私掠船の牢獄 第二話 私掠船

「あんたたち、何者だい?

 夜目の利かない人間が、十人ばかりの人数でドワーフとやり合おうとは、いい度胸じゃないか」


 待ち受ける者と数メートルの距離で立ち止まったメイリンは、不敵な笑いを浮かべて挑発した。

 暗がりで道を塞いでいた人間たちは、にやにや笑いを浮かべて顔を見合わせている。

 その中の、頭目らしい男が口を開いた。


「いや、俺たちはそこまで馬鹿じゃねえ。

 人間様には知恵ってもんがあるんだ。

 野獣を相手にする時には、それなりの工夫をするもんさ」


 その言葉が合図だった。

 三人のドワーフ女の頭上から、一斉に何かが降りかかってきた。

 樹上に登っていた一味の男たちが、次々に漁網を投げかけたのだ。


 漁網は非常に細い綱で編まれているが、その見た目以上に頑丈である。

 網目ごとに結び目があるので、例え一か所が破れてもその綻びは全体に及ばないようになっている。

 獲物が暴れれば暴れるほど、その網目が身体に絡みついて自由を奪う。


 日頃から海と縁のないドワーフ族の女は、そのことを知らなかった。

 彼女たちはたちまち魚網に手足をとられ、身体の自由を失って無様に地面に転がった。


 男たちはげらげら笑いながら、ドワーフ女の身体を蹴り転がした。

 たちまち蛾の繭のような三つの簀巻すまきが出来上がる。


 メイリンは必死に手にした戦斧で網を切り広げようとしたが、ナイフや剣と違って斧はそうした作業には不向きな武器だった。

 男たちは笑いながら彼女の周囲に集まり、戦斧を握った手をめがけ、分厚いブーツの底を力任せに蹴り下ろした。


 〝べきべきっ〟という、嫌な音を立てて指の骨が砕ける音がする。

「ぐわっ!」


 苦悶の声を上げたドワーフ女は、思わず戦斧から手を離す。

 頭目らしい男が漁網に絡まった斧を苦労して引き剥がした。


「こいつはいい戦利品だな。

 ドワーフの武器は目の玉が飛び出るほど高額だが、人間に売りつけているのは奴らにとっちゃガラクタらしい。

 こいつらが現に使っている斧なら、間違いない上物だろうよ」


 男が満足げに斧を見定めている間にも、メイリンに群がった男たちは容赦のない蹴りを浴びせ続ける。

 最初の内は、そのたびにくぐもった呻き声が聞こえてきたが、やがてその声すら止み泥だらけとなった塊りは動かなくなった。

 放置された二人の娘は、「母ちゃん!」と泣き声混じりの悲鳴を上げるだけで何もできない。


 頭目の男は、うんざりした声で命令を下した。

「そんくらいにしとけ、馬鹿どもが!

 殺しちまったら娘が誘拐されたってことを知らせる奴がいなくなるだろう!

 娘の方はうるせえから黙らせろ」


 手下の男たちは「へい」とうなずくと、メイリンをいたぶることをやめた。

 そしてイーリンとエーリンの姉妹の腹に、槍の柄を叩き込んだ。


 男たちは吐瀉物を撒き散らせて気絶したドワーフの娘たちを、簀巻き状態のまま担ぎ上げ、荷車に乗せる。

「くそっ、チビのくせに何て重いんだ!」


「迎えのドワーフが来たらまずい。

 早くずらかるぞ!」

 頭目の命令で、彼らは荷車を曳きながらその場を立ち去っていった。


 人気のなくなった山道には、漁網にくるまったまま瀕死の状態となったメイリンが一人取り残されていた。


      *       *


「――というわけで、お前を貸し出すことにした。

 セレキアは遠いが、まぁ頑張って行ってこい!」


 王城にある女王の執務室に呼び出されたユニは、ぽかんとした顔をしている。


「あの……陛下、おっしゃっている意味が分かりませんが?

 セレキアってどこですか?

 〝というわけ〟って、どういうわけですか?」


 レテイシアもきょとんとした顔をする。


「何だ、お前アッシュ陛下から何も聞いていないのか?」


 ユニはこくんとうなずく。

「はい。全く、何も!」


「変だな……アッシュ殿からは、ユニは承諾済みだと聞いておるぞ。

 そなた、ちびった幼児みたいに泣きじゃくって『何でもします!』と陛下に約束したのではなかったか?」


「あっ、いやそれは……」


 女王は眉根に皺を寄せて「う~ん」と唸ったが、突然にっこりと微笑んだ。

 その顔には「まっ、いいか」という無責任な結論がはっきり表れている。


「まぁ、詳しいことはアリストアに話してあるから、あの男から聞け。

 とにかく、わが国としては、お前の派遣を承諾したということだ。

 安心して行ってこい!

 話はそれだけだ」


 ユニは慌てた。


「えっ?

 ちょっ、待ってください!

 話が全然分からないんですけど?

 あたし、どっかに行くんですか?」


 問い詰めようとするユニの両脇を、衛兵ががっしりと抱えて引きずっていく。

 女王陛下のスケジュールは分刻みである。

 たかが二級召喚士が、その貴重な時間を奪うことなど許されないのだ。


 分厚い扉が閉まった瞬間、女王がソファに倒れ込んで笑い転げたことを、哀れなユニは知らなかった。


      *       *


「――というわけで、アッシュ陛下直々の依頼だ。

 君の聴取は後回しにしてやるから、安心して行ってこい」


 王城西塔を専有する王国参謀本部、そのトップであるアリストアの執務室に放り込まれたユニの顔を見て、主席参謀副総長はそう言い放った。


「いや、だから〝というわけ〟って、何ですか?

 あたしはどこに行かされるんですか!」


 アリストアは不思議な生き物でもあるかのように、ユニをまじまじと見た。


「何だ、お前アッシュ陛下から何も聞いていないのか?」


 ユニは肩をぷるぷると震わせながら溜め息をついた。


「ええ、ええ、ええ!

 アッシュからもレテイシア様からも、な~んにも聞いておりませんっ!

 いいかげん、どういうことか説明してください!」


 国軍の頭脳と言われている男は、訝し気な顔で訊ねた。

「おかしいな……陛下からはユニは承諾済みだと聞いだぞ。

 君はお漏らしをした子どもみたいに泣いて『何でもします!』と約束したんじゃないのか?」


「いや、だから約束したのは事実ですが、どっからその〝お漏らしした〟が出てきたんですか?

 情報が歪められています! 露骨な悪意が混じっていることに抗議いたします!」


 アリストアは少し考え込んだが、やがて「まぁ、いいか」と言いたげに一人うなずいた。


「なるほどな……、エルフ王としてはぎりぎりの判断だったというわけだな。

 仕方がない、それでは私から説明することにしよう。

 そこのソファに座りなさい」


 彼はそう言うと執務机の椅子から立ち上がり、ユニの座ったソファの向かい側に腰をおろした。


 まるでそのタイミングを見計らったように秘書のロゼッタが入ってきて、二人の前に熱いコーヒーのカップを置いていく。

 アリストアはそのカップを取って旨そうに啜ると、咳ばらいをした。


「君に課せられた使命は三つある。

 一つは、この国で有能な傭兵を雇うこと。

 二つ目は、海賊にさらわれたドワーフの娘を救出すること。

 三つ目は、ドワーフいちに集まった商人たちの傭兵を指揮して、ケルトニア海賊の襲撃を撃退することだ。

 どうだ、非常に明快だろう?」


 ユニは頭を抱えた。

「えーと……確かに明快ですが、まったく理解できません。

 ドワーフ市って何ですか?

 何でケルトニアの海賊が襲ってくるんですか?

 エルフであるアッシュがこの件とどう関わっているのですか?」


 アリストアは呆れたような目で彼女を見やった。


「質問の多い奴だな……。

 まぁ、順番に説明するから聞きたまえ」


      *       *


「まずは都市国家セレキアについてだが、これについては説明はいらんだろう?」


 アリストアの冷たい言葉に、ユニはおずおずと片手を挙げた。


「いえ、そもそもそこから分かりません。

 セレキアってどこにあるんですか?」


 参謀副総長は大げさな溜め息をついた。それはもう、わざとらしいほどに。

「あー……。そこから説明が必要なのか。

 君は魔導院で何を学んだのだ?

 こんなことは四年生の地理で教わったはずだぞ。

 セレキアは大陸西沿岸の有力都市国家の一つだ」


 ユニは必死で学生時代の記憶を呼び戻したが、そんな名前に記憶はない。

 そもそも地理は数学とともに、彼女が大の苦手とした教科なのだ。


 首を横に振ったユニを見て、アリストアはがっくりと肩を落とした。


「これが私の後輩なのかと思うと……情けなくなるぞ。

 魔導院の諸先生方も、さぞやお嘆きになるだろう」


 彼は立ち上がって机の上から紙片を取ってくると、裏返しにして簡単な略図を描き始めた。

「ハラル海を挟んだこの辺りがサラーム教の国家群だ。分裂した旧首長国連邦と大国ペルシニアだな。

 その西側の大陸西岸には、都市国家が点在している。

 現在はいずれもケルトニアに恭順を誓っている地域だ。

 その都市国家群の最南端に位置するのがセレキアなんだが――思い出したか?」


「いえ、まったく」


 アリストアの顔に絶望の色が浮かぶ。


「ええいっ、とにかく!

 このセレキア周辺の衛星村落の一つにテバイという村がある。通称ドワーフ村と呼ばれている所だ。

 セレキア南部には寂寥せきりょう山脈という山々があって、そこには昔からドワーフ族が棲みついているんだ。

 テバイ村は、その寂寥山脈の麓に位置している。

 ここまでは分かったか?」


「え、ええ。何となく理解しました」

 ユニは仕方なくうなずいた。


「このテバイ村はこれといった特徴のない貧しい村だが、あることで非常に有名なのだ。

 それはドワーフいちの開催地としてだ。

 ドワーフ村と呼ばれる所以ゆえんでもある」


「ドワーフが市場を開くんですか?」

 ユニの素朴な質問に、アリストアは盛大な溜め息をついた。


「そうとも言えるし、そうではないとも言える。

 寂寥山脈のドワーフたちは、年に一度市を開いて自分たちが造った武器や防具を売る。

 だが、実際に売り子になるのはテバイ村の村民で、ドワーフが人間に姿を見せるわけではない。

 君も聞いたことがあるだろうが、ドワーフが造った武器はとてつもない高額で取引される。

 そのため、このドワーフ市には大陸中の商人が集まって大変な賑わいとなる」


 ユニが「うんうん」とうなずいているのを確認し、アリストアは話を進める。


「この市はもう五十年以上前から続いている。

 人間とは極力関わらないドワーフも、市の開催に協力してもらうためテバイ村の住人とだけは親しく付き合っているんだ。

 さて、話は三月のことだ。

 市の出店で出す料理の打ち合わせで、ドワーフの女性――母親とその娘二人の三人が、テバイ村を訪れたと思いたまえ。

 その会合は例年どおり無事に終わり、ドワーフたちは山に帰るべく帰途についた。

 ところがその途中、彼女たちを何者かが襲い、二人の娘を拉致するという事件が起こったのだ」


「それがケルトニアの海賊……なのですか?」


 アリストアは「ふん」と鼻を鳴らして皮肉を口にする。

「ほう……そろそろ目が覚めてきたようだな。感心なことだ。

 ――そうだ。

 重傷を負って放置されていた母親の懐に、脅迫状が残されていて分かったのだが、犯人はドレイクというケルトニアの海賊団の一味だった。

 君は〝私掠船しりゃくせん〟を知っているかね?」


 ユニは首を横に振った。

 アリストアは馬鹿にしたような笑いを浮かべながらうなずいた。

 ユニの〝いらいら〟が段々と増してくる。


「そうだろうな。

 私掠船というのは、ケルトニアが公認している海賊船のことだ。

 海賊たちはケルトニア本国に一定の税を納める代わりに、私掠免許を与えられる。

 ドレイクの船団もこの私掠船なのだ」


 ユニがおずおずと片手を挙げた。

「ええと、その……海賊行為を取り締まるべき国が、それを認めているってことですか?」


「そうだ。

 もちろん、ケルトニアの船や領国に対する略奪は禁じられる。

 だが、敵対する国々の船や地域に対する海賊行為は、むしろ奨励されているのだ。

 彼らはケルトニア海軍基地での補給が許されているくらいだ」


「ずい分とえげつない話ですね」

 ユニの感想にアリストアは首を振った。


「いやいやどうして、これは頭のいいやり方だぞ。

 海賊に散々荒された現地はどうする?

 自分たちを支配する国に助けを求め、海賊を撃退してくれるならいい。

 そうでなかったら、被害を受けている者たちはケルトニアに服従を誓って難を逃れようとするだろう。

 ケルトニアはこのやり方で、大陸西部の沿岸地域のほとんどを支配下に入れているのだ」


 ユニは首をかしげた。

「何となく背景は分かりましたが……。

 セレキアという都市国家もケルトニアの支配下にあるんですよね?

 ドワーフ市が開かれるテバイっていうのは、そのセレキアの村なんでしょう。

 海賊がドワーフの娘を誘拐して市の開催を妨害するのでは、ケルトニアの庇護下に入った意味がないじゃないですか?」


「そう、ここが海賊たちのずる賢いところだ。

 私もアッシュ陛下から話を聞いた後、不審に思って両者の間で結ばれた条約を調べてみた。

 その結果分かったことは、条約はあくまでもケルトニア連合国と都市国家との間で結ばれたものに過ぎないということだ」


 ユニが首を捻る。

「意味が分かりません。それならなおのこと、テバイには海賊が手出しできないはずでしょう?」


 アリストアは楽しそうだった。

「分からんか?

 都市国家とは、その名のとおり一つの都市がそのまま国家となった形態を意味するのだ。

 都市周辺に点在する村落がそこに含まれていると思うか?」


「あ――でも!」

 何かに気づいたユニを、皮肉屋の男が手を挙げて制する。


「そうだ。

 周辺村落が都市国家の支配下にあるなら、広義にはその一部と見なすことができるだろう。

 一方で都市国家という概念を狭義に捉えれば、条約の効力は都市のみに及ぶと言える。

 ところが、条約には都市国家の定義については何も記されていない。

 つまりはテバイ村は解釈次第でどうにでもなるグレーゾーンということになるんだよ」


「ああ……」

 ユニにも何となく海賊たちの魂胆が見えてきた気がした。


「なぜ海賊たちがドワーフの娘をさらったか、君には分かるかね?」


 アリストアが訊ねる口調は、実に愉快そうだった。

 ユニは心の底から思った。


『ああっ、この男がマリウスだったら、問答無用で蹴り飛ばしてやるのに!』

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