私掠船の牢獄 第七話 オアシス都市

「破滅とは……穏やかではないですね。

 理由を教えていただけますか?」


 ユニが訊ねる。

 アディーブは四人の顔を見た。

 さすがにアシーズとゴードンは商人の言葉の意味を理解しているようだった。

 だが、ユニとズラーラはまるで分っていない顔をしている。


「ドワーフ製の武器や防具は、人間の鍛冶が作るものとは比べ物にならないほど質が高い。

 切れ味が鋭く簡単な手入れさえすれば、いつまでもそれが変わらない。頑丈で折れたり刃こぼれすることもない。

 極めつけは魔力付与だ。

 ドワーフの鍛冶職人は、我々には理解できない古代文字で呪文を彫り込み、魔力を封じる技を持っている。

 そうすることによって魔法による加護が得られる。――さびを防ぐといった単純なものから、毒の無効化や敵の探知といった高度なものまで、その効果はさまざまだ」


 教師のような口調で説明しながら、彼は二人の生徒が理解しているかを表情で確認する。


「それだけに欲しがる者は多いが、恐ろしく高価な代物だ。

 だから顧客の希望に応じた数を買い付けるには莫大な資金が必要となる。

 とても一人の商人が用意できる額ではないのだ」


 ユニが首をかしげた。

「アディーブさんでも――ですか?

 この広大な邸宅や立派な倉庫を見る限り、相当の財産をお持ちだと思うのですが……」


「いいかね、召喚士さん。

 仕入れに動かせる資金は、財産とは別物なんだよ。

 確かに家屋敷から持っている宝物、美術品まで、すべてを売り払えば資金は簡単に用意できる。

 だが、それを後で買い戻そうとしても、売った額の倍はかかるだろう。

 そんな間抜けなことをする商人はいないんだよ」


 アディーブはユニに笑いかけた。

「だが、今のはいい質問だ。

 わしらドワーフの鑑札を持っている商人は、ドワーフ市のために一年をかけて顧客の注文を取る。

 ドワーフ製品に手を出せるのは、各国の王侯貴族や大富豪たちに限られる。

 そうした連中から手付として半金を集めるんだ。これが仕入れの原資となる。

 彼らの希望に合った品を仕入れた商人は、それを顧客に渡して引き換えに残りの半金を受け取る。

 それがそっくりわしらの儲けになるという仕組みだ」


「だが、実を言うとこれだけでは足りないんだ。

 市ではわしら商人が〝これは〟と見込んだ掘り出し物が出ることがある。

 これは注文品じゃないから、独自の資金で買わなければならない。

 ドワーフの方も心得たもので、こうした逸品は目玉が飛び出るくらいの値がつけられている。

 その分、売った時の利益も莫大だがな」


「当然、手持ちの資金ではとても足りないから、高利を承知で短期の借り入れをすることになる。

 ここまでは理解したか?」


 ユニとズラーラは〝うんうん〟とうなずいた。


「さて、ここで本題に戻ろう。

 これだけの準備をしておいて、今さらドワーフ市への参加を取りやめたらどうなる?

 集めた前金や借りた金を、そのまま返せば事足りると思うか?

 とんでもない話だ。

 注文に応じられなかった顧客からは、当然信用を失う。さらに彼らに対して前金を預かった期間に応じて利息を上乗せしなければならない。

 これには違約金の意味も含まれるから、高利貸し顔負けの額になる。

 借金の方も短期だから、返す時には当然高い利息を払わねばならん。

 わしが『参加しなければ破滅する』と言った意味が分かったか?

 今さら引き返せはしない。何があろうとも、わしらはドワーフ市に行かねばならんのだ!」


 そしてアディーブは溜め息をついた。

 精力に満ち溢れたやり手の商人の顔が、いきなり疲れ果てた老人のものとなった。


「リスト王国の召喚士に名の知れた傭兵隊長が二人。

 どんな理由でドワーフ市に行くのか知らないが、どうやら海賊の噂はガセではなかったということなのだな……」


 これまで黙っていたゴードンが初めて口を開いた。


「まぁ、詳しいことは言えないが、そんなところだ。

 だが俺たちの任務には、あんたたち商人を守ることも含まれている。

 そう悲観したものではないさ。

 ……ところで、アシーズは護衛の代償として三つの条件を出したが、実はもう一つあるんだ」


 商人がじろりとゴードンを睨む。

「後出しとは感心しないぞ」


「何、大したことじゃない。

 このズラーラは、あんたの言葉を真に受けて俺たちを連れてきたんだ。

 約束どおり紹介料を払ってやってくれ」


 ズラーラがぱっと顔を上げ、不思議なものを見るような目でゴードンの浅黒い顔を見上げた。


「ああ、何だそんなことか。

 もちろん、約束は守ろう。

 ズラーラ、お前はもうここにいても用はないだろう。

 わしの執事から報酬を貰って帰るがよい」


 若者は立ち上がるとアディーブにもごもごと礼を述べ、次いでゴードンにもぴょこんと頭を下げると、執事に促されて部屋を出ていった。

 扉が閉まると、商人は「やれやれ」と言いたげにユニたちに向き直る。


「市は十日後に開催だ。とにかく時間がない。

 詳しい打ち合わせなら、船の中でいくらでもできる。

 こちらの準備はほぼ終わっているが、船を手配するとなると時間が欲しい。

 出発は明後日の朝としよう。夜明けに川港で落ち合うということでいいな?」


 一同は立ち上がり、次々と握手を交わした。

 アディーブはそれぞれの肩を叩き、「よろしく頼む」「頼りにしているぞ」と声をかけていく。

 そしてユニに対しては、ひときわ明るい笑顔を見せた。


「わしも若い頃には隊商を組んで、野盗どもと渡り合ったものだ。

 久しぶりに血が騒ぐぞ。

 あんたのオオカミたちが、海賊どもを引き裂くのをこの目で見させてくれ!

 楽しみにしているぞ!」


 ユニも愛想のよい笑顔を浮かべて商人の手を握る。


「ええ、私も楽しみなんです。これでやっとお風呂に――ぎゃっ!」

 横に立っていたゴードンにお尻を思いっきりつねられた彼女は小さな悲鳴を上げた。


「風呂? 風呂がどうしたのだ?」


「気にしないでくれ、こいつは時々おかしなことを口走る癖があるんだ」

 髭面の顔を赤くしたアシーズが言い訳して、そそくさと扉を開ける。

 ユニは二人の傭兵に両脇を抱えられるようにして商人の館を後にした。


      *       *


いったいわね~!」


 アディーブの執事に見送られて門を出るなり、ユニはゴードンに食ってかかったが、彼も負けていない。


「うるせえ!

 俺たちに恥をかかせるんじゃねえよ。

 お前の頭には風呂しかないのか?」


「ええ、そうよ! 悪い?

 あたしはアディーブさんが臭いに気づくんじゃないかって、ひやひやしていたのよ」


『そうか?

 女臭さは男を誘惑するものだ。そう悪いもんじゃないぞ。

 俺は結構好きだな』


 ライガは慰めるつもりで口を出したのだが、怒りに震えるユニの鉄拳を鼻面に喰らって「キャン!」と悲鳴を上げた。


「うるさいっ!

 あんたは余計なことを言うんじゃない!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら街の中心部に戻ってきた一行は、たちまち人々の注目を浴びる。

 とにかく目立つライガを何とかしなければならない。


 三人はアシーズが何度か利用したことがあるという宿屋に駆け込んだ。

 どこの国でも一緒だが、宿屋には旅人の馬やラクダを預かるうまやがある。

 オオカミにはそこでおとなしくしてもらうのだ。

 いつものことなのでライガは文句を言わないが、決してその処遇を歓迎しているわけではない。


「本当に大丈夫なんですか?

 他のお客さんの馬が食われちまったら、責任とれるんでしょうね」


 宿の従業員が疑わしい目で馬房に入るライガを見送った。

 こうした質問には慣れっこだ。ユニは彼に銀貨と数枚の銅貨を握らせた。

「心配だったらこれで牛の片足でも買ってきてちょうだい。銅貨の方はお駄賃よ」


 従業員がほくほく顔で去って行くと、ライガはユニに釘を刺した。

『お前は風呂に入ることで頭がいっぱいなんだろうが、カシルで大怪我したことを忘れるなよ。

 街中だからといって、油断をしないことだ』


      *       *


 アギルの公衆浴場は、アシーズが言ったとおりペルシニア風の蒸し風呂だった。

 受付で垢擦り女の分を含めた料金を払い、脱衣場で渡されたタオル地の薄いガウンに着替えて女湯の分厚い扉を開くと、中は一メートル先もよく見えない湯気に包まれていた。


 しばらくしてどうにか目が慣れると、そこかしこで女客が思い思いにくつろいでいる。

 多くの女たちはガウンを脱いで全裸になっているか、上半身をはだけている。

 ユニも肌にくっつくガウンを脱いで、まずは洗い場で身体と髪を洗った。


 小さな椅子に座っているだけで、汗がだらだらと流れてくる。

 身体をタオルでごしごしこすると、一週間の汚れが蓄積した垢がぼろぼろと取れてくる。

 どうせ後で垢擦り女に洗ってもらうのだが、全裸を厭わぬ彼女にも小さな自尊心がある。

 とりあえずは恥をかかない程度にきれいにしておかなければならない。


 たっぷりの水(さすがにお湯ではない)で身体を洗い流すと、得も言われぬ爽快感が味わえた。

 それほど大きくない浅い湯船に身を浸すと、その幸福感はいや増してくる。


「これよ!

 これこそが文明人の生き方なんだわ!」


 ユニは鼻まで湯に沈めながら、この世の快楽を貪りつくした。

 十分に温まったところで、垢擦り用のベッドが並ぶ一角に行ってみる。

 受付で料金を払うと、手首に小さな木札を付けてくれ、その札の種類で受けるサービスが変わってくる仕組みだ。


 ユニは垢擦り、香油マッサージ、剃毛とフルコースを申し込んでいたので、おしゃべりしながら待機していた半裸のおばちゃんたちに歓迎された。

 腹から手足に至るまで、丸太のように逞しい垢擦り女たちに軽々と担ぎ上げられ、ベッドにうつ伏せにされたユニは、さっそくヘチマの繊維にシャボンを塗りたくったもので手荒に身体を擦られる。


「おや、あんたお尻に青あざができてるよ。

 どうしたんだい? 誰かに思いっきりつねられたみたいだけど……」

 ユニは心の中でゴードンに呪いの言葉を浴びせながら笑ってごまかした。


 陽気なおばちゃんたちは、ユニを人形のように転がしながら、全身を洗っていく。

 もちろん、口が休むことはない。

 あれこれと受け答えをするうちに、彼女がリスト王国から着いたばかりの旅人であることが明らかにされた。


「リストからのお客さんってのは久しぶりだねえ。

 リストと言えばあんた、聞いたかい?

 何でもあっちの女召喚士が化け物みたいなオオカミを連れて街に入ったらしいよ!

 ライオンの倍はありそうな獰猛な獣らしくてね、その猛獣使いの召喚士も、額から角を生やした巨人のような大女だって、もっぱらな噂だよ」


 うつ伏せになって背中を擦られているユニは苦笑するしかない。

「へえ、あたしは見てませんけど……王国じゃ召喚士も幻獣も珍しくありませんよ」


 おばちゃんは「へえ~、大したもんだねぇ」と感心しながら、ユニの身体を片手でひっくり返す。


「おや、あんたこの傷!

 まだ新しい傷だね。擦っても大丈夫なのかい?」


 それはつい二か月前、港町カシルで地元の犯罪組織が放った暗殺奴隷に襲われた際に負った傷跡だった。


「ええ、もう完全に治っているから平気です」


「そうかい?

 でもあんた、これ酷い傷じゃないか……。

 よく肩がつながったもんだねぇ。それにおっぱいにまで縫い跡があるじゃない。

 まぁまぁ、若くてきれいなお嬢さんなのに痛ましいことだねぇ。

 こんな刀傷を負うってことは、お嬢さんは兵士なのかい?

 いや、リストの兵隊さんならアギルに来るはずがないね……分かった!

 あんた傭兵だね!

 いいや、あたしの目に狂いはないよ。

 この筋肉は素人女のもんじゃないもの!

 ちょっと、あんたたち来てごらんよ」


 たちまち暇を持て余していた垢擦りのおばちゃんたちが、わらわらとユニの周りに集まってきて、ユニの傷跡や筋肉について論評を始めた。

 彼女は全裸で仰向けの態勢である。女同士とはいえ、どんな羞恥プレイだ!


 ユニは女傭兵と決めつけたおばちゃんたちの質問責めから逃れるために、必死で話題を変えようとした。


「そう言えば、ここはセレキアと川でつながっていると聞きました。

 西海岸の人たちも来られるんですか?」


 垢擦りを終え、香油を塗りこんでのマッサージを始めたおばちゃんは、気軽に返事をする。

「ああ、アギルは昔からセレキアとの交易で栄えてきた街だからね。

 特にセレキアがトルメキアに屈した時なんかは、大勢の難民が入ってきたもんだよ」


 心地よいマッサージに眠気を覚えていたユニの脳がいきなり覚醒した。


「実はあたし、これからセレキアの方に行くつもりなんです。

 何でも噂では、ドレイクというケルトニアの海賊が出没しているようなんですが、何かご存知ですか?」


 おばちゃんは首をかしげた。


「さてねえ……そんな話は聞いていないけどね?

 でもドレイクと言えば、セレキア陥落でいろいろ酷いことをした海賊だね。

 ここで働いている同僚にも、その頃に逃げてきたがいるわよ」


「本当に?

 その人に話を聞くことができますか?」


 おばちゃんは鷹揚にうなずいた。

「別に構わないよ。

 アイーシャは無駄毛ぞりの担当だからちょうどいい。

 マッサージが終わったら呼んであげるよ。

 あんたぼうぼう・・・・だもんね。

 まぁ、恥ずかしがることはないよ。リストからハラル海を渡ってきたんじゃ、ろくに水を使えなかっただろうさ。

 うちの剃刀はちょっとした名物なんだよ。それにアイーシャは腕がいいからね。さっぱりしてもらいな!」

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