第一章 私掠船の牢獄
私掠船の牢獄 第一話 ドワーフ村
都市国家セレキアの繁華街は、夕刻を迎え行き交う人々でごった返していた。
その人波を強引に掻き分けるようにして、二人の大男がとある飲み屋へと入っていった。
二人の後ろに、ひょろっとした若者がおずおずとついていく。
店の中は、外と同じくらいに混雑していた。
先に入った二人は、四人掛けの丸テーブルに一人で座って飲んでいる客を見つけ、物騒な表情と言葉で何やら脅しつけた。
空いた席にどかりと腰かけると、二人は陽気な笑いを浮かべて若者を手招きした。
「あ、あの……さっきの人は?」
彼は心配そうに追い出された先客の背中を目で追った。
「ああ? 何、構わねえよ。
こんなに混んでるのに一人で卓を占領している馬鹿には、社会常識ってものを教えてやらなきゃいけねえ。
座れ座れ!
最初はビールでいいかい?
おーい、姉ちゃん!」
頭にバンダナを巻いた大柄な男は、手を高く上げて店員の中年女を呼ぶ。
その太い腕は陽に焼けて赤く、筋肉が盛り上がっている。
男は相方と二人で酒と料理を慣れた様子で注文した。
若い男は椅子に座ったものの、落ち着かない様子できょろきょろと周囲を見回している。
まだ三月だというのに袖のないシャツ一枚の男が、その背中をバン! と叩いて豪快に笑った。
「落ち着けよ、若いの!
まさか酒場に入るのが初めてってわけでもねえだろう?」
「まっ、まさか! そんなわけないだろう!
おおお、俺だって週に三日は飲みに来るさ!」
言い返した若者の声は裏返っており、それが虚勢だということが丸わかりだった。
彼はいかにも都会風の格好をしているが、流行を真似た服は生地がぺらぺらの安物で、長く伸ばした髪も何の油で撫でつけているのか怪しいものだ。
一言で言えば、都会にあこがれて家出してきた貧乏な田舎者――その見事な見本のような若者だった。
ほどなくテーブルに運ばれてきた料理と酒を前に、若者は目を丸くした。
「す……すげえな。
なぁ、本当にいいのか?
俺、本当は――じゃねえ、今日は
後で割り勘だって言われても無理だからな」
「心配すんなよ!
俺たちの方から誘ったんだ、年上は後輩に奢るものって決まってんだ。
さあ、乾杯しようぜ」
三人は陶製のジョッキを打ち合わせてビールを
バンダナ男が「げふっ」と息をつくと、自己紹介を始める。
「俺はジョン。こいつは俺の相棒でトマスだ。
二人とも船乗りでな、セレキアは久しぶりの
俺たちは兄ちゃんみたいな
今日は出会えてよかったぜ!」
若者はビールそっちのけで、がつがつと料理を貪っていた。
普段からろくなものを食っていないことが見え見えだった。
彼は男たちから「お前も名乗れ」という目で見られたことに気づき、少しむせながら口の中の物を飲み込んだ。
「あっ、ああ。
俺はヨルゴス。生まれはテバイ村っていうちんけな村だけど、今はこのセレキアで……その、いろいろやっているよ。
そのうち一旗揚げる準備中ってとこだな」
「そうか、ヨルゴス。一旗揚げるつもりか――ああ、男はそうじゃなきゃいけねえ!
だが、テバイ村ってのはどこだい?
俺たちはこの辺の村は大抵知ってるつもりだが……そんな村の名は聞いたことがねえな」
バンダナ男のジョンが難しい顔をしてみせる。
ヨルゴスは茹でたジャガイモを口に頬張りながら歪んだ笑いを見せた。
「みんなそう言うよ。
ドワーフ村……って言ったら、聞いたことがあるんじゃないかな?」
「へっ?
ドワーフ村ってのは本当の名前じゃねえのかよ!」
袖なしシャツのトマスが目を丸くして驚いてみせる。
若者は少し得意そうな顔で微笑んだ。
「当たり前だよ!
誰が村にそんな名前を付けるもんか。
うちの村は南の外れなんだ。ドワーフが棲みついている山に一番近いってことで、五十年くらい前からドワーフ市の会場になったんだよ。
村の連中は年に一度の市のお陰で暮らしているといってもいい。
土地が痩せててろくに作物が育たないから、ドワーフの家来みたいに〝へいこら〟しているのさ。
俺はそんな暮らしに嫌気がさして、セレキアに出てきたんだ」
「偉い!」
トマスが若者の背中をどやしつけ、ヨルゴスは思わず口からジャガイモを吹き出した。
「俺も覚えがあるが、若い時は夢を持たなきゃ生きてる意味がねえからな。
だが、自分の故郷を悪く言うのは感心しねえな。
ドワーフ市ってのは年に三日しかやらねえはずだ。それに
ヨルゴスはぶんぶんと首を横に振る。
「いや、本当にそうなんだ!
うちの村じゃ一年の大半をドワーフ市の準備で過ごしているんだよ。
市は六月だけど、一月にはドワーフとの最初の打ち合わせがあるし、セレキア商人への発注打ち合わせも毎月ある。
……そうだ、今日はもう三月の十五日だよな?
二十日はドワーフ女が村に来て、屋台料理の出し物を決める日なんだ。
まだ三か月前だってのに、そうやって準備をするんだよ」
「屋台料理の出し物?
何だそれ?」
ジョンが不思議そうな顔をする。
「何だい、兄さんたち意外に物を知らないんだね?
市には大勢の人が集まるから、それを目当てに屋台でドワーフ料理を出すんだ。
毎年出す料理を変えるんだが、こいつが市の名物でその売り上げも凄いんだぜ。
今度の二十日はその料理を決めて、村の女たちに作り方を教える大事な日なんだよ」
「へえ、ドワーフにも女がいるのか。
何人ぐらい来るんだ?」
「だいたい三人だね。
この数年は同じ顔ぶれだよ。ドワーフの女房に娘が二人だ。
――って、何だよ、つまんねえ。
俺はそんな話より航海の話が聞きたいよ」
トマスが大声で笑いながら謝った。
「そうだな、すまん!
ドワーフの話なんざ、めったに聞けねえからつい面白がっちまった。
さあ、飲め! 食え!」
* *
三時間ほど後、すっかり酔って千鳥足になった若者を、二人の男が両側から抱えるように支えて暗い路地を歩いていた。
「どうした、しゃんとしろ!
もう一軒行くぞ?」
ジョンが横から声を掛ける。
「ちょっ……待ってくで。
その前に……小便がしれえ」
ヨルゴスが呂律の回らない声を出す。
「何だあ?
小便か? ああ、分かった。
こっちの物陰に来いよ。連れションとしゃれ込もう」
トマスが若者の肩を抱き、細い小路へと連れ込んでいく。
ジョンの方は「ふう」と息を吐き、懐から
夜空を見上げると、雲の合間から上弦の月が見え隠れしている。
口と鼻から白い煙を旨そうに吐き出し、男はポンと腿に煙管を打ちつけ、また新たな葉を詰めた。
ジョンがたっぷり三服の煙草を吸い終わろうとしたころ、やっとトマスが一人で戻ってきた。
「
ガキはどうした?」
トマスはジョンの手元の煙草を見ると、自分も懐から煙管を取り出す。
「俺も一服するか、火ぃ貸してくれ」
彼は片手で火皿に葉を詰めると、相棒の煙管に近づけて火を移す。
ぷはぁ~!
トマスは旨そうに煙を吐き出すと、思い出したような笑いを浮かべた。
「ああ、あのガキか。
あいつ酒飲むのも初めてだったんじゃねえのか? 相当酔ってたぞ。
小便しようとして足がもつれたのか、用水路に顔から落っこちやがった。
じたばたと暴れやがったが、頭押さえつけてやったら……そのまま動かなくなったよ。
寝ちまったんだろうな。起こすのも悪いから、そっとしておいたぜ」
「そうか、そりゃ親切なことをしたな。
さぁ、そろそろ船に帰ろうぜ」
二人は酔いを感じさせないしっかりとした足取りで、再び繁華街の方へと消えていった。
* *
「あー、それじゃ駄目だよ。
バターはもっとどっさり入れなきゃ。
さっきやって見せただろう?」
ドワーフ女に注意された主婦が「いけない」という顔で舌を出した。
「いや、ごめんよ。
貧乏性なんだね、いつもの癖が出ちゃって。
でも、こんなに惜しげもなくバターを使うなんて、何だか罪深い気がするね」
「美味しいパイ生地を作るコツなんだから、分量はきっちり守っておくれ。
バターをケチっていいのは、旦那にパンを出す時だけだよ!」
広い共同炊事場に集まった女たちの間に、どっと笑い声が上がる。
「メイリンさん、ちょっとソースの味を見てくれるかい?」
別の主婦が大きなボウルを抱えながら、スプーンを差し出した。
メイリンと呼ばれたドワーフ女は、その匙を口に入れるとうなずいた。
「ああ、いい
さぁ、もう石窯もいい具合に熱くなっただろう。
どんどん焼いていくよ!」
彼女の指図に、村の女たちは「はい!」と威勢よく答え、てきぱきと動き出した。
主婦たちはいずれも台所という自らの城で、長年料理を作り続けてきたベテラン揃いだ。
その動きには無駄はないが、口の方も決して止まらない。
女だけ、しかも顔見知りばかりだという気安さからか、そこかしこでお喋りの花が咲き、笑い声がひっきりなしに上がる。
陽気な雰囲気に、石窯で焼けるミートパイのいい匂いが漂ってきて、女たちの気分はさらに盛り上がった。
「焼けた分は晩飯用に持ち帰っておくれ。
子どもたちが泣いて喜ぶよ。
こいつは酒にも合うからね、旦那が飲み過ぎないようちゃんと見張るんだよ!」
メイリンが機嫌よく指図すると、主婦たちの中から声が上がる。
「何だい、あたしたちの試食はないのかい?」
「馬鹿お言いでないよ!
あんたたち、お昼にあたしが作ったお手本を腹いっぱい食べたじゃないか。
でもまぁ……こんだけあるんだ。一切れくらいは構わないね。
実を言うと、あたしもそろそろお腹が減ってきたのさ!」
女たちは歓声を上げた。その中の誰かが叫ぶ。
「それなら、焼酎をひと樽開けようか?」
焼酎と聞いて、メイリンの顔色が変わった。
ドワーフの酒好きはよく知られているが、それは女であっても変わりはないのだ。
この村の主婦たちはそれをよく心得ていた。
「そっ、そうだね。
料理はあらかた終わったし、もう包丁は使わないから、それもいいかもしれないね……」
口ごもるメイリンの前のテーブルに、さっと木の椀が出てくる。
その中にはなみなみと焼酎が注がれていた。
「あー、母ちゃんばっかりずるい!」
「そうだよ、あたしも飲みたいっ!」
メイリンより頭一つ背の低い二人のドワーフ女が、母親のエプロンを掴んでせがんだ。
「何言ってんだい、あんたちはまだ子どもだろうに!
これはまだ早いよ。
ジュースで薄めた奴にしておきな」
二人の子どもは頬を膨らましたが、恰幅のいい主婦が屈みこんで、そのほっぺたを人差し指で
「だったらコハゼのジュースがあるよ。あんたたちのお母さんから教わって、去年つくってみたのよ。
それで割って飲んでみるかい?」
二人は満面の笑みでうなずく。
その主婦は二人のためのコップを用意しながら訊ねた。
「イーリンちゃんとエーリンちゃんは、いくつになったんだい?」
「あたしたち双子だから、どっちも今年で三十五歳よ。もう大人だわ!」
すでに最初の一杯を空にした母親が、豪快に笑いながら子どもたちの頭を張り倒した。
「威張るんじゃないよ、恥ずかしい!
あんたら、ついこの間まで寝小便をしていたガキじゃないか」
メイリンの容赦のない殴り方に太った主婦は目を丸くしたが、当の娘たちはけろっとしている。
「ドワーフってのは、いくつで大人になりなさるんですか?」
二杯目の焼酎を半分ほど飲み込んだメイリンが答える。
「ああ、五十歳が成人ですよ。
だからこの
そこへ女たちが、焼き上がったミートパイの大皿を持ってきた。
焼けた羊肉の独特の風味に香辛料の香り、そしてバターが効いたパイ生地の何ともいえない香ばしい匂いがぶわっと広がり、その場の全員が歓声を上げた。
切り分けるのももどかしく、次々に皿に手が伸び、女たちの饗宴は最高潮を迎えていた。
* *
「楽しかったね~!」
「うん、また来年まで来れないのが残念ね」
イーリンとエーリンの姉妹が仲良く並んで歩いている。
その背には重そうな大樽を担いでいるが、二人は何の負担も感じていないようだった。
テバイ村の女たちから土産として持たされた自家製の焼酎である。
「ねえ、母ちゃん。
あのミートパイ、人間の口に合うのかな?」
「ちゃんと売れるのかな?」
二人の先を行く母親のメイリンが振り返った。
その背には大樽を二つ担いでいる。
「当り前さ!
あのソースはね、家に代々伝わる自慢のレシピなんだ。
ドワーフだろうが人間だろうが、いちころで夢中になるよ!
村の女たちの食べっぷりを見ただろう?
それよりあんたたち、お喋りに夢中になって転ばないでおくれよ。
もうだいぶ暗くなってきたからね」
「はーい」
娘たちは素直に返事をしたが、普段地下で暮らしているドワーフは夜目が利く。
月明かりがある地上の夜など、昼間同様に歩くことができるのだ。
そのドワーフの視力が、行く先に不審な人影を捉えた。
彼女たちが歩いているのは、
なのに、五十メートルほど先に見える人影は十人近い集団――それもドワーフではない、明らかに人間だった。
「あんたたち!
樽をおろして、母ちゃんの後ろから離れるんじゃないよ!」
メイリンは小声でそう命じると、自らも背中にしょった大樽を地面におろした。
そして腰のベルトに下げていた小ぶりな戦斧に手をかける。
三人のドワーフ女は恐れも見せず、ゆっくりと待ち受ける人間たちの方へと歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます