魔法省魔法管理庁



「……は?」


 アリシアはぽかんと口を開けて、そこに書かれた文字を読み、また真っ黒なページを見て、もう一度文字のあるページをめくり、そしてアンバーを見た。


『どうしました?』アンバーは先ほどとは反対側に首を倒した。


「どうしたって、これが見えないの? なんにも?」


『ええ。ボクには白紙に見えます。御主人には、何が見えているんですか?」


 アンバーには見えていない。嘘をついているような表情でもなかった。自分の頭が可笑しいのだろうかと目を擦っても、黒いページと命令じみた文章は残っている。

 そして、次のページに指を掛けた。


〈██:青炎は世界を越え、天秤は大きく傾いた。

  ――あなたは願いを叶えるために、その身体を受け取った。

  主任務:この世界のあなたの役目を果たしましょう〉


〈異常項目:███████


 解呪方法:████████████〉


〈禁止項目:『魂の代置』を行った事により、一定の制約を受けます。あなたは現状に関する事項を、他者へ伝える事ができません〉


 思わず遠い目をしたアリシアは、静かに手帳を閉じることしかできなかった。なんて設定。最近読んだファンタジーより面白くない。そう思った。


『何だったんですか?』


「いや……なんでもない。多分、日記みたいなものだよ」


 『多分?』アンバーは納得のいかない顔をした。「私にしか見えないようにしたんだと思う」と言えば、あっさりと引き下がった。


 その時、扉が叩かれる音が聞こえた。アリシアは性急な叩き方に身体が強張るような感覚を思い出した。誰だ、と確認するために立ち上がろうとしたが遅く、玄関が勢いよく開かれる。


 息急き切って勝手に部屋へと入ってきたのは、この世界で始めに出会った人、ノア。その背後からのそりと現れた人影はグレンだった。ノアは恐る恐るといった様子で、アリシアに声を掛けた。


「あ……。アリシア。大丈夫ですか?」

「うん」アリシアは立ち上がって二人に対峙した。「――ごめんなさい。勝手にいなくなって」

「それは……。いいえ、問題ないですが……」


 ノアは歯切れが悪く目を泳がせ、その動揺が時折アリシアの右腕で止まった。その僅かな機敏をアリシアは感じ取った。


「腕はもう何ともないから」


 軽く右腕を動かして見せると、ノアは目に見えてほっとした表情を浮かべた。アリシアは腕をおろした。


「念のため医務官に見せたほうが良い。本庁へ行くぞ」


 グレンが呆れたように口を開く。


 本庁、という言葉に、アリシアはすぐ首を振った。それはほぼ無意識的な動きだった。突然身体の奥底から、行きたくないという気持ちがぐつぐつと沸き上がってきたからだ。


「いや、大丈夫だって……」

「さすが大魔導師サマ。だけど今日は拒否権無しだ。我が儘を言うな」

「行きたくないんだけど」

「連れて来いと言われているんだよ。イーサンに」


 グレンは小さくため息を吐き出した。サングラスを掛けた目元の表情は読み取れない。

 イーサン。その名前が出されると、今度はアリシアの胸の奥につかえが生まれた。行きたくないという気持ちと、行った方が良いだろうという気持ちが合わさった。

 アリシアは自分のものではない自分の気持ちをどうすればいいのか分からなかった。


「アリシア。とにかく行きましょう、ほら」


 真っ直ぐに自分を見つめてくるノアに、アリシアは促されるまま頷いた。まるで駄々をこねる子どもみたく扱われているような、そんな気がしてならなかった。







 この世界における人口の九割は魔法を使えない。彼らは非魔法種アデンと呼ばれ、魔法や目に見えない幻想種レヴェリーに対する耐性が著しく低い。


 そしてその一方、魔法を使うことができるものは魔法種アデイラと呼ばれており、魔法種アデイラには三つの階級が存在した。


 一つ目はハルフ。彼らは魔法種であるが、生まれながらに魔法を使うことができないもの。

 二つ目はカリア。魔法を使うことができるもの。魔法種の大半はカリアである。

 そして最後にギリア。魔法を使うことができるだけではなく、生まれつき生物学的に優れた能力を持つ、ごく僅かに限られたものたち。


 今でこそ、魔法は人々の生活の中に溶け込んだものとなったが、魔法は人々の生活を脅かすほど恐ろしい力を持つ。非魔法種は恐ろしい力を持つ魔法種を怖れ、魔法種は力を持たない非魔法種を蔑んだ。魔法種と非魔法種の歴史は火を見るよりも明らかで、決して清々しいものではなかった。


 そのような歴史の中で、この地――〈ファル・カタル〉の人々は法を定めた。


 それは魔法種を管理するための組織である『魔法省魔法管理庁』の設立に関する法、そして魔法種を直接的に管理する『魔法法』の制定である。



 ――魔法法 第一章第一項 

 魔法使いの魔法使用に関わる基本規定


 一.魔法、またはそれに準ずる物は、対象に『善』となる結果をもたらすため組み立てられた術式である。


 一.魔法使いは、邪術式に定めれられる魔法を使用してはならない。


 一.魔法、またはそれに準ずる物によって、不当に人間の身体を傷つけてはならない。


 一.魔法、またはそれに準ずる物によって、人間の精神を害してはならない。


 一.魔法、またはそれに準ずる物によって、人間の権利を侵害してはならない。


 一.魔法、またはそれに準ずる物によって、人間を殺めてはならない。


 一.魔法、またはそれに準ずる物によって、いかなる場合においても魂を害してはならない。


 一.魔法に関わる全てのものは、非魔法種に対し、魔法に関する情報を秘匿する義務がある。


 一.前述の秘匿義務は、認可された場合のみ、その義務を破棄することができる。


 ――しかし時には法を犯すものたちが存在する。それは、魔法種と非魔法種の間に歪みをつくり、それ迄の歴史をなぞる結果を生む可能性をはらんでいる。


 世の中には、良い魔法使いも、悪い魔法使いもいる。


 良い魔法使いが百人いたとしても、そのうちの一人が悪い魔法使いであるとしたら、そこには善悪の猶予など無きに等しく、全ての物事はたった一つの事実に括られて決定される。


 魔法省魔法管理庁魔法犯罪取締部 特殊魔法犯罪広域対策室第1班。

 コードネーム『梟』。

 彼らは、「悪い魔法使い」を捕らえる『梟の魔法使い』。


 じゃの道はへび。だからこそ、この地に暮らす人々ために定められた規則を踏みにじった魔法使いを捕らえ、この地で起こる魔法に関した問題を解決し、国の秩序を維持するための装置。


 ――今、アリシアの目の前には、黒曜石のように一面の壁が黒く光る建物がそびえ立つ。どこか見覚えがある建造物だ。形だけなら、アメリカのエンパイアステートビルを少し低くしたものに似ている。とはいえ見上げれば首が後ろに折れそうなほど高い。

 けれどもそれは白や茶色といった石造りの街並みに対してひどく似合っていなかった。景観法でもあれば、直ぐさま建築の段階で計画が頓挫してもおかしくはないほど異質な存在がある。


 その建物に向かって迷わず進む二人の後をアリシアは追いかけた。動揺を隠すことに必死で、アリシアはここまでどうやって来たのか、半分も覚えていなかった。残りの半分は、長年染み付いたアリシアの身体の感覚が呼び起こされているのかもしれない。


 無機質な壁の中央に入口には、これまた建物と同化してしまうのではないかと思うほどの黒いマントを羽織る二人組の男達が立っていた。守衛だろうか。アリシアが観察すると、目の合った片方のうちの一人がサッとその目を逸らした。


 なんて失礼な反応なのだろう。

 アリシアがもう片方にも視線を向けると、今度はそちらの男の喉がひっと音を鳴らした。どうやら聞き間違いではないらしい。


「そんなに怖がらせるなよ」と、グレンがため息混じりに口にした。


「怖がらせてなんてないけど」


「へいへいそうですか」


「ほんとに、怖がらせてないよ」


 私の事をなんだと思っているの。そう言いつのろうとして、アリシアはやめた。辞めたというよりも、飛び込んできた光景に言えなかった。その建物の壮大さに圧倒されたからだ。天井は想像の何倍も高い。 


 そしてその入口から先、円形のホールとなったエントランスの内側は、大慌ただしい人々が右へ、左へ、往復し、どこか殺伐とした空気が漂っている。

 呆けて立ちすくんだアリシアは、「アリシア、行きますよ」と呼ぶノアの声を受けて我にかえった。


 溢れかえる人の波が押し寄せる。誰もが暗い色の外套を羽織っていたが、外套に付けられた装飾や刺繍の模様は全く異なっていた。足早に過ぎ去る彼らの顔の彫りの深さや、髪や目の色も、多種多様だ。


 ごっ、とアリシアの肘に誰かがぶつかった。謝罪する隙も無く「ひゅ」と息を呑んだ男が、蒼白い色に顔を染めて、逃げ去るように人混みの中へと消えていった。


 多くのの足音、囁きながらもどこか煩わしい声音、天井の下を飛び交う人と鳥。――鳥? 

 そしてそのはるか頭上に掛かる天井のきざはしの下に広がる雷雲の中で轟きが響く。騒がしく、慌ただしい雰囲気。アリシアは唯ならぬ雰囲気を眺めた。


「雷雲」

「ああ、ほら、今日はリーデンベースの日ですから」


 もはやアリシアは、質問することも億劫になった。

 二人は真っ直ぐにエントランスの中央の方へ颯爽と歩き出した。まるでそこだけ、押し寄せる波が、今度は引いていくかのように、進む道を生み出していく。アリシアは少しだけ感動した。彼らはもしかしたら、この場所では人を下がらせるほどの者達なのだろうか。喧騒をどこか遠くに感じながら、アリシアはその背中を見つめる。


 アリシアの脳裏に思考が響いた。――堂々としなければ。今この場で顔を下に向けることは、。アリシアは瞳だけを動かして辺りに気を張り巡らし、彼方此方から突き刺さる視線の先をくまなく追った。

 視線の意味は様々だ。好意、忌避、畏怖。そのどれもが、居心地の悪さを感じさせた。

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月夜の霞に梟鳴きて 藤橋峰妙 @AZUYU6049

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