晩刻

「珍しいな、茜がスマホの画面見てるの」


 背後からの声に振り返ると、兄が脱いだ背広を壁にかかったハンガーに引っ掛けていた。


「びっくりした。いつの間に帰ってたんだ」


 スマホ画面を確認する。気が付けばもう午後8時を過ぎていた。


「何してたんだ? ゲームか?」

「いや、チャットだよ」

「茜がチャット……かぁ」


 ニタニタとする兄が腹立たしい。


 夕飯の準備は既に出来ている。

 サラダと煮物は冷蔵庫に、生姜焼きを乗せたフライパンには蓋をして置いている。ご飯は……あと1分で炊ける。

 兄は組んだ両手を上に伸ばして、呻き声にも似たため息を吐いた。


「お疲れさま」

「まったく、いつになったら警察のいない世界がやってくるのかね」


 犯罪がなくなる世界なんて来ない。それは兄も承知している。だが、求めずにはいられないのだ。


 ピーと機械音が部屋に鳴り響いた。ご飯が炊けた。


「飯にするか」

「おう」


 フライパンを火にかけ、生姜焼きを温めている間に兄がお茶碗にご飯を装っていく。

 食事中には聞きたくないことを、私はふと口にした。


「そういえば、今朝白骨遺体が見つかったんだって?」

「ああ、そうなんだよ。食中毒の件がまだだってのに、早急に切り上げて白骨遺体の身元を調べろって言うんだよ。まったく、身体分裂してほしいもんだよ」


 自分の兄がプラナリアは流石さすがに困る。


 白骨遺体のことを通報したのはおそらく第一発見者の朝芽野だ。

 先ほど彼から個人チャットが送られてきた。



19:38


朝芽野広夢:今朝の白骨遺体の件だけど

堂城茜:どうした?

朝芽野広夢:多分被害者は7年前から5年前の

      間に殺害されたんだと思うんだ

堂城茜:どうしてそうおもうんだ?

朝芽野広夢:昨日の増水のせいで河川敷で発見

      したけど、鞄を盗んだ彼曰く川辺

      付近の茂みの中に、まるで刈り取

      られたように雑草が生えていなか

      った部分があって、そこで半分地

      面に埋まった状態で鞄を見つけた

      らしいんだ。とすれば遺体は土の

      中に埋められていた可能性が高

      い。詳しくは分からないけど、人

      が地中で白骨化するのにおよそ

      7〜8年はかかるらしい。

      虫食いも視野に入れれば5年前に

      殺害されて埋められたとしてもお

      かしくはないと思って

堂城茜:5ねんまえっていうのはわかるけど7

    ねんまえはおかしくないか?

朝芽野広夢:どうして?

堂城茜:あんたはめんきょしょうをかくにんし

    てひがいしゃが23さいだとわかったん

    だろ?うんてんめんきょをしゅとくで

    きるのは18さいいじょうなんだからさ

    つがいされたのは5ねんまえいこうに

    なるんじゃないか?

朝芽野広夢:それはあくまで普通自動車免許の

      方でしょ。二輪車免許は16歳以上

      だよ

堂城茜:あ、そうかなるほど、もうてんだった

朝芽野広夢:それと堂城さん

堂城茜:なんだ?

朝芽野広夢:文字ボタンの上に予測変換が並ん

      でいるはずだから、それ押せば漢

      字変換できるよ

堂城茜:本当だ、知らなかった

朝芽野広夢:それでね、堂城さんに頼みがある

      んだけど

堂城茜:なんだ?

朝芽野広夢:7年前から5年前の間に滝野森市

      で行方不明になった人をお兄さん

      に調ベてもらいたいんだ。ちょっ

      と気になって



 彼自身「後は警察の仕事」だと言っていたにも関わらず、彼はまだ事件に首を突っ込もうとしている。『好奇心は猫を殺す』ということわざを知らないはずはなかろう。

 そこでふと違和感を覚えた。そして、私の背筋はゾクゾクと震え出す。


 。私は一言もそんなことは言わなかったはずなのに。


 もしかして、兄と朝芽野は顔見知りなのか?

 それを訊こうとして、そこで別の事を思い出した。


「あ、そうだった。兄ちゃん、私夜学校に行くんだった」


 箸で挟まれたご飯がぽろりとテーブルに落ちる。ぽかんと口を開く兄は丸い目を私に向けた。

 沈黙により作られた空気の通る音が耳をすり抜ける。


「え? 今から?」

「うん」

「なぜ?」

「部活動体験」

「なぜ夜に?」

「七不思議を解明するため」

「……なぜ?」


 いたちごっこが続く。

 気持ちはよく分かる。超研のしようとしていることが、そもそも謎に包まれているのだから。


「茜、大丈夫なのか?」


 兄はまっすぐに私の目を捉えた。

 私が予想していたのはその言葉である。

 事件の話を私に口外するにも関わらず、危険なことから遠ざけようとする。兄の言動にはどこか対立したものがぶつかり合っているような気がしてならない。


 10年前に病死した父はベテランの刑事だった。そんな父の背を見て育った私と兄は、ずっと後ろを追いかけていた。やがて成長し、私は興味の矛先が父ではなく母に向いた為に追いかけるのを途中でやめた。

 しかし、兄はずっと追いかけ続けている。今も亡き父に認めてもらえるような優秀な刑事を目指している。

 父に認めてもらう為成果を上げようと私を利用する兄と、たったひとりの家族である私を守ろうとする兄。私には、ふたつの兄が存在する。


 私は兄に頷いた。

 兄の目は見なかった。

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