二
先日の事件以来、私は彼女と度々話せるようになった。
「おはよう」、「おはよう」、「今日はいい天気だね」、「そうだね」、そのような会話をし、私は幸せを感じるのである。
これは人類にとってはどうでもいい一歩かもしれないが、私にとっては偉大な一歩であった。しかしながら、この進歩は幸福なものであるが、ここからどうにも彼女との距離を縮める方法を見つけ出せなかった。
私は再び立花を召喚した。
「では、お前の特技を使おう」
ここで、私の特技について少々記す。
私の特技はトランペットである。両親共に音楽家であり、私は幼少の頃から音楽の英才教育を受けていた。大袈裟に聞こえるかもしれないが同学年で私の右に出る者は居ないと自負している。そういうわけで私はトランペットには大きな自信を持っているのだ。
さて、話を戻そう。
特技を使おうと言われても何をどうすればいいのか私には皆目検討がつかなかった。私のそのような様子を察してか、彼は懐から一枚の紙を私の前に出した。
成程、文化祭のチラシである。
文化祭では私の所属する吹奏楽部が体育館で演奏を行う。つまり、彼女に私の愛のプレリュードを聴かせることが出来るのだ。ちなみに立花も残念ながら吹奏楽部員である。
「お前の見せ場も用意してある」
そういうと、彼は文化祭で演奏する曲目リストを私に見せた。
この曲目リストは部員同士話し合って曲の候補を出すのだが、最終的な決定権は曲の難易度や構成なども加味して立花率いる演出係なる者達が持っている。そして、彼が私に見せた曲目リストは未発表のものなのだ。
ふむ、宝島、ルパン三世のテーマ、今年話題になったアイドルソング。定番のポップスで固められており、聴衆も退屈しない構成であろう。
「いいんじゃないか」
しかし、私の見せ場とはどういうことか、と訊こうとした時、立花はにやっとして再び懐から紙を私の前に出した。
それはルパン三世のテーマのトランペット譜であった。見ると途中に何小節にも渡るアドリブソロがあった。
ここで補足をしておくと、同じ曲であっても編曲によって何種類もの楽譜が存在する。それは簡単なものから難しいものまで様々であるが、立花が取りだした楽譜は難易度が高く、おまけに明らかにトランペットを優遇しているのだ。学生としては多くの楽曲を練習せねばならず、様々な楽器に見せ場を作りたいため、このようなトランペットを優遇した難しい編曲のものを演奏する団体はほとんど居ない。
つまり、立花は私のために、周りの反対もありながらこのような楽譜を(職権を濫用して)選んだのだ。
「いいのか」
私が訊くと立花はうむ、と頷いた。
「ただし、トランペットソロはオーディションだ。もしも落ちたらお前は彼女へのアピールの機会を失うことになるぜ。しっかり練習するんだな」
「無論、そのつもりだ」
○
その日から私は寝る間も惜しんで練習に励んだ。部室にはいつも一人残って練習をした。と思ったのだが、もう一人いた。私の後輩である。
この後輩、彼女が一年の時から私が付きっきりで教えていたのだが、元々トランペットは上手く、更に人一倍努力家の負けず嫌いであるためにめきめきと上達し、今に至るというわけである。最近遅くまで残っているのも、きっとオーディションで私の鼻を明かしてやろうという魂胆だろう。すると練習終わりに後輩がとてとてと私に近づき、話しかけてきた。
「先輩、次のオーディション、あっと言わせて見せますからね」
ほら、みたことか。
○
そうして、いよいよオーディションの日になった。
オーディションは参加者が部室前に集められ、呼ばれた順に一人ずつ入っていく。中には五名の部員がおり、それぞれ小難しい顔をしながら審査をする。一人が審査されている間、残りの参加者は部室の外にいるのだが、中で演奏している音は明瞭に聞こえるので、その音を聴き、緊張を悪化させたり、自分を鼓舞させたりする。
参加者は我が部活のトランペットパート全員、合計八人である。
では始めます、と審査員の一人が呼びに来たとき、我々は一同に身を固くした。私の順番はくじ引きの結果、最後であった。そして、例の後輩は七番目、私の直前である。
トップバッターはトランペットを始めたばかりの一年生であった。彼はがちがちに緊張し、歩く時に手と足を同時に出すというベタな展開を見せて我々を笑わせた。その緊張はどうやら良い影響を彼に与えなかったようで、ミスを連発し、部室から出てきた時にはがっくりと肩を落としていた。
二番目、三番目とオーディションは続いていき、自分の実力を出し切れたと、出てきた時に小さくガッツポーズをする者や、トップバッターの彼のようにミスを連発し、泣きながら出てくる子なども居た。
さて、ついに七番目、例の後輩の出番である。彼女は小さく息をつくと私を少し一瞥してから部室へ入っていった。
彼女が部室へ入っていってからしばしの静寂があり、いよいよ凛とした彼女のトランペットの音が聞こえてきた。
私は舌を巻いた。
まさか、これほどまでに上手くなっているとは。
彼女は難しい技巧も簡単そうにこなしており、彼女が吹ききった時には私は拍手をしていた。
彼女は満足そうな顔で出てきた。そして、私の方を見て微笑んだ。どう? 驚いた? とでも言うように。
では、先輩の威厳を見せねばなるまい。否、聴かせねばなるまい!
私は腹を決め、荘重に部室へ入った。
○
審査が終わり、しばしの審議タイムの後に我々は部室へ呼び出された。
審査員の一人が、今回は非常にレベルが高く誰を選ぶかは非常に悩みましたが云々、などとお決まりの台詞をふにゃふにゃと言い終えると、いよいよ合格者の発表である。
結果を聞き終えると各々、やっぱりなあ、だとか次こそは、だとか様々な反応を見せていた。例の後輩は口をきっと結び、俯いていた。
審査員がオーディションの締めの台詞をまたふにゃふにゃと言い終えると我々は解散となった。
部活の終了時刻となり、私は久々に早く帰ろうと楽器を片付けていると教室棟の方からトランペットの音が聞こえてきた。終了時刻に気づいていないのかもしれないと思い(部活終了時刻後は部室でしか吹いてはいけないという決まりがあった)、私は教室棟に向かった。
すると空き教室で黙々と練習する例の後輩の姿があった。私はしばらくその練習姿を眺めた。夕日が窓から差し込み、彼女の表情は逆光となって見えなかったが、音の震えから泣いていることは予想がついた。
私は控えめにドアをノックし、終了時刻になっていることを伝えた。
彼女は、すいません、すぐ片付けますね、と明るい声で答えた。
そのまま私は立ち去ろうとしたが、踏みとどまって
「オーディション、凄く上手かったな。驚いた」とだけ伝えた。
そうして、今度こそ私は立ち去ろうとしたのだが
「先輩!」
と後輩に呼び止められた。
しかし、言葉が続くことはなく、そこで途切れてしまった。
そのとき、私は彼女の顔が赤く見えるのは夕日のせいだけではないことに気がついた。我々の間をしばしの沈黙が流れ、ようやく後輩が口を開いた。
「好きです」
非常にか細く、震えた声であった。
私は予想だにしていなかった言葉に面食らい、混乱し、自身の聴力を疑った。スシです? 彼女はオーディションを頑張ったご褒美に寿司を奢って欲しい。そう言っているのだろうか。
再び後輩が口を開いた。
「好きです! 」
今度は聞き間違えようがない。晴天の霹靂である。
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