寝癖頭の少年

「そういえば、あんたと紗倉先輩ってどういう関係なんだ? 同じ中学だったのか?」


 入学式の日、朝芽野は妹の容態が悪化した為に途中で学校を早退しているから、私と木嶋以外の誰か、少なくとも上級生と会う機会はなかったはず。つまり、滝野森高校に入学してから朝芽野が紗倉と初めて会ったのはその翌日、彼が「話がある」と約束したあの日で間違いないだろう。だとすると、彼はこの高校に入学する以前から紗倉と親しかったと考えられる。

 木嶋は「恋だよ、恋」と言っていたが、果たして……。


 私の問いに、しかし彼はかぶりを振った。


「会うのはあの日が初めてなんだ。紗倉先輩と直接関係があるっていうわけじゃないんだよね」


 私は眉を寄せた。

 テーブルに頬杖をつき、天井の小さなシャンデリアを眺める彼は、眩しかったのかすぐに目を背けた。


 ふと甘い香りが漂い、ベージュのシャツにジーンズを合わせたカジュアルな格好の女性がパンケーキを乗せたトレイを持ってきた。


「お待たせしました」


 パンケーキをテーブルに置いてにこやかに微笑むと、颯爽さっそうとキッチンへ戻っていく。


「噂には聞いていたけど、このボリュームはすごいね」


 ふわふわの生地の上にたっぷりのチョコクリーム、上にミントの葉をあしらった『クロワッサン』のおすすめメニュー。そして、初めてここに来た時に彼女と食べたパンケーキ。

 両手にナイフとフォークを握りしめてトントンとテーブルを叩く彼女の姿が浮かび、頬が緩んだ。今ではもう懐かしい記憶でしかない。


「僕はね」


 と、ひとくちサイズに切ったパンケーキの上にチョコクリームを器用に乗せながら、朝芽野は言った。


「え?」


 親の期待に応えようと無理をして心を病んでしまい自殺したと、あの時紗倉は言っていた。それが虚実だとでもいうのか。

 そういえば、紗倉の姉は滝野森総合病院に勤めていたと言っていた。そして朝芽野の妹も現在、滝野森総合病院で入院中だ。それも10年間も昏睡状態だという。


千晴ちはる……妹が昏睡状態になったことと紗倉先輩の姉が自殺したこと、このふたつがどこかで繋がっている気がしてならないんだ」


 訊くと、どうやら紗倉の姉は朝芽野の妹の担当看護師だったらしい。そんな姉について何か知らないかと思い、紗倉に接触したのだそうだ。

 彼は今までもその真相を明らかにする為に独自に調査をしていた。そして、ひょんなことから私の兄と繋がりを得た。茜という妹がいることも兄から聞いていたんだとか。


 朝芽野が兄のことを知っていた訳が分かった。

 まったく世間は狭いものだ。


「あんたの過去のことは分からないけど、結果的にあんたのその経験とひらめきのおかげで七不思議も解決できたわけだから、大したもんだよ」


 褒めたつもりで言ったのだが、なぜか彼はぎこちなく目を泳がせた。


「僕さ、入学式の朝に木嶋さんが花屋から出てくるのを見かけたんだよね。その花屋ね、『蛍の花』って名前だったんだよ」

「……?」


 急に何を言い出したんだと思えば、たしか彼は木嶋が華道部に入ろうとしていること、そして家が花屋であることを見事に言い当てていた。

 顔色が良かったからとか、花の香りがしたからとか、それだけの理由で言い当てるには無理があると思っていたが、なるほどそういうことか。

 彼女の名の付いた花屋から出てきたから、花屋の娘だと推測したのか。


「あとね、植木先輩のスマホのパスワード。あれは新歓の時に植木先輩がスマホのパスワードを開くところを隣で見ていたからなんだ。その数字が、ラブカが日本で発見された年と同じだったことを覚えていた。ただそれだけなんだ」

「……あははっ」


 思わず笑ってしまった。

 顔が真っ赤になっている寝癖少年は、気まずそうに顔を伏せた。


 まったく、どこがホームズだ。これじゃあまるで道化師じゃないか。

 どこまでが彼の推理なのだろうか。いや、たしかに彼はこれは推理じゃないと言っていた。全てを見透かしているように思えた彼だが、実は思っているより普通の少年なのかもしれない。ちょっと寝相の悪い、ただの少年。


 だが、彼の仮説はひとつだけ間違っていた。


 木嶋は特別棟で人影を見たと嘘をついたと言っていたが、あれは嘘なんかじゃない。きっと、木嶋は実際に人影を見て驚いたのだ。

 だって、


『暗かったからはっきりとは分からなかったけど、髪が短かったような気がする。きっと男の人だと思う』


 れい先輩はあの時そう言っていた。

 短い髪の男。そんなの高木以外には考えられない。しかし、高木はその時植木とプールの方へ行っていたはず。いや、だがそれを確認した者は誰もいない。

 もしかして、高木は何かを隠している? それとも……。


『幽霊なんていませんよ』

『いるよ、茜ちゃん』


 れい先輩と再会した時の会話が頭をよぎった。


 まさか、そんなことがあるわけ……。

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