私掠船の牢獄 第六話 商人の館
ズラーラたちは二頭立ての馬車に乗ってユニたちを先導した。
貧相な恰好をしている彼らがそんなものを持っているはずもなく、おそらくどこかで盗んできたのだろう。
ラクダではなく馬を使っていることが、この地がもう砂漠ではない証拠であった。
一行は三時間余りでアギルの街に入った。
例によってライガ以外の群れのオオカミたちは街には入らず、郊外で待機すべく姿を消した。
オアシス都市アギルはユニが想像していた以上に大きく、豊かな街だった。
広い大通りは石畳で舗装され、サラーム風の立派な建物が立ち並んでいる。
道端にはあちこちに屋台が出され、香辛料の利いた肉を焼く匂いが漂っている。
行き交う人も多かったが、誰もがライガを見ると驚いて道を開けてくれるので、進むのに苦労しない。
王国と違って、ここでは幻獣を見ることなどめったにないのだ。
三メートルを超す化け物じみた大きさのオオカミは、恐怖の対象でしかないのだろう。
何度か警備兵に止められはしたが、王国が発行する召喚士の身分証と幻獣の登録証は他国でも有効らしく、トラブルとなることはなかった。
ユニはライガの背中で、物珍しそうにきょろきょろと左右を見回していた。
彼女はふと石造りの大きな建物に目を止めた。高く突き出た煙突から煙を流し、路地の排水溝から湯気が濛々と上がっていたからだ。
「ねえねえ、アシーズ!
あれって公衆浴場じゃないかしら?」
きらきらした目でユニが訊ねると、彼はうなずいた。
「そうだ。
アギルの風呂はペルシア風の蒸し風呂なんだ。
別料金はかかるが垢擦り女が名物でな、香油を使ったマッサージはなかなか気持ちがいいもんだぞ……って、何でお前は泣いているんだ?」
「行きましょう!
ってか、今すぐお風呂に入るわ!」
目から溢れる涙を拭おうともせず、きっぱりと宣言したユニだったが、アシーズはにべもなく拒絶した。
「駄目だ。
まずはアディーブという商人に会う方が先だろう」
ゴードンが追い打ちをかける。
「その後で宿を探すことになるな。
お前、浴場の前にラクダとオオカミをつないで入るつもりか?
そこら中が騒ぎになるぞ」
「ええーーーっ!
でもでもお風呂がぁ……」
悲痛な声でで訴えるユニを無視して、一行はアディーブの邸宅を目ざした。
* *
アディーブは武器商人であるが、店舗を持っているわけではない。
彼が卸売商であって、武器を売る相手は一般客ではなく同じ商人だからだ。
アギルの閑静な住宅街にある彼の屋敷は、広い敷地を高い石壁で囲んでいる。
その中に邸宅と商品を保管する二棟の倉庫があった。
正面の頑丈な門の前には警備兵まで立っている。
アディーブは思い悩んでいた。
ドワーフ市は十日後に迫っているというのに、まだめぼしい傭兵が雇えていないのだ。
こうなったら傭兵なしで行くか、役に立ちそうもない素人で我慢するか、屋敷の警備のために常雇いしている警備兵を連れて行くか。
もう決断しなければならない。
「くそっ、何だって今年に限って……」
彼が一人で愚痴を洩らしていると、部屋の扉をノックする音がした。
はっきりとした音だがうるさくもない。執事であることは訊かずとも分かる。
「入れ」
主人の応えに扉が静かに開き、初老の執事が入ってきた。
アディーブは顔も上げずに問う。
「どうした?」
「ズラーラという男が訪ねて参りました。
傭兵を連れてきたと申しております」
「ズラーラ?
はて、そんな男がいたか?」
「四日前に傭兵に雇えと言ってきた若者です。
旦那様が適当な返事で断ったはずですが。腕の立つ傭兵を連れてこいという言葉を真に受けたようですな」
商人はようやく思い出したという顔をする。
「ああ、あのチンピラどもか。
あのガキでは期待する方が阿呆だが……どんな傭兵を連れて来ているんだ?」
「それが……体格のよい男が二人、見たところ経験もありそうな強者と思われます。
それに女が一人と化け物のように巨大なオオカミが一頭」
「化け物オオカミだと? 何だそれは?」
「はい、女はリスト王国の召喚士で、オオカミはその幻獣だそうです」
アディーブの表情が変わった。
「それは……。よし、会ってみよう。屋敷に通せ」
「オオカミも……でございますか?」
執事の確認に、主人はうなずいた。
「ああ、召喚士の幻獣であるならば、姿は獣でも知恵は人間に劣らないと聞く。
心配あるまい――と言うより、わしもその化け物とやらを見てみたい」
「かしこまりました」
執事は礼をして部屋を退出していった。
* *
アディーブの屋敷の門外で、ユニたちは十分ほど待たされていた。
ズラーラもその一人である。
仲間たちはアギルの街に入ったところで解散し、彼だけが残って案内をしてきたのだ。
若者はいかにも不安そうで、落ち着かない様子だった。
一方でアシーズとゴードンは悠々としたもので、ユニは「お風呂がぁ……」とぶつぶつ
やがて戻ってきた執事によって、一行はアディーブの邸宅に招き入れられた。もちろん、ライガも一緒である。
正面玄関の大きな扉が開けられ、広いホールに入ると相好を崩したアディーブが待ち構えていた。
彼はほんの一瞬、ライガの姿に驚いたようだったが、まずは型通り訪問者を代表するズラーラを客として歓迎した。
「おお、ズラーラよ。
お前は見所のある男だと思っていたが、わしの目に狂いはなかったというわけだ!
なかなか頼もしい者たちを連れてきたではないか?
さっそく紹介してくれるのだろうな」
予想外の歓待ぶりに若者はすっかりのぼせ上ったが、どうにかユニたちを商人に引き合わせた。
「この人はアシーズ、そっちの黒い人はゴードンだ。
二人ともリスト王国の人で、傭兵をやっているそうだ。
その女の人はユニ。やっぱり王国の人で召喚士だって言ってる。
俺は仲間たちと一緒にこの人たちを試してみたんだが、とてもじゃないが歯が立たなかった。凄腕だってことは俺が保証するよ」
アディーブはじっと二人の傭兵の顔を見つめ、若者の言葉は上の空で聞いていたが、何かを思い出したようにアシーズに話しかけた。
「わしは一度でも会った人間の顔は忘れないんだが、あんたら……わしと会ったことがないか?」
アシーズが笑いながら答える。
「さすがは商人だな。ああ、直接話をしたことはないが、ドワーフ市で顔を合わせているよ。
去年、俺はラシードの隊商の護衛だった。
ゴードンはヒシャームの護衛をしてたんだよな?」
ゴードンがうなずくのを見て、商人の頭の中で何かがつながったらしい。
「リスト王国の傭兵で、アシーズにゴードン……?
待て待て! 二人とも有名な傭兵隊長じゃないか!
何であんたらみたいな大物が、こんな小僧に連れられてくるんだ?
わしは夢でも見ているのか!
それに……ユニさんと言ったか?
あんたみたいな若い女が、この水牛みたいな馬鹿でかいオオカミを異世界から呼び出したっていうのか!」
ユニも苦笑いを浮かべる。
「アディーブさん、もう少し落ち着いてお話ししませんか。
それとも、しがない傭兵と召喚士に椅子はもったいないのかしら?」
商人は慌てて首を振った。
「これは一本取られた!
可愛いお嬢さんに客人に対する礼儀を教えられるとは、わしも
ささっ、どうぞおかけなさい」
* *
一行はテーブル席に案内され、サラーム教国特有のミルクたっぷりの甘いお茶と焼き菓子を振舞われた。
いずれも旅の間には味わえなかった贅沢品だ。
彼らは遠慮せずに茶と菓子を楽しみながら、王国から旅をしてきたこととズラーラたちと遭遇した経緯を説明した。
「確かにいつもの年なら、俺とゴードンはどこかの隊商の護衛を引き受けてドワーフ市に向かっている頃なんだが……。
今年は二人とも事情があって、稼ぎに出るのを中止していたんだ。
アギルに来たのは、ここにいるユニからの依頼でドワーフ市を目指していたからだ」
アディーブの顔に落胆の色が浮かんだ。
「そうか、じゃあ別の仕事が入っているってことか。
おかしいとは思ったんだ。
あんたたちみたいな有名人が自分から仕事を探しにくるわけがないからな……」
アシーズが白い歯を見せて笑う。
「そう早まるな。
さっきも言ったとおり、俺たちの目的地はドワーフ市の開かれるテバイ村だ。
あんたと同行するついでに護衛を引き受けても、別にかまわんぞ?」
「本当か!
そいつはありがたいが……いくらで請け負ってくれるんだ?」
隊長クラスの傭兵二人に召喚士、護衛としてはこれほど頼もしい顔ぶれはないが、そうなるとかなりの報酬を要求されるのではないか?
商人の頭の中には警戒の鐘の音が鳴り響いていたのだ。
「いや、俺たちはユニから十分な報酬を約束されている。
あんたから金を貰おうとは思っていないさ」
アディーブは用心深く目を細めた。
「それはありがたい話だが……それを信じて喜ぶほどわしも若くはないんだ。
あんたたち、何が望みだ?」
アシーズは肩をすくめて隣りのユニの方に顔を向けて片目をつぶってみせた。
「な、勉強になるだろう?
疑い深く用心深い。商人の鑑だな」
彼は笑顔を引っ込め、アディーブの方に向き直った。
「アディーブさん、俺たちが護衛をタダで引き受ける条件は三つだ。
まず、道中の食事や必要経費の保障。
二つ目はユルフリ川を往復する船を借りること。
三つ目は情報の提供だ」
商人は首を捻った。
「最初の条件は当然の話だ。問題ない。
だが二番目の条件は何だ?
別に大人数で行くわけでもないし、仕入れてくる武器や防具だってそう嵩張るもんじゃない。
普通の乗り合いの貨客船では駄目なのか?」
この質問にはユニが答える。
「実を言うと、私たちの仲間はここにいるだけじゃないんです。
このオオカミ、ライガと言いますが――のほかにまだ八頭のオオカミがいます。
彼らを町中に入れると騒ぎになりますので、今は郊外で待機させています。
セレキアまで群れのオオカミたちも一緒に運ばなければなりません。
そうなると、ほかに乗客がいるのでは何かと不都合が生じます。
ですから私たち全員が乗れるだけの川船を借り上げていただきたいのです」
「何と、このようなオオカミがほかに八頭もいるですと!
その獣たちも、あなたの言うことを聞くのですか?」
ユニはうなずく。
「彼らも私と会話ができますし、私の指示に従う重要な戦力です」
アディーブは喉の奥で唸り声を上げた。
「分かりました。
獅子よりも大きなオオカミが全部で九頭も護衛につくとなれば、例え
船の件はお任せください。
それで、三つ目の情報とは、どういうことですかな?」
ユニの目が怪しく光った。
「それをこれからお聞かせ願いたいのです。
今、アディ-ブさんは〝海賊〟とおっしゃいましたね?
どうして山麓のドワーフ市へ行く話に、海賊が出てくるんですか?」
畳みかけようとするユニを、アシーズが手で制する。
「まぁ待て、ユニ。
話には順番ってものがあるんだ」
彼は商人の方を振り返った。
「アディーブさん、あんたがドワーフ市に雇う護衛と言えば、ナイームとムアンマルのはずだ。
ズラーラの話じゃ、二人とも他の商人に持っていかれたそうじゃないか。
大体あんたはこのアギルの商人だ。ほかの隊商と違って直接ユルフリ川でセレキアまで下れる。
ハラル海を渡ってくるほかの隊商に比べれば、野盗に襲われる危険なんかないに等しいはずだ。だから例年、最小限の護衛しか連れて行かない。
なぜ今年に限って馴染みの傭兵をよそに取られたんだ?
なぜ代わりの傭兵を躍起になって探しているんだ?」
アディーブは上目遣いでこちらを睨んだ。
「わしとしては、その前にあんたらがドワーフ市に向かう理由を聞きたいところだがね。
鑑札を持っていない者では武器や防具を仕入れられない。なのに何故、王国民のあんたたちが、ドワーフ市に行く必要がある?
――と訊いても、どうせ答えてはくれんのだろうな。
なるほど、訳ありの身だからこそ護衛の料金はいらないということか。
いや、むしろ納得がいったぞ。
これは正当な取引だな」
商人は椅子に座り直し、卓上に身を乗り出すようにした。
「わしら商人にとって情報は命の次に大事なものだ。金よりも重要だと言ってもいいくらいだ。
今回のドワーフ市だがな、先月くらいから妙な噂が立っている。
ケルトニアの私掠船がセレキア沿岸に出没し、海賊がたびたび上陸しているという話だ」
彼はユニたちの表情を油断なく窺いながら話を進めていく。
「時期が時期だ。勘のいい商人ならすぐにピンとくる。
海賊がドワーフ市を狙っているのではないか――とな。
だが、肝心のテバイ村からは市の延期や中止の話がまったく出てこない。
だからドワーフの鑑札を持った我ら商人たちは、水面下で護衛の増員に動いていたのだ。
わしは近場にいながら、間抜けなことに情報の入手に出遅れた。気づいた時には目ぼしい傭兵は他の商人たちに抑えられていた。
――そういうことだ」
「でも、そんな危険があると分かっているなら、今年は市に行くのを中止すればいいじゃないですか?
〝君子危うきに近寄らず〟ですよ」
ユニが当然の疑問をぶつける。
アディーブはその質問を嘲笑った。
「それが出来れば苦労はないのだ。
もしドワーフ市に参加しなければ、わしらは破滅するしかないのだからな!」
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