新入部員歓迎会【3】

「じゃあ、七不思議の調査もしているのですか?」


 朝芽野が訊く。高木は険しい表情になった。


「そうなんだけどね、実はまだ確信的な事実は掴めていないんだ。というのもね……」


 高木が語るに、20年ほど前に山火事が起きて一度本校舎が炎上したらしい。幸い夏休みだったこともあり犠牲者は出なかったが、その山火事が夜に起きたという事実から、安全対策として生徒は午後6時、教師は午後8時には帰宅するように定められたそうだ。


「特別棟は無事だったんですね」


 特別棟が今も木造建築なのは、改築する必要がなかったからだ。火が移っていたのなら、木造なんて燃えやすいもので建て直すはずもないだろう。


「当時は渡り廊下が設置されていなかったから、特別棟まで火は回らなかったそうだよ」


 なるほど。本校舎と特別棟は渡り廊下のみで繋がっている。渡り廊下がなかったのならば、火の導線は特別棟までいくことはない。

 ふと、私は疑問に思った。


「そもそも七不思議で噂されている『夜』というのは何時頃を指すんですか。午後8時には教師も帰宅するのなら、噂のされる時刻は8時前ということになりますが」


 噂がされるなら、必ずそれを見た人がいる。誰かの嘘の証言でなければの話だが。


「僕も詳しくは分からないんだ。20年より前から噂があったのかもしれないし」


 確かに時間の規定がされる前、つまり山火事が起きる前に七不思議の噂が誕生したのならば『夜』というのは8時以降の可能性もある。生徒ではなく教師が体験したという可能性もあるのだから。


「いつから噂がされたのか分からないのですか?」と朝芽野。


 高木は頷く。


「僕も当時の部長から聞いて知ったからなぁ」

「その部長は誰から聞いたんだろう」

「先生だよ」


 と、中内が手をひらひらと挙げて答えた。皆が彼女に視線を向ける。


「そうなんですか?」

「うん、確かそうだよ」


 妙に曖昧な言い方で言う。


「去年、先生がこの高校に赴任してきた時にそういう噂を誰かから聞いたことがあったの。誰だったかは覚えてないけど、ほら、先生って噂好きだからね、その時すごくワクワクしていたのは覚えてる。それで超研の皆にその七不思議のことを聞いてみたんだよね」

「部長が突然七不思議の調査を持ちかけてきたのはそういうことか」


 高木が納得するように何度も頷く。


「つーかあたしは部長が言ってたの知らないんだけど」と紗倉。

「当時1年生だった君達は確かその時、林間学校に行っていていなかった気がするよ」


 紗倉が「ああ」と息を洩らした。


「4月末だったっけ。確かに林間学校に行ってた。その時に聞いたのかぁ」

「多分そうだね」


 2人が話している間にカレーを完食したれい先輩は、手を合わせて涼しい顔で「ごちそうさま」と言う。

 とうとう辛さに耐えられなくなり、私の手は既にスプーンを置いてしまっていた。眼前の深掘りの皿にはまだ半分以上カレーが残っている。


「でも夜に学校に行けないのなら調査しようもないですよね」


 朝芽野が言うと、高木が「そうだね」と淡々と返答した。


「だからね、もう最後の手段を取ろうと思うんだ」

「最後の手段?」


 高木は辺りを見回し、右手の甲を左頬に添えて静かに呟いた。


「忍び込むんだよ、夜の学校に」


 ニタリと笑う彼の口から白い歯が溢れる。

 安住は目を丸くした。心なしか顔色が悪い。


「あんた、それまじで言ってたの?」


 紗倉が呆れたようにため息を吐く。

 れい先輩は私に向けて微笑んでいた。私は思わず苦笑した。


 あの頃を、中学の頃を思い出したからだ。



 中学2年の夏休み、私達天文部はペルセウス座流星群を観察しに夜の学校に忍び込んだ。

 私達の通っていた中学には屋上にフェンスがない為、一般的に生徒は上がってはいけないことになっていた。挙句夜間申請も許されてはいなかった為に忍び込む他に方法はなかったのだ。


 屋上で望遠鏡を眺めて観察する。

 その時に私とれい先輩の2人は、他の部員から少し離れたところで寝転んで闇に染まった空を眺めていた。

 そこで彼女が呟いた言葉は、私を困惑させた。


「茜ちゃんは自分が普通じゃないって思ってるでしょ」

「そりゃあ思いますよ。誰とも話せずにいつもひとり。けど、こういう状況を作り出したのも私自身なんですから受け入れてますよ」

「あなたが過去にどんなことを経験したのかは分からないけれど、私からすれば茜ちゃんはすごく普通の女の子だよ」

「……どこがですか」

「何もかも。



 ただ私を安心させようと言っていただけだと思っていたが、今なら分かる。彼女はきっと、私とは比べものにならないくらい辛いことを経験しているのだ。

 大変な経験をしている人は沢山いる、あなただけが特別じゃない。そういった皮肉の含んだ言い方でもなかった。ただただ率直にそう感じたから、私に「普通の女の子」と言ったのだ。


 あの時の記憶は、私の中に色濃く刻まれている。

 普通の女の子なんて言われたのは初めてだったから。


「中内先生、いいんですか? 今、学校の規則に反する発言しましたよ」


 そう言いながらも、朝芽野はウズウズしている風だった。


「いいよ」


 中内は満面の笑みでそう答えた。噂好きというのはどうやら本当らしい。


「え、ええと。あの……、もしかして今夜、忍び込むつもりですか」


 木嶋の質問に高木は頷いた。

 木嶋は蒼ざめた顔を私に向ける。それもそのはず、これは遠回しに私達も参加することを示唆しさしているのだから。

 夜に忍び込むということは、その時点で2つの規則を破ることとなる。ひとつは学校に無断で忍び込むこと。そしてもうひとつは、完全下校時間外の学内活動だ。

 もしも、私達1年の誰かが口を滑らせて夜に忍び込んだことがおおやけにでもなれば、少なくとも何かしらの罰が超研に下るのは間違いない。教師である中内には特にだ。

 つまり、忍び込むという発言を私達の前でした時点で、入部せざるを得ない状況を作ったわけだ。


「どうだい? 今夜空いているかい?」


 断ったらどうなるか分かってるよね? としか聞こえなかった。


 さて、そうは言ってもこれはただの体験入部だ。断ることも可能である。恐喝するなら恐喝し返せばいいだけ。簡単な話だ。

 もう既に、私以外の皆はカレーを食べ終えて皿を流しに置いていた。私は、申し訳ないがギブアップだ。


「僕は空いていますよ。興味もありますし」


 最初に名乗り出たのは、案の定朝芽野だった。紗倉を見つめてそう言う。


「だと思った」


 紗倉はフッと微笑む。そして、皆の視線は私と木嶋に向いた。


「私……は、バス通学なので……」


 夜の学校に忍び込むということは、帰宅するのが夜中になるかもしれないということ。最終バスの時刻に間に合わなければ、こんな山奥のちんけな場所だ、最悪学校に泊まらざるを得ない可能性もあるということだ。私は自転車で通えるから問題ないが、木嶋はバス通学。そこまでのリスクを負う必要はない。


 と、その時だった。


 私の右隣に座る紗倉が突然、激しくむせ出したのだ。

 息を吸う暇も与えないほど立て続けに吐き出す咳は、異常だった。


「先輩!? 大丈夫ですか!」


 息を荒くし、ひゅうひゅうと苦しそうな呼吸をする。

 彼女の背をさするが、治まる気配は感じられない。


「紗倉さん!」

「かえでちゃん吸入器は!?」


 れい先輩が声を荒立てると、紗倉は力のない手で斜め上の方を指差した。


「部室ね? 待ってて、取ってくるから」


 そう言い残し、れい先輩は家庭科室を飛び出した。

 胸元をギュッと握りしめて、荒い呼吸を繰り返す紗倉を唖然と見つめる視線だけが、せわしく活動していた。

 俯いた顔は長い髪で隠れ、上下に揺れ動く身体が辺りに緊張感を作り出す。


「堂城さん、これを紗倉さんに」


 中内が隣の机に置かれていた紙袋を私に差し出した。それを受け取り、紗倉の肩をぽんぽんと叩いて促す。


「先輩、紙袋を」


 重く顔をあげた彼女は、目が赤く充血して涙を流していた。

 口元へ紙袋を持っていくと、紗倉は袋の口を両手で小さく絞り、中で呼吸を始めた。紙袋が膨らんでゆっくりとしぼむ。何度か繰り返すうちに呼吸の乱れが落ち着き、そこへれい先輩が戻ってきた。

 彼女が手に持っていたのは、てのひらサイズのL字型の容器だった。

 紗倉はれい先輩から渡されたその容器の先端を口に加えた。プシュッと音が鳴る。深く息を吸い、ゆっくりと吐く。

 時間をかけて呼吸を整えた紗倉は、天井を仰ぎ見る。


「治まった? かえでちゃん」

「うん、ごめんありがと」


 安堵の微笑みを見せたれい先輩の目は、すぐさま吊り上がった。


「もう! ちゃんと持っておかなきゃ駄目でしょ!」

「ごめんって」


 元の調子に戻った紗倉は私を振り返り、


「堂城さんもごめん。びっくりしたでしょ」

「あ、いえ」

「あたし、喘息ぜんそく持ちなんだ」


 と、疲れ切った顔で笑う。

 肝が縮んだ気持ちだった。

 誰からともなく、ため息の音が洩れ聞こえた。

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