私掠船の牢獄 第五話 腕試し

 リスト王国の南部には広大な岩石砂漠〝ハラル海〟が広がっている。

 ほとんどは岩と砂礫に覆われた不毛の地であるが、ところどころに湧き出す泉を中心としたオアシスが存在する。

 その多くはコルドラ大山脈を水源とする伏流水が湧き出たもので、山々に近い砂漠の北西部に集中している。


 これらのオアシスには当然のように人が集まり、都市に発展したところもある。

 中でも最大のオアシス都市がアギルだ。

 十数か所で泉が湧き出しているほかにも、都市の西部にユルフリ川という西海に流れ込む大河が流れており、灌漑によって豊かな耕地が広がっている。


 ハラル海南部に拡がるサラーム教を信仰する国家群(旧ナサル首長国連邦や大国ペルシニア)は、このアギルを経由して西沿岸の都市国家やケルトニアとの貿易を行っていた。

 そのため、各国とアギルを結ぶ交易路が古くから開かれ、盛んな往来がある。


 ところがリスト王国とアギルの間には、そのような整備された道がない。

 両者の間でほとんど交易が行われていないからだ。

 道がないわけではないが、それはどうにか荷車が通行可能な地帯を結んだだけのもので、曲がりくねり荒れ果てていてとても街道と呼べる代物ではなかった。


 王国は昔からボルゾ川とカシル港を利用して東沿岸諸国と交易を行ってきた。

 陸路を使う隊商も、ルカ大公国を経由して東沿岸に集積された希少な物資を運んでいる。


 逆にサラーム教諸国は、山脈を隔てた東に対立する異教徒国であるルカ大公国があるため、東沿岸諸国との交易ができないという事情があり、両者は東西に住み分ける形となっていたのだ。


      *       *


 赤城市を出発したユニたちは、変わり映えのしない風景の中を淡々と進み続けた。

 アシーズとゴードンはラクダに乗り、ユニはいつものとおりにライガの背中に揺られている。

 群れのオオカミたちは、彼らの行く先々に危険はないか偵察しながら進んでいた。


 もしこれだけの編成だったら、アギルまでは五日もあれば着いていただろう。

 しかし、このほかに二頭のラクダが曳く幌つきの荷車があった。

 それにはラクダの飼料と人間の食糧、それに大量の水が積み込まれていたのだ。


 そのため一行の歩みは遅く、アギルまでは一週間以上かかりそうだった。

 何の潤いも感じられない砂漠の光景に対し、ユニはあっという間に興味をなくしてしまった。

 何時間進んでも、日が変わっても、荒涼とした景色はまったく変わらないのだ。

 なぜアシ-ズとゴードンが、道とも言えない進路を迷わずにいられるのかが不思議だった。


『あたし一人だったら、絶対に迷子になって干からびてたわ』

 ユニは心の中で二人に感謝する。


 赤城市を出てハラル海に入った当初、荷車の遅々とした進み具合にユニはいらいらしていた。

 しかし二人の傭兵はまったく動じる様子がなかった。

 それが三日、四日と日が過ぎ、五日が経った頃、ふいにユニは気がついた。

 出発したころと比べ、明らかに一行の進む速度が上がっていることにだ。


 考えてみれば当たり前だった。

 彼らの足を引っ張っている荷車は、日を追うごとに軽くなっていくのだ。

 もうアギルへの旅も終盤に近づくと、重い水の樽は数えるほどになり、かさばる干し草の量もだいぶ減った。

 荷車を曳くラクダの足は目に見えて軽快になり、車輪が砂に埋まることもほとんどなくなった。


 そして一週間を過ぎた頃には、道が少しずつまし・・になってきた。

 岩と砂だけの風景にも、徐々に緑が混じり始めた。――アギルが近くなってきたのだ。


 旅が八日目に入ると、道の周囲には草むらや背の低い灌木が広がるようになった。

 ユニはすっかり嬉しくなって、アシーズのラクダの側に近寄った。


「ねえ、この感じだとアギルも近いんじゃないの?」


「ああ、もう半日かからないかな。

 日の高いうちにアギルに入れるだろう」


「じゃあ、じゃあ!

 アギルでお風呂に入れるかしら?」


 当たり前だが、彼らはこの八日というもの、風呂はおろか顔すら洗っていない。

 せいぜいが固く絞ったタオルで顔や体を拭くくらいだった。

 女性であり風呂好きでもあるユニとしては、もう我慢が限界に近づいていたのだ。


 幸いなことにアシーズはユニの期待を裏切らなかった。


「心配するな。アギルは水が豊富な都市だ。

 宿で風呂もつかえるし、ペルシニア式の公衆浴場もあるぞ」


 ユニはあからさまに機嫌がよくなって、跨っているオオカミに声を掛ける。

「ねえ、ライガも埃りだらけよ。

 アギルに着いたら洗ってあげようか?」


 ユニを乗せているライガは、迷惑な申し出に「ふんっ」と鼻を鳴らした。

『いらねえよ!

 大体お前は――!』


 突然ライガの首の後ろの毛が逆立った。

 ユニも瞬時に真顔になる。


「何かあったの?」


『ヨミからだ。

 この先で人間が待ち伏せをしているらしい。

 路上に四人、道の両脇に二人が隠れている』


「全部で六人か……。

 武器は持ってるの?」


『ちょっと待て』


 ライガは彼女を待たせてヨミと交信をする。

 群れのオオカミたちはかなり先行していて、ユニでは直接話すことができないのだ。


『武装しているそうだ。

 だが、ヨミの話では全員若い――まだ十代だろうと言っている。

 どうする?

 あいつらオオカミだけで始末できるが……』


 ユニはすぐさま二人の傭兵にこの情報を伝えた。

 彼らは顔を見合わせた。

 そしてアシーズが答える。


「野盗にしてはお粗末すぎるな。

 距離はどのくらいだ?」


「三キロほど先みたい」


「ふん……分かった。

 オオカミたちには手出ししないよう伝えてくれ。

 俺とゴードンだけで十分だろう。

 ユニは荷車の方の面倒を見ていてくれ」


 アシーズはゴードンと簡単に打ち合わせをすると、ラクダの腹を蹴って一行の先頭に出る。


 十分ほど進むと、情報どおり道を塞ぐようにして立っている四人の人影が見えてきた。

 いずれも手槍を持ち、腰には剣をいている。


 アシーズはユニにその場で留まるよう手で合図すると、ゴードンとくつわを並べてラクダを進める。

 待ち伏せしている者たちに近づいていくと、なるほど若い。どことなく顔にあどけなさが残っている。

 彼らは鞘を払った槍を手に、にやにやとしながらこちらを見ていた。


 アシーズとゴードンは、まったく恐れる様子もなく若者たちへ近づいていく。

 突然、その行く手にロープが張られた。

 土をかぶせていたロープを、道の脇に潜んでいた男二人が両側から引っ張ったのだ。

 路上三十センチほどに張られたロープは、ラクダの脚に引っかかり、騎乗している二人の傭兵もろとも地面に叩きつける――それが若者たちの作戦だったらしい。


 しかし、その目論見はあっさりと崩された。

 確かにラクダはロープを脚に引っかけたが、ただそれだけだった。

 そうなる前にアシーズたちは腰から短弓を取り、くるりと指で回して構えた時には、もう矢をつがえていた。

 そして二人が左右それぞれに矢を射ると、「ぎゃっ!」という悲鳴が上がった。


 道の両脇に隠れていた男たちは、一人は肩を、一人は上腕部を射抜かれて握っていたロープから手を離してしまったのだ。

 これではラクダがつまずくはずがない。


「やられたっ! 助けてくれ!」

「痛えよ、痛えよー!」


 転げまわってわめいている者たちを無視して、二人の傭兵は鞍につけていた槍を手にして一気にラクダの速度を上げる。

 ぎらりと輝く槍の穂先を煌かせ、突進してくる相手に、待ち伏せていた四人の若者は慌てふためいた。


「待てっ、待ってくれ!

 降参する! このとおりだ!」


 彼らのリーダーらしき男は武器を投げ捨て、両手を挙げた。

 ほかの三人は、そんな彼や負傷した仲間を見捨てて、全力で逃げ出した。

 だが、あっという間に巨大なオオカミの群れに取り囲まれ、悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。

 恐怖のあまりに失禁した者もいたくらいだ。


 アシーズはラクダから降りると、剣も抜かずにリーダーの男に詰め寄り、胸倉を掴んで揺すぶった。


「小僧!

 何のつもりで俺たちを待ち伏せた?

 正直に言えばよし、そうでなければこの場で皆殺しにするぞ!」


 若者はすっかり震え上がった。

「ちがっ、違うんだ!

 俺たちはただ、あんたらを試しただけなんだ!

 最初から襲うつもりなんかない! 本当だ!」


 アシーズは胸倉を掴んだ手を高く差し上げた。

 片手だというのに若者の身体が簡単に浮き、地面を離れた両足がばたばたと暴れる。


「試しただと?

 ふざけたことをぬかすと、その舌を切り飛ばすぞ!」


「ままま、待ってくれ!

 俺たちはアディーブさんに頼まれて、腕の立つ傭兵を探していただけなんだ!

 脅かしたことは謝るから、頼む! 許してくれ!」


 アシーズはやっと手を離した。

 地面に投げ捨てられた若者は、喉元を押さえ、涙目でげほげほ咳をしている。


 それを見下ろしながら、傭兵はなおも訊ねた。

「アディーブ?

 武器商人のアディーブのことか?」


 若者はなおも咳き込みながら、肯定の証にこくこくとうなずく。

 その頃には、オオカミたちに追い立てられて逃げ出した者たちも戻ってきた。

 ゴードンは矢羽根を肩や腕から生やした負傷者を路上に引きずり上げている。


「ユニ、済まんがこいつらの手当てをしてやってくれ」


 ゴードンの呼びかけに、ユニが溜め息をついて近寄ってきた。

 彼女が腰のナガサ(山刀)を引き抜くと、泣きべそをかいていた若者たちがびくっとして恐怖の表情を浮かべた。

 ユニは苦笑するしかない。


「別にあんたたちをさばいて食べようってわけじゃないから、安心しなさい。

 矢が刺さっているとこの服を裂くだけよ」


 彼女は一人を乱暴に押さえつけると、肩に刺さった矢のあたりに刃先を引っかけて服を切り、あとは両手で広げて傷口を露わにした。

 そして矢羽根を握ると、短い矢を無造作に引き抜いた。


 若者が「痛えーーーっ!」と悲鳴を上げるが、ユニはその頭を張り倒した。

「男のくせにぴーぴーわめかないの!

 短弓の矢なんて怪我の内に入らないわよ」


 彼女は背嚢を下ろして中から出した傷薬を塗り、手早く包帯を巻く。

「二、三日は化膿しないように傷薬を塗り直しなさい。

 大した傷じゃないから自然に塞がるわ」


 二人目の若者は大人しくしていたが、涙目で歯がガチガチ鳴っている。

 ユニは同じような手当てをしながら、彼に語りかけた。


「あんたたち、感謝しなさいよ。

 あの二人は腕がいいから狙ったところに当ててくれたけど、普通は鞍の上から射たらどこに刺さっても不思議じゃないのよ。

 運悪く眼を射られたら、いくら短弓でも死にかねないわ。

 ――って言うか、傭兵相手にこんな真似をしたら、殺されても文句言えないんだからね!」


 二人の若者はユニよりも背が高く図体は大きかったが、肩を押さえたり腕を握った感触は、いかにもか細く頼りない。

 腕に包帯を巻きながら、ユニはそんなことを思う。


 何と言うか、骨格がまだ未熟なのだ。

 せいぜい十五、六歳。街のチンピラに憧れる不良予備軍といったところだ。


 アシーズやゴードンは大男だが、身体の大きさとは関係なしに骨太で分厚い迫力がある。

 そういえば、マリウスも中背で細身の体型だが、やはり骨太でしっかりした大人の男という印象だった。


『なんでマリウスを思い出すのよ!』

 ユニは顔を赤らめ、心の声をごまかすように若者の背中を平手で叩いた。


「分かったわね?

 喧嘩を売る時は相手を見るものよ!」


 彼女は立ち上がって背嚢を担ぎ直すと、アシーズの方へ向かった。

 歯をむき出して威嚇する巨大なオオカミたちに囲まれた四人の若者は、すっかり戦意を喪失し、路上に身を寄せ合ってしゃがみ込んでいた。


 アシーズはリーダーらしき男を尋問しているところだった。

「アディーブだったら、ドワーフ市にはナイームとムアンマルを雇うはずだろう。

 奴らはどうしたんだ?」


 アシーズの詰問に、若者は咳き込みながらどうにか答える。


「二人ともほかの隊商に先に雇われたそうなんだ。

 アディーブさんは油断していたらしくて、慌てて傭兵を探し回っていた。

 それで俺たちが募集に応じたんだが、鼻で笑われちまった」


 アシーズも鼻で笑った。

「当然だろうな。

 ――それで?」


「お前らじゃ話にならんが、腕の立つ傭兵を連れてきたら紹介料を払ってやる――アディーブさんはそう約束してくれたんだ。

 俺たちはアギルに入る街道を張って、傭兵が通りかかるのを待つことにしたんだが、大きな道はとっくに別の奴らが居座っていて、俺たちは追い払われちまった。

 だから仕方なくこの寂れた道を見張ってたら、運よくあんたたちが通りかかったんだよ」


「それで腕試しをしようと思ったわけか……。

 小僧、お前、名前は何と言う?」


「俺? おっおお、俺はズラーラだ。

 アギルの下町じゃ、売り出し中の男だぜ」

 若者は精一杯の虚勢を張ってみせる。


「そうか、ズラーラ。

 ――で、どうだった?」


 ズラーラと名乗った若者はきょとんとした顔をした。

「どうって……何がだよ?」


 アシーズはにかっと白い歯を見せた。

「だから俺たちは、お前らの試験を合格したのかって聞いているんだ。

 二人の傭兵とオオカミ使いの召喚士だ。アディーブに紹介するのに不足はあるまい?」


 ズラーラは唾をごくりと呑み込み、声を出せぬままにうなずく。

 アシーズは満足げな笑みを浮かべて立ち上がった。


「俺はアシーズ。

 そっちの坊主頭はゴードン、女召喚士はユニだ。

 それじゃ、俺たちをアディーブのところへ案内しろ。

 お前らに小遣い稼ぎをさせてやろう。仲間の薬代にするんだな」

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