒は柔らかくて安全なんです」
将棋の駒が硬いからという理由でけがをしたという話は聞いたことがなかったが、私はそれ以上訊かずに焼きそばをすすった。
次に我々は立花の友人が出している綿菓子屋に向かった。
立花の友人は我々の姿を見ると大いに喜び、サービスだからと大量の綿菓子を我々に手渡した。そのため我々はバスケットボール大の綿菓子で両手が塞がれてしまった。しかし、大きな綿菓子を懸命に食べている彼女の姿がなんとも可愛らしく、私は立花の友人に感謝しなければならなかった。
さらに我々は歩き進めていくと野外ステージにでかでかと『たけのこVSきのこ総選挙』と書かれた垂れ幕がかかっているのを見つけた。
どうやら今年の文化祭の大目玉らしく、たけのこ研究会ときのこ研究会(きのこ研究会の方はきのこはたけのこよりもおいしい研究会というのが正式名称らしいが長ったらしいため、ここでは便宜上きのこ研究会と記す)を筆頭にほとんどの全校生徒がたけのこ派ときのこ派に分かれて争うイベントのようだ。前日にもかかわらず、すでに何人かの生徒が舌戦を繰り広げていた。
その様子をぼーっと眺めていると、拡声器を持った小僧が我々の目の前を通った。
小僧は「きのこ派に清き一票を!きのこは免疫力を高める効果があり云々」と選挙演説をしていた。
すると後ろの方から屈強な男たちが走ってきて小僧を滅多打ちにしてしまった。
どうやら過激派のたけのこ一派らしい。たけのこ一派は小僧から拡声器を取り上げると「きのこなんかにだまされちゃあいけません。あれはほとんどが毒です」と言いながら、きのこヘイトスピーチをしつつ歩き去って行った。
あなおそろしや、あのような団体と付き合ってもろくな事はない。我々は逃げるようにその場を立ち去った。
少しして、立花は後輩から緊急の連絡が入ったと言って去って行った。
立ち去る際に私の方をみて両目をつむった。
おそらく、ウィンクをしたかったのだろうが、彼は昔から片目だけをつむることができない人間であった。しかし、私のためにこの二人きりの状況を作ってくれたのだろう。なんと気が利く男だ。後でラーメンでも奢ってやらなければなるまい。
こうして私は立花の助力によって憧れの彼女と二人きりといった願ってもない状況になった。彼女は私と二人きりの状況になって嫌な顔をしていないだろうか、もしくは喜んでくれやしないだろうかと彼女の顔を盗み見たが、彼女は変わらず無邪気に、あれ可愛い! とよくわからないきのこ頭で紫色のキャラクターを指して笑うのだった。
彼女が可愛いと言っていたキャラクターは射的屋に飾ってあった。
私たちが射的屋の目の前を通り過ぎると射的屋の店主がやってく? と声を掛けてきた。
我々が今やってしまうと明日の分の景品がなくなってしまうのではないか、それとも今は落としても景品はもらえないのか、と訊くと店主は後ろを指した。見ると先ほどの紫色のキャラクターがずらーっと並べてある。
「これ、去年の先輩が誤発注しちゃって大量に余ってんの。だから前日祭でお試し用の景品にしてんのよ。本番はこれとは別にちゃんと豪華な景品を用意してるよ」
成程、それならば、と彼女と私は射的を行うことにした。
彼女は早々に弾を打ち尽くしてしまい、悲痛の声を上げていた。どうやらかすりすらしなかったらしい。
そんな容姿を横目で見ていた私は彼女にいいところを見せなければと闘志を燃やした。しかしやってみるとこれがなかなか難しい。弾が思った軌道を描かず、あさっての方向に着弾してしまう。
私も弾を浪費していき、いよいよ最後の一発となってしまった。ここで外すと私は彼女にまたもや情けない姿をさらしてしまう。それだけは避けなければ。
そのとき、私の後ろで「頑張って!」という声援が聞こえた。
意中の女性に応援されて結果を出せなければ男が廃る。
私は狙いをつけ、最後の一発を発射した。
弾はぐんぐんと右にそれていき、私が狙った人形の二個隣に衝突した。
そしてバランスを失った人形はふらっと真後ろに落ちた。
「おお、おめでとう。ほら景品だよ」
まぐれ当たりであったのでどうにも釈然としなかったが、私は店主から紫色の人形を受け取った。その人形はきのこ頭で唇が分厚く、私にはどうにも可愛さを感じられなかったが、彼女が可愛いというのなら可愛いのだろう。
私は彼女にその人形をあげた。
「え、本当にいいの? ありがとう!」
そう言って、キラキラと目を輝かせて喜んだ。
それ以降の彼女は非常に上機嫌だった。その人形を抱えて鼻歌を歌い、人形を眺めてにんまりと笑った。私は彼女の寵愛を受けているその人形に嫉妬心を燃やしたほどだった。
しかし、そうこうしているうちにとうとう前日祭も終わりに近づいてきた。あたりは薄暗くなり始め、あれだけいた人はぱらぱらと撤収し、生徒会とみられる数人が明日に向けて最終確認を行っていた。
我々もそろそろ解散しなくてはならない。
しかし、私にはまだ使命が残っている。
私は明日のコンサートに彼女を誘わなくてはならない。
頭ではわかっているが、どうにも私の口はいうことを聞いてくれなかった。
そのとき、私たちの右手方向で大きな音が鳴り響いた。そして、空に大輪が咲き、あたりをぱっと照らした。どうやらどこかの馬鹿が先走って花火を打ち上げたらしい。人々が花火に目を奪われる中、私は花火に照らされた彼女の横顔に見とれた。
美しかった。
私は恋をしたのだ。私の心は彼女にいともたやすく奪われてしまったのだ。私はそのことを再び思い知らされた。
「明日のコンサート、是非来てくれないだろうか」
あれだけ鉛のように詰まっていた言葉がするりと出た。彼女は微笑んだ。
「うん、絶対行くよ!」
もしかしたら彼女を幸せに出来る人間は私ではないのかもしれない。しかし、今は夢を見てもいいだろうか。
そうして私たちは前日祭を後にした。
○
文化祭の当日は朝から吹奏楽部のステージ準備に追われていた。例の後輩とはあの一件以来話すことができずにいた。
「今日のコンサート、先輩の想い人が来るってマジっすか?」
準備の休憩中、私はあまり話したことがなかった別のパートの後輩に話しかけられた。
「なぜそれを?」
「立花先輩が言ってましたよ。部員に言いふらしていました」
立花という男は見た目通り、口が軽いようだ。通りで朝から変な目線を感じるわけだ。
「まあ、本当のことだ」
特に否定する理由もないので、私はそれだけ答えると作業に戻った。
そして、いよいよ開演十分前となった。体育館には多くの人が詰め寄っていた。
私は舞台袖から彼女の姿を探したが見つからなかった。
入り口でパンフレットを配っていた立花も戻ってきて、私を見つけると首を横に振った。
五分前。彼女の姿はまだ見えない。
「彼女、もしかしたら忘れているのかもな」
立花が私に近寄って耳打ちをした。
「それはない。彼女は約束を守る女性だ。必ず来る」
立花はさらに何かを言おうとしたが、結局何も言わずに自分の持ち場に戻っていった。
開演時間になった。彼女はまだ来ていない。
しかし、いつまでも彼女のことを考えているわけにはいかない。我々は普段は一介の学生であるが、ステージに上がればプロでなくてはいけない。観客を納得させ、満足させる義務を背負うのだ。
私はステージに上がると、指揮者が指揮棒を上げたのを確認し、深く息を吸って楽器を構えた。
一曲目が終わった。立花が司会として曲間をつなぐ。
私は彼女の姿を探した。
まだ彼女は来ていない。
そして二曲目が始まった。三曲目は私のアドリブソロがあるルパン三世のテーマだ。私はそれに備えて二曲目は口を休めていた。
彼女がなにか大きな事件や事故に巻き込まれたのではという不安が私を襲った。
二曲目が終わった。客席に彼女の姿はない。立花が再び司会として登場し、曲の紹介を行う。
そのとき、体育館の外で大きな怒声が聞こえた。そして、かすかな悲鳴が私の耳に届いた。
彼女だ、と私は確信した。
私は何もかも投げ出して彼女のもとへ行きたいという衝動に駆られた。
しかし、ここで投げ出しては観客や部員、なにより私にソロを任せてくれたトランペットパートの皆に申し訳が立たない。いや、彼女の身に危機が迫っているのならすべてを投げ出して向かうべきなのではないか。そんなことをぐるぐると考えている間に曲が始まってしまった。
曲が始まっても私のループする思考は止まらなかった。私には曲を吹ききる責任がある。しかし、もしも彼女が事件に巻き込まれてけがでもしようものなら私は私を一生許せないだろう。そもそも先ほどの悲鳴が彼女のものだという証拠もない――。
背中にパシンと強い衝撃を受けて私の思考のループは止まった。例の後輩が私の背中を叩いたのだ。私は後輩の顔を、そしてトランペットパートの顔を順に見た。
後輩は私を見て、強く頷いた。
そして、私は駆け出した。
そうだ、私は彼女を守らねばならない。私は私の心を盗んだ彼女を捕らえなければなるまい。
立花の声が背中越しに聞こえた。
「彼はルパンを見つけたようです。さあ、若人よ。盗人を捕まえるのだ!」
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